山田昌弘

もはや宝くじ頼み?! 希望格差社会の若者たち

団塊世代にしのびよる格差

 先日、作家で「団塊」の名付け親である堺屋太一さんと、ある新聞社のお正月企画のために対談をしました。「団塊世代の退職者」について、堺屋さんは、この人たちが日本を明るくする、自由にお金を使える消費者として行動するから、経済を活性化する、というきわめて楽観的な見方をしていました。私はそれに対して、「でも、それは子供が自立している場合、という条件がつきますよね」と反論しました。『希望格差社会』の本で私が扱ったのは、フリーターに象徴されるような「希望をもてない若者たち」だったのですが、それは、「退職後、安心してお金を使うことができるのか」、という親の問題にもなってきています。

 たとえば30歳すぎても親元でフリーターをしている、という子供が一人でもいたら、高齢世代の夫婦が自分たちだけで自由にお金をつかって旅行したりなど、なかなかできません。『パラサイト社会のゆくえ』などでも書きましたが、最近の傾向として、30代、40代の親同居未婚者が増えている、ということがあります。2004年のデータで、35歳から45歳の人口の12%、約200万人が親同居未婚者と見積もられます。このような状況から、私は、退職した団塊世代、高齢世代の間に、子供が自立しているか、していないかで「格差」が生じると考えます。迷いながら定年を迎える人が出るのではないかと思います。

「努力保証社会」の崩壊

 では、今の若者の状況はどうなっているのか。先ほど、「希望が持てない若者たち」と申しましたが、この「希望」について、私はアメリカの心理学者の定義を使って、次のように説明しています。「希望は努力が報われると感じたときに生じ、努力が空しいと思えば絶望を感じる」。

 前近代と近代社会を分けて考えないといけないのですが、前近代では、現世で報われなくとも来世で報われる、という考え方でしたし、自分がやっていることをきちんと見てくれている共同体がありました。近代になると、そうした共同体が弱まり、宗教が後ろに退いていきます。そうすると、今やっている努力が、現世のうちのある将来の時点できちんと評価される、報われると思わなければ、やる気が出ません。

 これが、日本においても、ある時期まであてはまりました。企業の終身雇用・年功序列制度は、長く勤めまじめに仕事をしていれば給料も地位も上がる、ということを保証していました。これは主に男性の場合でしたが、一方、女性の場合は、そういう男性と結婚し、家事・育児をしっかりやっていれば暮らし向きはだんだんよくなる、という見通しがありました。そして、子供にはきちんと勉強させ、学歴をつけさせれば、大企業に就職できるなど、きちんと報いをうけられる、という将来見通しがありました。これは「努力保証社会」といってよい状況でした。

 ところが、ご承知のとおり、現在、そういうことが当てはまらなくなってきています。社会の動きがどんどん速くなってきています。人々の意識も変わってきていて、短期的な見返りを求める人が多数になってきています。

 たとえば、これは私の大学のある学生の話なのですが、彼女が「マスコミに就職したい。どうすれば入れますか」と聞くので、「マスコミ塾に行ったり、新聞をとったり、そういう情報ののっている雑誌などを買って、勉強したり対策を考えたら?」と答えました。すると、「それで受かる保証ってあるんですか?」。「保証はない」と私が答えると、「じゃあ、やめます」と。たとえ、マスコミの試験に受からなかったとしても、そのためにした努力が、10年、20年経ったときに役に立つ、という考え方が、今の若い世代にはできないのです。「そうやって無駄になったらどうするの?」と。

 こうした短期志向は、実は若い人にとどまりません。企業でも、成果主義が導入されたところでは、「自分が部長であるあいだに、成果が上げられればよい」という思考にならざるをえなくなってきています。

 では、そういうことがおこってきたのはいつからか。『パラサイト社会のゆくえ』で、「一九九八年問題」と呼んで、たくさんグラフを入れたのですが、自殺率、不登校児童数、児童虐待相談処理件数、フリーター数などが、1998年ごろを境に急上昇しています。前年末に、北海道拓殖銀行や山一證券の倒産などがあって、「大企業でも倒産する」「確実な保証などない」と、人々の意識がかわっていったことが原因ではないかと思います。そして、個別企業をみても、98年から、「賃上げしない」「賃下げ」の企業が急上昇していて、この98年から日本は「ニュー・エコノミー」に入ったと私は解釈しています。

「勝ち組」も幸せでない?

