荒内佑

第7回
震災時の東京の話

今、注目のバンドceroのメンバーとして多くの楽曲で作曲、作詞を手がける荒内佑が、<日常>とそこに流れる音楽の話を綴る初めての連載が「webちくま」にて大好評、公開中です。 更新は毎月1回、第4水曜日になります。


 本来ならばこういった記事は3月にアップするのが妥当だろう。というのも、東日本大震災の話だからだ(そしてこれを書いているのは4月14日、熊本地震から1年である)。正直に言えば多少の迷いがあったので今月になってしまった。なぜなら、いまや「震災」というワードは、それと音楽や文学、映画を結びつけただけで、何か言ったような気になってしまう言葉だからだ。全てダメだとは思わないが「あの日」という決まり文句と共に語られる詩的な表現にも、昨今のトレンドと言ってもいい『シン・ゴジラ』と『君の名は。』に結びつけられる言説にも懐疑的だ(後者は未見だが)。仮に『シン・ゴジラ』が震災を想起させるとしても、例えばドラマパートの描写は軽妙過ぎるし戯画的で、あれがリアルだとは到底思えない。そこから世相を読み解くなんて無理な話である(念のため言っておくと作品に対するディスではない)。そして当連載の軽薄さの中で震災について書いていいのかという迷いもある。しかし、先に言っておくと今回は第一回の変奏、つまり論旨は変わらないと思う。


 3月になるとテレビ各局では追悼番組が組まれ始め、ネットを開くと「あの日から○年」というニュースの見出しが並ぶ。被災者や遺族の人々のその後を追ったもの、避難生活者の現状、復興の状況、廃炉まであと何年かかるか、歌による追悼番組。こう書くと文句でもあるかのようだが断じて違う。言わずもがな、それらがどんな情報を流そうが、自分の趣味ではない音楽が流れようがそんなもの関係なく、人々の記憶装置として、また、誰かにとっての癒しとして機能する限りどれも必要なものだ。しかし、年々語られなくなっていると思うのは、被災地から離れた場所のこと、自分個人にとっては震災時の東京のことだ。当然だと思う。被害が少ない東京の人々が体験したことなんて取るに足らないだろう。もちろん東北に家族や友人を持つ人々を無視する訳ではないが、震災の後に散見された東京を巡る文章は新たな考え方のヒントになるのも事実だった(例えば身内で申し訳ないが、磯部涼と九龍ジョーの共著『遊びつかれた朝に――10年代のインディ・ミュージックをめぐる対話』には計画停電下の「暗い東京を楽しむ」という話がある)。


 震災の日、帰宅難民の流れと逆行するように自転車でバイト先から帰宅した。道すがら確認した自販機のミネラルウォーターは全て売り切れだったので、テレビで状況を確認してから自宅付近にある比較的人目につかない自販機を目指した。すると、同じく水を買い求めにやって来た同年代と思しき女性と出くわした。「交互に買います?」「そうしましょう」という短いやり取りの後、一人が小銭を自販機に入れ水を買い、もう一人は横でそれを見ている、というのをひたすら繰り返す。時折千円札を入れると、ジャラジャラと釣り銭の音が響く。一人が一度に買ってそれを後で精算した方が効率良いんじゃないか、ここは彼女に譲った方が良かったのだろうかとか考えているうちに売り切れのランプが点灯し、急いで家に戻り、またテレビをつけた。


 このことを今、笑い飛ばして良いのか悪いのか自分にはよく分からない。テレビとツイッターで被災地の状況を無心で見る傍ら、台所には買って来たミネラルウォーターが山積みになっている。自分の部屋と東北の状況は断絶しているのだろうか。「自販機で水を大量に買うこと」はシビアな急務なのか、滑稽なことなのか、その判断は誰も出来なかったはずだ。被災した人々を侮辱する訳でも、懺悔をして自分を肯定したい訳でもない。しかし、圧倒的に不均衡な世界に我々は生きている。この状況は自分だけではなく、被災地から離れて暮らす多くの人々が経験したことだ。こんなことをわざわざ書くのは後ろめたい。だから、震災時に非被災地の人々が経験したことは日に日に語られなくなっている。


 その後、デモにおいても、SNSにおいても痛感したのは、日本人の怒りを体系化することの不得意さだ。直情的な怒りは持続しない。パッション「だけで」行動するのはまとまった論理を生み出さない。デモが悪いとは思わない。叫ぶのも時には必要かも知れない。追悼番組も追悼のニュースもあるべきだ。だが、持続して何かを考え続けるためには、愚かな我々は(不謹慎ながら少しの喜びと)自分の足元にあるリアルを見定めないといけない。少なくとも自分の場合、それは自販機でひたすら水を買っていたことや、計画停電/節電で暗くなった東京で感じてしまった居心地の良さを再び想起することだ。テレビとネットの情報に涙し、心を痛めるだけでは、被害が少なかった人にとって、震災は3月になると思い出す遠い異国の出来事であり続けるだろう。