piece of resistance

14 教え

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

「ねえ、あなた、知ってた?」
 その夜、遅い時間に帰宅した夫の浩に温めなおした夕飯を供しながら、啓子はその日一日、誰かに言いたくてむずむずしていた話を切りだした。
「鎌倉幕府が成立したのって、1192年じゃなくて、1185年だったんですって」
 さも世紀の大発見のごとく告げるも、浩はなすとみょうがの味噌汁をすすりながら、「ふうん」と気のない声を返す。
「また怪しげなネット情報じゃないのか」
「ちがう、ちがう。教科書よ。教科書にそう書いてあるの。私、腰ぬかしちゃった。翔太の教科書を見てたら、私が習ったのとぜんぜんちがうことが書いてあるんだもの。イイクニツクロウ頼朝さん、は間違いだったってこと。そんなの今さら言われても、じゃあ、頼朝は何をつくったんだって話よねえ」
「鎌倉幕府さ。そこは不動の事実だ。細かい部分は学問の進化とともに移ろっていく。それが歴史ってもんだろう」
  五目ごはんを口へ運びながら、浩が醒めた声を出す。
「それだけじゃないのよ。なんだか気になっちゃって、私、調べてみたんだけど、今の教科書、昔とちがうとこだらけなの。私たちが子どものころに教わって信じてきたことが、つぎつぎと覆されてるのよ」
 ツナサラダへ箸を移す浩の前で、啓子は一人、興奮の声をあげつづける。
「たとえば、世界最大級って言われる仁徳天皇陵だけど、今の教科書じゃ、この名称が使われてないのよ」
「どういうことだ」と、味噌汁をすすりながら、浩。
「あんまり大声じゃ言えないけど、仁徳天皇のお墓じゃなかったみたいよ。少なくとも、別人って可能性が高くなってきたってこと。いくらなんでもお墓を間違えるなんて、うっかりしすぎじゃない?」
「人間のすることに絶対はない」と、五目ごはんを噛みしめながら、浩。
「大化の改新も然り、よ。蘇我入鹿が暗殺されたのって、じつは645年じゃなくて、646年だったんですって」
「1年くらいは多めに見てやれよ。誤差の範囲だろ。蘇我入鹿が645年に死のうが646年に死のうが、今となっちゃ誰も困らない」と、サラダのきゅうりをぽりぽりかじりながら、浩。
「1年どころじゃないのが、人類の起源よ。私たちの世代って、人類が地球上にあらわれたのはおよそ100万年から200万年前って教わったじゃない。それが、今の教科書じゃ、500万年前に変わってるの。それも多めに見ろってわけ?」
「300万年の誤差か。壮大だな」と、味噌汁をごくりとやりながら、浩。
「感心してる場合ですか。あげくの果てに、江戸時代の鎖国もじつはなかった、なんて話にまでなってきて……」
「それだけ学問が進んだってことだろう。かつては知り得なかった事実が明かされてきた。人類向上の証と思えばいい」と、ペースをあげて五目ごはんをかっこみながら、浩。
「じゃ、鎖国が閉鎖的な島国気質をつくったっていうのは、真っ赤な嘘だったのかしらねえ」
 サラダ皿に残された苦手なトマトと格闘する浩をながめながら、啓子は深々と嘆息した。
「まだあるのよ。江戸時代の『士農工商』も、じつは、近代につくられた概念だったんですって。武士もお百姓も商人も職人も、実際はみんな横並びの関係で、序列はなかったって話になってきてるみたい。うちなんか、親が商売やってたもんだから、『士農工商』の話になるたびに、さんざん肩身の狭い思いをしたっていうのに」
「人間のすることに絶対はない」と、味噌汁のなすを探しながら、浩。
「あなた、それ言うの二度目よ」
「すべては移ろう。行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。それを教えるのも教育ってもんだ」と、大事に残しておいた錦糸たまごを五目ごはんに絡ませながら、浩。
「君も、もう少し俯瞰的に物事を見られるようになるといいのだが」
  このひと言が余計だった。二杯目の玄米茶を湯飲みに注ごうとしていた啓子の手がぴたりと止まる。
「ずいぶんと進歩的な人間ぶってるけど」と、サラダへ箸をむける浩を鋭く睨めつけながら、啓子。
「私、何度も言ったわよね。三角食べが体にいいなんて、ひとむかし前の迷信にすぎないって。医学的にはなんの根拠もありゃしないのよ。むしろ最初に野菜を食べちゃったほうがダイエットにはいいんだから」
 今度は味噌汁の椀へのばしていた浩の手が止まる。ぷるぷる震えだした箸を座卓に叩きつけ、浩は「うるさいっ」と白目をむいて一喝した。
「誰がなんと言おうと、俺はばあちゃんの教えを信じるったら信じる」

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