 最近、IT業界の若い人と話をする機会がありました。IT業界で働く人自体はうんと増えていますが、このなかで、給料の二極化がおきています。さらに、その「勝ち組」といわれるほうの人も、必ずしも幸せでないようなのです。私が話をした人は、30歳くらいの、ゲームメーカーのデザイナーで、年収が1千万円あるそうです。でも、「将来は安心とはいえない」というのです。「はたして10年後、自分が勤めていられるか、自分の居場所があるかわからない。会社があるかどうかもわからない。いくら稼いでも不安で不安でしょうがない。自分は結婚しているけれど、子供をつくっても育てられるかわからないから、子供をつくるのをひかえている」、と。

 年収1千万円の人が「将来の保証がない」といっているのだから、年収100万円、200万円のフリーターの人の将来がどうなるかは、予想できないと考えるほうが自然です。

 今の若者がおかれた状況は昔の若者がおかれた状況と異なり、予測がつかないのです。前近代は、職業選択の自由がないかわりに、予測のつく社会でした。近代になると、職業の選択や、どんな人と結婚するか悩むけれど、悩んで決断したあとは、安定した生活が待っていました。これは今から15年前くらいまでの状況です。それが今は、先ほどから何度も述べているように、若者にとって将来の見通しがきわめて不確実となり、リスク化、二極化しています。

リスク化社会の被害者

 たとえば、離婚を例にとってみましょう。ちょうどこの「ウェブちくま」で今、「データで読む日本の男女関係」という連載をやっていて、私がそのとりまとめをやっているのですが、その第2回で書いたように、90年代以降、離婚が増えて、21世紀に入ってからは、結婚数のほぼ3分の1に達するようになっています。

 また、11月22日号の「週刊エコノミスト」でも書いたのですが、「離婚経験者が離婚を考え始めた時期」を調査したところ、離婚経験者の女性の73.1%が結婚後「5年以内」であるのに対し、離婚経験者の男性で「5年以内」は33.4%。一方、同男性の40%が「考えたこともない」と回答しています(同女性でこの回答の人は5.8%)。つまり、「いきなり離婚をつきつけられる」男性がかなりいる、ということです。

 離婚に限らず、職業にしても、大学を出ても安定した職につけるとは限らない、という状況になっているのはご承知のとおりです。政府で経済改革をすすめた人たちは、「そのうち、みんなリスクを計算して合理的に行動するようになる」というのですが、果たしてみんながみんな、リスクを計算できるのでしょうか。

 私はこんな例をだして反論します。司法制度改革の一環として「法科大学院」というのがあちこちの大学につくられましたが、その定員合計は約6千人です。ところが、司法試験の合格者は今後増やしていっても、2千人~3千人どまりで、4、5年後から、法科大学院を出ても一生法曹になれない人が毎年3千人ずつ積みあがっていくことになります。

 制度改革をした人たちは、「成績の悪い大学はつぶれていくというかたちで、市場がすべて解決してくれる」といいます。でも、そうした大学がつぶれるまでの過渡期に、被害を受ける人が何千人規模で毎年生じるのです。

フリーターはなぜ小泉首相を支持するか

 経済学者の金子勝さんは、「小泉構造改革でいちばん被害を受けたはずのフリーターの人がなぜ総選挙で小泉自民党を支持したのか」と疑問を呈していますが、私は、小泉首相がフリーターの人たちに夢をみさせてくれるから、彼らが小泉自民党を支持したのではないかと思います。

