妄想古典教室

第七回 死ぬのが怖い

 源信は、極楽を求める欣求浄土(ごんぐじょうど)の第一として聖衆来迎の楽を説き、死について次のように述べている。

 

 悪業の人の命尽きるときは、熱があがって苦しみが多いが、善行の人は、苦しみがない。その上、念仏の功徳を積んでいれば臨終のときに大いなる喜びにつつまれるのだ。というのも、阿弥陀如来が、様々な菩薩、百千の比丘衆とともに光明を放って眼前に現れるからである。観音菩薩は蓮台をささげ、勢至菩薩は手をとってくれる。だから、うれしくなって安心して死ぬことができるのである。まさに知るべきは、死して目をつむった瞬間にもうあっという間に極楽に往生しているということである。

 

 まず死に際に熱があがって苦しむ人は悪業の人だとされている。そうすると『平家物語』に七転八倒して「あっち死に」したと伝えられる平清盛は極楽往生できなかったということになるだろう。死に際に苦しんでいる様子は、地獄に半分足をつっこんで、すでに地獄の苦しみを味わっているかのように妄想されたものと思われる。反対に死に際が静かであれば、善行の人ということになって、極楽往生の確証も高まるわけだ。

 平安貴族は、リタイア後に出家して、在家のままで念仏を唱えたりするのが一般的であったが、それというのも念仏をしっかり唱えていれば臨終のときに阿弥陀と菩薩たちが迎えてくれると『往生要集』に説かれているからなのである。阿弥陀と菩薩たちが光を放ちながらやってくるとき、死にゆく人は喜びに満たされる。臨終の瞬間に極楽に生まれ変われるのなら、地獄をみることもない。阿弥陀来迎さえあれば、死の恐怖から逃れられるのである。なんとすばらしいことだろう! というので、阿弥陀来迎の様子は繰り返し絵画化され、彫像にあらわされ、おまけに法会の一環として演劇化までされたのである。

 源信は『往生要集』において、極楽往生のための心の準備として「観想」という方法を示しているのだが、それはつまり、妄想力を働かせて極楽世界を思い描くための訓練なのである。たとえば「美しく飾られた蓮華を妄想して、次に阿弥陀仏がその蓮華台の上に坐していらっしゃるところを妄想せよ、それからその仏の身体が百千万億の金のようであるところを妄想せよ」などと述べていて、要するに阿弥陀仏の彫像を前にして、その仏像が表現しているはずの壮大な世界を自在に思い浮かべられるようにならねばならないのである。これは簡単なようでいてなかなかに難しそうだ。それで手っ取り早く、臨終の作法に従っておくことにするのだが、これもまた西に顔を向けた状態となるように床をのべ、念仏を唱えていればよいというものではなく、臨終の床でもやはり聖衆が迎えにくるところを妄想しなければならないのである。こんなわけだから、よくよく阿弥陀来迎のさまをイメージトレーニングしておき、死に際の朦朧とした意識のなかでもはっきりと阿弥陀来迎を思い描けるようにしておく必要があったのである。

 そのために阿弥陀来迎をかたどった美術も数多くつくられた。それらはイメージトレーニングの成果でもあり、かつまたイメージトレーニングを手助けする道具でもあったわけである。トレーニングの成果あって、夢に阿弥陀来迎をみたという人の記録はこの時代に続出するようになる。死にゆくときにその人がいったい何を感じ、何を見ているのかは、本当のところ誰にもわからないわけだから、あらかじめこの世に存在するイメージを寄せ集めるかたちでしか想像することはできない。だから死にゆく者の見ているヴィジョンもまた、美術作品によるイメージによってかたちづくられることになる。

 実際に、源信の死は、源信在世のうちに行われていた阿弥陀来迎を演劇化した迎講(むかえこう)の様子に重ね合わされて理解されている。小原仁『源信』(ミネルヴァ書房、2006年)によると、源信の死に際して、弟子、能救(のうぐ)は次のような夢をみた。

 

源信の左右にはいく人かの僧が並び、姿形も衣装も美麗な四人の童子が僧と並び立っている。それはあたかも横川の迎講を眼前に見ているようだった。(中略)源信は「小さな童子は前に、大きな童子は後ろに」などと指示していて、やがて整列し終わると西に向かって歩き出す。能救は夢の中で、西に行くのは極楽浄土を目指しているのであろうから、地上を歩いていくのは解せないなア、と訝っていたが、一行はすぐに地面を離れ空を踏み、口に「超度三界、超度三界」と唱えつつ西に向かい去っていった。

 

 源信の死してゆくさまは、極楽往生を演劇化したはずの迎講という儀式をとりしきっている様子としてイメージされているわけである。阿弥陀に迎えられる死を妄想的に再現したものが、そっくりそのまま死出の道のイメージとして置換されているのである。阿弥陀来迎をイメージ化した世界が、妄想的な死そのものなのだから、それを描いた美術がいくつもつくられるのは、ごく自然のなりゆきであった。

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