世の中ラボ

【第84回】LGBTといまどきの小説

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2017年4月号より転載

 最近急速に普及した横文字の略語に「LGBT」っていうのがある。分解すれば、レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)、トランスセクシュアル&トランスジェンダー(T)。同性愛者や性転換者などの性的マイノリティーのことである。
 で、ここからが本題。こないだ、ふと思ったのだが、空前のベストセラーになった吉本ばななのデビュー作『キッチン』(一九八八年)ってLGBT小説のハシリだったんですよね。
 主人公の「私」こと桜井みかげは大学生。祖母と二人で暮らしてきたが、祖母が他界した後、祖母が親しくしていた田辺雄一の家に転がり込む。田辺家は母ひとり子ひとり。母のえり子さんにはじめて会った日、「私」はあまりの美しさに息を呑む。〈肩までのさらさらの髪、切れ長の瞳の深い輝き、形のよい唇、すっと高い鼻すじ――そして、その全体からかもしだされる生命力の揺れみたいな鮮やかな光――人間じゃないみたいだった〉。
〈「みかげさん、うちの母親にビビった?」〉と問う雄一。頷くみかげに「だって」と雄一は笑いながらいったのだ。〈「整形してるんだもの」〉。〈「しかもさあ、わかった?」本当におかしくてたまらなそうに彼は続けた。「あの人、男なんだよ」〉。
 妻(雄一の母)の死後、性別を変えた父。〈母が死んじゃった後、えり子さんは仕事を辞めて、まだ小さなぼくを抱えてなにをしようか考えて、女になることに決めたんだって。(略)半端なことが嫌いだから、顔からなにからもうみんな手術しちゃってさ、残りの金でその筋の店をひとつ持ってさ、ぼくを育ててくれたんだ〉。
「ほんまかいな」な話だが、そこはオハナシだから目をつぶるとしても、ついわき上がる数々の疑問。えり子さんの性的アイデンティティーはどうなってんの? 女装は単なるビジネスなの? おそらく当時の認識では、異性装者は「ちょっとステキなおもしろい人」という程度の存在。それでみんな納得できたのだろう。
 では、三〇年後の現在はどうか。最近出版された数作品を読んでみよう(以下「ネタバレ」ありなのでご注意を)。

