ちくま新書

「はじめの教育」は非常勤ではつとまらない

4月のちくま新書より「まえがき」を公開します。外山滋比古さん『家庭という学校』の冒頭「はじめのはじめ」を立ち読みすることができます。

こどもの能力は放置されている

 人間は万物の霊長であるということを信じていたが、あるとき、こどもの育て方に
ついては、ほかの高等動物に劣っているのではないか、ということを考えるようにな
った。人間はわが子の育て方が上手でない。本気になってこどもの能力をのばすこと
を考えないのではないか。どうしてであろうか。
 そんなことを考えていて、こどもの最初の教育の大切さに気づいた。
 遠い昔のことはわからないが、近代になってから、人間は〝はじめの教育.を忘れ
てしまったかのようである。
  生まれて当分の間、こどもは、授乳は受ける。それで体は育つけれども、心はなに
もされないで放置されている。よくしたもので、それでもすべてのこどもに〝ものご
ころ.はつく。いわば、自然発生的なこころのはたらきで、〝ひとのこころ.に欠け
るところがあってもしかたがない。
 これは改めなくてはならない。
 どうしたら、すこやかな体と、豊かな心を育むことができるか。
 人間のこどもは未熟で生まれてくる。当分の間、なにもできないから、授乳によっ
て体を育てることに集中するしかない。
 そういう言いわけをして、こどもの心を育むことを棚上げしてきた。人類にとって
不幸な常識である。
 未熟で生まれてくる子である。手足を思うように動かすことができない。目もよく
見えないらしい。なにもできない子と思われてもしかたがないが、耳はよくきこえて
いる。生まれてくる前、母親の胎内にいる間に、親のきいているテレビの音を感知し
ていると言われるほどである。
 生まれたらすぐ耳の力を引き出してやらないと、せっかくの天賦の才能が失われる
おそれがある。
 授乳と同じくらい早く、ことばかけが行なわれるのは、たいへん意味のあることで、
すべてのこどもが、ことばを使えるようになるのも、この最初のことばかけ、きく力
の育成のおかげである。
 それは例外的で、大部分のこどもの能力は放置されているうちに枯渇してしまうお
それが大きい。
 そのように考えると、いまはほとんど何もされていない新生児の教育の重要性がは
っきりする。

家庭という学校が必要

 こどもが歩いて行かれるまで学校がないのが現状であるが、それまでのこどもの才
能を育むところ、〝学校.がしっかりしていないのは、恥ずべきことである。
学校という学校の前に、家庭という学校がなくてはいけないが、それを認める人が
すくない、というより、ほとんどない。
 それでもかつては、心ある家庭は、胎教を考えて、しつけの作法をこしらえたり、
こどもの最初の教育に心をつかった。
 ここ五十年の間に、日本の家庭は大きく変化した。社会も変わった。とくに、教育
の普及が目ざましく、かつては六年だった義務教育が九年にのび高校進学が九〇パー
セントをこえ、ふたりにひとりが大学へ行くようになった。とくに、女性の高学歴化
が進むということが現実になって、家庭という学校は大きな打撃をうけるようになっ
た。
 もともと、家庭の子育ては母親中心であったが、高学歴の女性は社会進出に魅力を
感じることが多く、家庭という学校は先生が不足する。専任ではなく非常勤の先生が
ふえる。
 そこへもってきて、少子化である。
 学校である以上、生徒がいなくては話にならないが、ひとりっ子が当たり前のよう
になって家庭という学校は生徒不足に直面する。ひとりっ子の学校など、あるわけが
ない。しかも、先生が非常勤化している。まさに、家庭という学校にとって存亡の危
機であるといってよい。
 家庭という学校の肩代わりを期待されるのは保育所である。全国的に入りたい、入
らせたいのに入れない待機児童が政治問題になろうとしているが、こどものために考
える人が、これまたすくない。保育所の所管は厚生労働省である。保育所は福祉施設
で教育の場ではない。家庭という学校の肩代わりをさせるのは筋が違う。
つまり、家庭という学校は危機に直面しているのである。未来の社会が大きく変わ
る可能性がある。ほうっておける問題ではない。
家庭という学校が荒れて、もっとも被害を受けるのは、生まれてくるこどもたちで
ある。
 しかし、幼い子は、訴えることができない。
 そういう声なき声を代弁するつもりで、この『家庭という学校』は書かれたことを
お伝えしておきたい。

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