 実際、小泉チルドレンの一人、今回当選した中で最年少議員の杉村太蔵君は、「もし夢をもてないという人は、なぜ夢を持てないのでしょう? 我こそはフリーター、我こそはニート、という皆さん。僕に語ってくれませんか? 一緒に考えてみませんか?」と呼びかけています(http://sugimurataizo.net/2005/12/taizogakikitai.html)。

 今年(2005年)4月にNHKの「日本の、これから――格差社会」というスタジオ生番組があり、私も出演してホリエモン(堀江貴文・ライブドア社長)の隣に座りました。そこで、ホリエモンは「頑張ればオレみたいになれる」と言っていましたが、おそらく大多数の人は、彼のようにはなれないでしょう。

 ベンチャー経営者ということでなくとも、自分の入った会社で頑張っていれば、順調に階段をのぼっていく、というモデルはとうに崩壊しています。昔は、中卒、高卒で、単純労働者として就職しても、熟練していけば係長、職長等になって、いつかは独立して工場がもてる、というような希望をもつことができました。でも、今は、そういう単純労働はアウトシーシングして、アルバイトがやる、ということになってきています。アルバイトは、当然ながら昇進しません。

 「努力保証社会」が崩壊したから、かなう確率の低い「夢」をみざるをえなくなります。フリーターをしながら、ロックスターを目指す、30歳すぎても、プロ野球の入団テストを受けつづける、等々。

「宝くじ」に頼るしかない

 女性の場合、安定した職業・高収入の男性と結婚する、という夢が根強くあります。私の知人で、地方の女子短大の先生をしている人がいて、その先生の「社会保障論」の授業の中で、私の本などを教科書として使ってくれています。毎年その授業の中で、「自分の人生設計と、そのための資金計画を書きなさい」というレポートを提出させるそうです。そのレポートの典型は、次のようなものだそうです。

 まず、25歳で幸せな結婚をする。なぜ、25歳なのか、と問うと、「若いママと呼ばれたいから」。30歳で5千万円の家を買う。では、その資金計画は、というと、「共働き」とは誰も書いていない。毎年、何人かの学生がかならず「宝くじに当たる」と書いているそうです。毎年100人くらいの受講者のうち、4、5人がそう書いているというのです。

 中には、「人生で3回宝くじにあたる」と書いていて、人生の金銭上の難問はすべて「宝くじ」が解決してくれるとまじめに思っている人がいる、ということを聞いて、私は愕然としました。でも、これは笑えない話かもしれません。年収1千万円の人と結婚できる確率は、宝くじに当たるようなものかもしれませんから。

 別の先生は、授業で「離婚したり、夫が失業するリスクが高まっているのだから、君たちも働かないといけない」と諭すそうですが、そうすると「だから、私も安定した人と結婚しないといけない」と。これでは、授業の意味はなんだったのか、ということになるのですが……。

 今はまだ、夢をみていられる状況ともいえます。(1)パラサイトできる親がいる、(2)アルバイトや派遣の仕事なら沢山あるから、とりあえずお小遣いには困らない、(3)ケータイやネット世界に、自分を評価してくれる人がとりあえずいる。

 これらの条件、とくに(1)の条件が失われたときに、どうなるかは想像がつきます。あるテレビ番組で、生活保護をもらっている若い女性のルポがありました。「調子が悪い」といって病院に行って「うつ病」と診断してもらえば、生活保護をもらうことができるので、その生活からぬけられない。彼女を責めることはできません。努力をしても報われないという環境ができてしまっているから、後退せざるをえない人がでてきます。

 昔にもどれ、というのは非現実的です。学校や家庭、企業などが個々の現場で、短期思考がいいのかどうかもう一度考えなおし、努力が報われる場所をつくっていかなければなりません。

*本稿は、2005年12月6日に学士会館で行われた山田昌弘氏の講演(筑友会主催)をもとにまとめたものです。

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