ふたつの新人賞デビュー小説
 伊藤朱里『名前も呼べない』は二〇一五年の太宰治賞受賞作。これは書評するのがやや難しい小説だ。
 語り手の「私」こと中村恵那は二五歳。保育士の資格を持っているが、保育士として働いたのは短大卒業後の一年足らずで、三ヶ月前に会社を辞めるまでは電機メーカーの契約社員だった。
〈恋人が授かった初めての娘は、まもなく生後二ヶ月になるところだった。私はそのことを、前職の同僚に呼ばれた新年会で聞かされた〉という一文から物語ははじまる。知らない間に恋人に娘が生まれていたということは……。彼女はショックを隠しきれない。
 それを聞き、短大の保育科の同級生で、保育士をやっている親友のメリッサは激怒した。〈ガキが出来るって結構なことよ? 潜伏期間込みとはいえ半年以上も気づかなかったってどういうことよ、短大で何勉強してきたわけ? この鈍感女〉。
 恵那は恋人との関係を反芻する。〈恋人との関係は、入社してすぐの頃から、どちらからともなく始まった〉。〈家庭を大事にする人だということは、最初から分かっていた〉。〈あの人の帰る場所を壊したり、邪魔をしたりする気にはなれなかった〉。
 要は不倫関係だったらしい。
〈宝田一行主任は私より二十歳上。私が契約社員として勤めた小さな電機メーカーの社員で、経理担当で一番の古株だった〉。〈自宅の一室をピアノ教室にしている十歳年下の妻と、四歳の息子と三人で暮らしている〉。そして〈実のところ、私はそのピアノ教室に通っていた〉。しかも〈亮子さんのピアノ教室を紹介してくれたのは、他ならぬ宝田主任だった〉。亮子さんとは、主任の妻の名前。面倒くさそうな三角関係ではあるけれど、正直、タルい不倫小説だなあという印象は否めない。
 ところが、小説の景色は途中で一変するのである。語り手が「恋人」「あの人」と呼ぶ不倫相手とは誰なのか。
〈「亮子さん」/私は恋人の名前を呼んだ〉。
 この一言で、読者はハッと気がつく。恵那の不倫相手は宝田主任ではなく、妻の亮子さんだったのだ! 親友のメリッサがもとは「林くん」という男だったことも途中で明かされ、性にまつわる常識が、ここでは幾重にも解体されることになる。
 もう一編、二〇一六年のすばる文学賞受賞作、春見朔子『そういう生き物』。『名前も呼べない』よりは幾分あっさりしているが、この小説も一種の「だまし」を含んでいる。
 物語は、高校の同級生だった千景とまゆ子が一〇年ぶりに偶然再会し、千景の部屋で同居生活をスタートさせるところからはじまる。千春は調剤薬局に勤める薬剤師。まゆ子は叔母が経営するスナックで夜だけ働いている。〈誰かと一緒に暮らすなんて、想定して生きてなかった〉のに「じゃあうちに住めば」と心ならずも提案してしまった千景。千景の提案に狂喜し、〈千景と暮らせるなんて思わなかった。そんなのはほとんど夢みたいなことで、夢みたいなことがいつか夢じゃなくなるなんて期待を膨らませることは、もうとっくにやめていたのだ〉と告白するまゆ子。
 どうもまゆ子は、一〇年前から現在まで千景がずっと好きらしい。部屋をシェアする女同士の何気ない日常。と見せかけて……。引っ張ってもしょうがないので答えを明かしてしまおう。
「独身ですか?」「彼氏は?」「もしかして、男が嫌い、とかだったりしますか」「女の人が好き、ってわけじゃないですよね?」。スナックの客のたたみかけるような質問にウンザリしたまゆ子はいい返す。「性別は訊かなくていいんですか?」「あたし男なんですけど、それはよかったですか?」
 そして千景は報告するのだ。〈高校生の頃、まゆ子は学ランを着ていた〉。小柄で中性的な顔立ちだったが、学ランが不自然に見えるほどではなかった。〈だからつい、男だと思ったのだ。いわゆる、うっかりミスだ〉。どういうことかといいますと、高校時代の(男だったころの)まゆ子は、千景の恋人だったのである。

