piece of resistance

13 物語

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 近所のスーパーマーケットで買いもの中、ワゴンに積まれたトマトのパックに目を引かれ、あなたはふと足を止める。
 ぱつんと果肉がしまった真っ赤なトマト。その脇には、「絶品トマト誕生秘話!」と題した手書きのプレートが掲げられている。
「このトマトは、宮城県で有機農業に身を投じた宗形甚一郎氏が、トマト好きの奥さんのために自ら改良し、試行錯誤を重ねた末に生みだした逸品です。甘くてかたい、まろやかながらも野性味のあるトマト――奥さんの理想の追求には、なんと20余年の歳月が費やされました。そして、ついに奥さんも納得のトマトを完成させたその年、甚一郎氏は突然の病に倒れ、あの世へ召されました。最愛の妻に理想のトマトを残して――類いまれなる夫婦愛の結晶を、どうかご賞味ください!!」
 プレートからトマトへ目を戻すと、パックには『愛の奇跡! ジンイチロー&ヨーコ』なるシールが貼られている。あなたは静かに首をふり、ワゴンの前を通りすぎる。

 銀座で映画を観た帰り、ぶらりと立ち寄ったデパートのジュエリーコーナーで、あなたはふと目を吸いよせられる。
 陳列棚に飾られたリングが冠する三角形の石。淡い緑色に照り輝くこれは何の石なのか――しげしげ見入っていると、棚ごしに店員が語りかけてくる。
「その子、『愛の木漏れ日』って名前なんですよ」
「アイノコモレビ……」
 オウム返しにぼうっとくりかえすも、実際のところ、あなたは石の名前よりも、彼女が口にした「その子」のほうにより違和感をおぼえている。
「うちの子たちにはすべて、デザイナーのインスピレーションから来た名前がつけられているんですよ。この繊細なあわあわとした緑色、まさしく、風薫る初夏の新緑あふれる森の木漏れ日のようだとお思いになりませんか」
 棒読みで迫られ、あなたはますます棒立ちになる。
「正確には、デザイナーの出身地である英国ロンドンのゴルダスグリーンという町の公園の木漏れ日をイメージしているそうです。ええ、うちのデザイナーは帰国子女でして、少女時代をそのゴルダスグリーンの町で過ごし、晴れた休日にはよく家族で公園にくりだしては、日光浴を楽しんでいたと……ご存じのとおり、イギリスは雨の多い国ですから、そのぶん太陽は貴重だったのでしょうね。その生命の源たる光と熱に、デザイナーは異国で生きぬく力を与えられたと言います。つまり、『愛の木漏れ日』はデザイナーから日本の皆さんへの、生きるエネルギーのお裾分けですね。ちなみに、リングのアームに施された模様は、デザイナーのお母さまが愛された裏庭の草花を模したもので、これもまた一つの愛の象徴と言えるのではないでしょうか」
 語るだけ語った店員は満足げににっこりとほほえみ、あなたの同意を求めるように首をかたむける。あなたは一歩退き、決然と首を横にふり、脱兎のごとく化粧品売り場へ立ち去っていく。

 担当者お薦めのパーソナルカード5枚のうち、49歳バツイチ年収850万円会社員のそれに、あなたの食指が動く。
  波瀾万丈の対極にあるような平々凡々とした顔立ち。危険な香りのしない男など男ではないと豪語していた過去は遠いものとなり、今のあなたが男に求めるのは老後の安心だけだ。妥協。妥協。妥協。自分に言いきかせながら「この方……」とデータを示したあなたに、担当者が「まあ」と妙に声を湿らせる。
「さすがね。あなたは獣道(けものみち)さんを選ぶんじゃないかって思ったわ。やっぱり、わかる人にはわかるのね。あなたと一緒で、獣道さんも、けっこうな苦労人なのよ。なんたって、先祖代々マタギのご家系で、ご先祖様のほぼ全員がツキノワグマとの対決で亡くなっているんですって。獣道さんは三男だから、今のところはサラリーマンをされているけど、それでも、3日に一度はツキノワグマの夢を見るそうよ。長男に次いで次男もやられた日には、自分が跡を継ぐしかない、でもせめてその前に家庭のぬくもりを知りたいと……私、この仕事をはじめて20年になるけど、これほど商売ぬきでいい方を紹介したいって思ったことはないわ。ね、どうかしら、獣道さん。ツキノワグマが宿敵だなんて、母性本能をくすぐられない? これほどドラマティックな運命を背負った方とは、あなた、二度と出会えないわよ」
 その声はもはやあなたに届いていない。51歳バツイチ子持ち自営業年収700円万のパーソナルカードへ食指を移しつつ、あなたは胸中、決意を新たにして いる。世にはびこる「物語」の押し売りに断じて屈しはしない、と。
 

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