単行本

記憶の奥から走り出す七歳児

小沢信男『私のつづりかた――銀座育ちのいま・むかし』

PR誌『ちくま』3月号より、内澤旬子さんによる小沢信男『私のつづりかた』の書評を公開いたします。 82年前、小学校2年生の時に書いた「つづりかた(作文)」をもとに、80代後半になった小沢信男さんが書いた前代未聞の1冊。 小沢さんと以前から親交のある内澤さんによる書評を、ぜひお読みください!

 小沢信男さんが、銀座の泰明小学校の卒業生だと知ったのは、いつ頃のことだろう。まだ私が夫婦で暮らしていて、谷中にある小沢さんのおうちまで歩いて伺ったりしていた時分か。気が付いたらもう二十年近くの月日が経っている。  
 泰明小学校といえば、半円型の窓や、蔦の茂る壁がなんともハイカラな建物。銀座を歩いていてひときわ目を引くのでご存じの方も多いだろう。  
 本書では、小沢信男さんが泰明小学校二年生の一年間に書いた綴り方、十六本を中心に、小学生時代に描いた絵や写真も添え、描かれた人や建物、行事などから丁寧に、八十二年前の銀座八丁目界隈の暮らしを解説している。  
 とにかく楽しい。正直に告白すると、私は町の歴史が大好きというタイプではない。ものすごい方向音痴でもあり、東京に暮らしていたときも、誰かに連れて行ってもらう以外に、ひとりで街歩きをすることは少なかった。  
 そんな私がいくつかの縁あり、唯一、自力で何度も歩いたのが、東京―銀座―新橋間。ここだけは空白なく繋がっているため、珍しく登場する建物や番地のすべての位置が分かった。しかしそれだけではない。  
 小沢信男さんの語り口が優しく、そして銀座という、人によっては権威的だったり自慢まじりに語ってもおかしくない由緒ある街を、とてもフラットに、実際に生活している七歳児の目線と八十年という歳月からの俯瞰を上手に混ぜて語っているためだ。  
 なにしろ昭和十年である。満州事変の四年後で、日米開戦の六年前。日露戦争からちょうど三十年。すでに国際連盟も脱退していた。翌年には二・二六事件が迫っている。日本の転換期真っ只中。  
 八十二年後の今から大雑把に振り返ると、軍国主義まっしぐらの、暗い時代と思いがちなのだけど、まだ大人も子どもも、伸び伸びと暮らしているのがわかる。縁日もあるし、デパートにお出かけすれば、エレベーターやエスカレーターがあってお子様ランチを食べた。あれ、四十年後に生まれた私の子ども時代とあまり変わらない?  
 いちばん驚いたのは、夏の間、鎌倉に家を借りて住むのが流行っていたとのくだり。ああ、そんなことがあったと知ってはいたけれど、実際の経験者が知り合いにいらしたとは。  
 しかも想像していたよりもずっとコンパクトで、一間の離れに家族みんなで雑魚寝。お手伝いさんもいるし、夏の家なんて、モダンで最先端かつ豊かな暮らしに聞こえるが、とても質素でもある。当時の小沢さんの家は銀座の西八丁目、虎屋自動車商会というハイヤー業を営んでいて、一階が事務所、二階が住居という具合。こちらも単純に思い描くお金持ちでハイカラな銀座とはちとずれる。それでも農村部の暮らしとは全然違う事物に囲まれているのだけれど。  
 鎌倉は由比ヶ浜の花火大会で「しゆつずどん」と花火が上がるのを眺める。小沢少年はからこやという土産物店の包装紙を模写もしている。なぜ包装紙を??と思う一方で、いまや実物が残っているのかもわからないわけで、大事な記録。美しい文様を丹念に写した小沢少年の心情や如何に。  
 自分が生きて来た過去は、案外早く「歴史」になる。若輩者の私ですらも痛感しているのだから、四十年も先輩の小沢さんは、銀座の変遷をどんな気持ちで眺めているのだろう。少しせつなくなりながら、読み進めた。  
 それにしても、たった七歳児が書いたものなのに、文章のそこかしこに小沢さんらしさの片鱗が、詰まっているのはどういうことなのだろう。三つ子の魂百までとはよく言ったもの。そして現在の小沢さんの文章のなかに描かれる七歳児がまた瑞々しくリアル。銀座の街を走り回る姿が見えるようで、舌を巻く。七歳の時のことがまったく思い出せない私です。  
 自分も小沢さんの歳になったら、記憶の奥から七歳児は走り出て来てくれるのだろうか。四十年後の楽しみにしてみます。

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