まったく違う、翻訳小説
 二つの小説が、性別や恋愛にまつわる「世間の常識」を逆手に取ることで成立しているのは明らかだろう。作中人物の性別をわざと隠すことで、作者は読者をだまし、困惑させてやろうと意図している。「常識」にとらわれた読者もうっかりだまされる。
『キッチン』では「意匠」でしかなかった性別が、ここでは当事者が語る物語の中心的なモチーフに昇格している。でも、なんなんですかね、この淡~い感じは。どちらの作品でも性行為は回避され、相手との関係は曖昧なままに先送りされる。
〈私はさ、自分の心が女だなんて思ったことないんだよ。性別なんて体のことしかわからないし、もうできあがっちゃってる決まりごとに順応して生きてるだけだよ。まゆ子は自分が女だっていう自覚があるの?〉と問う千景。〈そんな自覚は、あたしもないよ〉と答えるまゆ子(『そういう生き物』)。
「多様な性」や「性の越境」を描いているはずの二作は、むしろ「脱性化」を目指しているように見えるのだ。いいじゃない、性別なんか何だって。そうだよね、好きならば。そんな感じ。
 LGBTと一口にいっても、これは性自認(自分は男か女かという性的アイデンティティー)と、性的指向性(恋愛相手は異性か同性か両性かというセクシュアリティー)とが混在した概念である。そのへんに深入りすると厄介だから避けて通るという判断?
 最近読んだ翻訳小説で、非常におもしろかったのがジャッキー・ケイ『トランペット』である。これもLGBT小説なんだけど、日本のそれとはいろんな意味で違っている。
 ジョス・ムーディという人気ジャズ・トランペッターが死を迎えるところから物語ははじまる。母はスコットランド人。父はアフリカ人。彼は一九九七年に七〇歳の人生を閉じるまでに一四枚のアルバムを発表し、私生活でも愛する妻と一人息子に恵まれた。
 はじめて出会ったときの印象を、妻は〈彼の服装はきちんとしていて、びっくりするぐらいハンサムで、高い頬骨が彫刻みたいに整った、誇り高い印象だった〉と振り返る。二人はたちまち恋に落ちるが、ジョスはいつまでたっても肉体関係を持とうとしない。なぜならば……ジョスの身体は女性だったのだ!
 遺体を点検した葬儀屋、死亡診断書を手にした戸籍係、大騒ぎになるマスコミ、戸惑うバンド仲間、ジョスの伝記を書こうと企むライター、少女時代に「娘」と決別した母……。性別の秘密をあくまでも隠し、完璧な男性を装って生きた主人公の一生を、多様な証言から小説は描き出す。とりわけ三〇歳をすぎて亡き父の性別を知った息子(養子)の困惑ときたら。MTF(男性から女性へのトランスジェンダー)とFTM(女性から男性へのトランスジェンダー)の違いこそあれ、ジョスの意識的な生き方は、えり子さんやメリッサやまゆ子の曖昧な感じとは対極にあるものだ。
 日本の少女マンガや耽美小説は、今日のボーイズラブ小説まで含め、もともと「性の越境」と親和性が高かった。『名前も呼べない』『そういう生き物』が『キッチン』と同じく新人文学賞を受賞したデビュー作なのは偶然だとしても、これらもまた少女文化の延長線上で書かれたのかもしれない。当事者の視点で性を見つめ、ジェンダーの規範にゆさぶりをかける二作はしかし『キッチン』の明らかに先を行っている。三〇年で意識はやはり進化したのである。

【この記事で紹介された本】

『名前も呼べない』
伊藤朱里、筑摩書房、2015年、1300円+税

 

〈元職場の女子会で知らされる恋人に娘が生まれたこと。その本当の意味に触れたとき/あなたの「常識」は揺らぎはじめる〉(帯より)。一見よくある職場の先輩と後輩の不倫小説……と見せかけて、途中で明かされる衝撃の事実。恋人は女性で、親友は元男性。せつない恋愛感情、男への嫉妬、母との確執などを織り込んで、叙述ミステリーを読む楽しさも味わえる。第31回太宰治賞受賞作。

『そういう生き物』
春見朔子、集英社、2017年、1300円+税

 

〈そばにいるのに、わかりあえない二人。わかりあえないのに、歩み寄る二人〉〈「生」と「性」のままならなさを印象的にすくい上げるデビュー作〉(帯より)。一見よくある仲良しの女同士の物語……と見せかけて、途中で明らかになる隠された過去。「彼女」がまだ「彼」だった頃、二人は恋人同士だった。偏見のない小学生やカタツムリがいい味を出す。第40回すばる文学賞受賞作。

『トランペット』
ジャッキー・ケイ著/中村和恵訳、岩波書店、2016年、1800円+税

 

〈「おれのお父さんはあなたの娘だったんです」〉〈実話にモデルをとった、驚愕のストーリー。現代スコットランドを代表する作家の傑作、ついに邦訳!〉(帯より)。人気トランペッターの死後に明かされた「彼」の性別。長い包帯で胸をぐるぐる巻きにした「彼」は、それでも幸せな家族を築き、充実した人生を生きた。しかし秘密を知った周囲の反応は……。原著は一九九八年刊。

PR誌「ちくま」4月号

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