ちくま文庫

古代ローマも日本も似たようなもの

『混浴と日本史』解説

マンガ『テルマエ・ロマエ』の作者ヤマザキマリさんから解説を寄せていただきました。

 私が暮らしているイタリアと日本には似ているところが多い。例えばどちらも南北に長い国であるとか、火山が多くて地震が頻発するといったような、地質的な面での類似点だけでなく、キリスト教が踏襲する以前の古代ローマ時代にまで溯れば、宗教的な倫理観に拘束されない国民の性質や社会性での共通点も現れてくる。
 どちらも火山国であるがゆえに温泉は至る場所で湧出し、日本人もイタリア半島で暮らして来た人々も、その恩恵にあずかって生きてきたわけだが、お湯が湧き出さない地域にも温泉的なものを作りたい、というのも古代ローマ人と日本人特有の発想だった。
 紀元前200年頃、たまたまナポリ近郊の火山性カルデラ盆地のあたりを通り掛かった商人が、地元の民がそこで温泉の蒸気を利用して療養しているのを目にして、ローマでも同じような蒸気風呂施設を作ったのが古代ローマにおける浴場文化の発端だとされている。当時のローマでは既に大掛かりなインフラ設備が整っており、街に大量の水を供給する水道が何本も引かれていた。お湯を沸かす為に窯で火を焚く奴隷も豊富にいる。そういった環境が幸いして、蒸気風呂はお湯を供給する人工温泉浴場施設「テルマエ」へと発展していった。
 そして、このような浴場施設が、国を司る政治的中枢や宗教によってどのように利用されていったのか、この本を読んでいると古代ローマも日本も似たようなものだとまた感慨深くなるのである。
 ギリシャ神話のオルフェウスにそっくりなイザナギノ命が、温泉で心身を清めながらリラックスしている最中に女性と関係を結んで沢山の神を生んだことが、禊の第一号だったというのは興味深い。宗教的倫理観も、混浴という概念も存在しなかった時代に温かいお湯の中で裸の男女が性関係を持ってしまうのは、恐らく珍しくも何でもないことだったに違いないし、そんな自然の成り行きと捉えていいイザナギの混浴が後に神道での儀式に繋がっていくことを考えると、温泉やお湯の力はやはり相当なものだと思うのである。
 やがて東大寺や興福寺に作られた浴場を通じて、寺が民衆を動かすパワーを発揮していくあたりなど、まるで古代ローマの皇帝たちが自分たちの権威を示すために、民間人のための画期的な浴場を次々に作っていた精神性とシンクロする。癒されるだけでなく、健康促進やエネルギーの補塡といった効能をもたらすお湯を、国を支える宗教や政治に取り込んでしまうという考え自体、日本列島やイタリア半島など、火山国でなければ発生しないものだろう。
 古代ローマでは都市での浴場文化が普及し始めた最初だけ、男女で使用日などを分けていたらしいが、この規律は長持ちしなかった。気がつくと、老若男女、貴族に奴隷、兵士に商人、ありとあらゆる人々が渾然一体となって利用していたという。お湯で精神を解放させれば、イザナギの禊的心境になる男女も少なくなかったようで、紀元2世紀頃、ついに古代ローマの浴場にも、ハドリアヌス帝によって初めて男女の使用時間や範囲の規制が敷かれることになった。しかし、実際にはこの規則もあまり守られていなかったらしく、この本の中でも語られているように、どうも男性の利用時間に女性が勝手に入ってきてしまうらしいのである。
 私は本著の中で記載されている「一部に熱狂的なファンを持つ」つげ義春氏の、まさに“一部の熱狂的ファン”であり、彼が著作の中で取り上げた温泉にも帰国の度に足を運んできた。その中には混浴の温泉もいくつかあったが、気がついたのは、たいていどの混浴でも女性が入ってくると男性は一斉に目を逸らし、身体の方向を変えてしまうということだ。見ていると、女性の方があきらかに堂々としているのである。
 以前イタリアからやってきた11人の平均年齢65歳のおばさんたちを連れて、北陸の温泉旅館へ泊った時、間違えて11人全員が男湯に入ってしまったことがあった。約束の時間になっても女湯に彼女達がやってこないので不思議に思って探しに行くと、別の階にある男湯の暖簾から男性達が慌てて飛び出してくるのが見えたのである。暖簾の文字が読めなかったのと、初めての温泉で日本では混浴が当たり前だと思っていたからだそうだが、いきなり11人のイタリア人女性達が、自分たちの寛ぐ浴場に突入してきた男性達のことを思うと、彼らが気の毒でならない。
 かつて某テレビ局の美術番組の中で青森県の酸ヶ湯温泉の千人風呂に浸かる私の姿がテレビで放映されたことがあった。むかしテレビで温泉リポーターをやっていたこともあるので、私にとっては入浴のシーンを撮られるのはまったく痛くも痒くもないことなのだが、その時、千人風呂には男性の入浴客しかおらず、画面に映し出された私を見た人達は「ああ、ヤマザキマリがとうとう男風呂に浸かっている」と思ったらしい。私も、イタリア人のおばさん達も決して意図していたわけではないが、女性には男湯に入ろうとする傾向があるという分析には思わず苦笑いしてしまった。古代ローマでも日本でも浴場で繰り広げられているのはどこも似たようなことなのだ。
 火山があり、温泉があり。そしてそこに浸かる男女がいたことで歴史と文化が発展してきたこの国の出身でなかったら、私が『テルマエ・ロマエ』みたいな漫画を描くことは恐らく一生涯無かったはずである。この本を読み終えて、それを強く確信した。
 

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