上田麻由子

第7回・まぼろしのオーケストラ

『ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」“勝者と敗者”』

 劇場に足を踏み入れると、そこにはすでに風が吹いている。舞台の紗幕のうえを流れゆくのは、これまで『ハイキュー!!』の物語を彩ってきた、いくつもの台詞たち。キャラクターの心情を迸らせ、人と人との絆をつないできた、たくさんの忘れがたい言葉が、風にあおられてひらひらと舞っている。

 エコーの効きすぎた、たどたどしいアナウンスが、ここがバレーボールのインターハイ宮城県予選が行われる体育館であることを思い出させる。と、ごうごうと鳴る風の音が、いつしか大きな渦となってゆき、めいめいに音を鳴らしていたオーケストラの楽器たちが、一瞬の沈黙のあと、一つのメロディを奏ではじめる。

音楽と共にある物語

 あの「ハイステ」が――あるいは出演者たちが自ら「演劇ハイキュー」とか「劇団ハイキュー」と誇りを込めて呼ぶ『ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」』が、演劇とダンスと音楽の三位一体……というよりは三つ巴で漫画の世界を表現してきた作品が、三作目“勝者と敗者”(再演を入れると四作目)にして、ついに音楽そのものをテーマとして取り上げる。そのことに気づいた瞬間の高揚感には、計り知れないものがあった。

 舞台の幕が開いてすぐ、一文字幕に映し出される「第一楽章 ザ・セッター対決」というフレーズ。ああこれは、烏野高校と青葉城西高校との試合3セットを3つの「楽章」にたとえ、3幕構成で見せるつもりだな――そんな冷静な思考は、舞台上の視覚的インパクト、つまり黄色い声援を浴び慣れた青葉城西高校の及川徹(遊馬晃祐)がキマりすぎた燕尾服姿で、そして烏野高校の影山飛雄(木村達成)が初演からわたしたちの心を撃ち抜いたあの「独裁の王様」の赤いマント姿で、それぞれ6/8拍子、3/4拍子で指揮棒を振っているのを目で追ううちに、少しずつ興奮へと変わっていく。

「セッターってよ、オーケストラの“指揮者”みてえだと思うんだよ。同じ曲、同じ楽団でも“指揮者”が代われば“音”が変わる」。原作にある烏養コーチ(林剛史)の言葉を額面どおりに受け取り、2校のセッター、影山飛雄と及川徹が指揮者となって、チームの「調和を保ちつつ、最大の効果を得られるよう取りまとめる( “orchestrate”する)」技を競う。このアイデアは、常に音楽と共にあったハイステという作品に実にふさわしい。試合のスリリングさ、チームの良い意味でのごちゃごちゃ感、思いが吐きだされる瞬間を包み込むやさしさと、勝敗を分けるスポーツのシビアさ……印象的な瞬間には必ず音楽が鳴っていたし、ミュージカルのように作曲者みずから台詞のタイミングまで意識してつくられたという、そのサウンドトラックを聴くだけでも、その感動は何度でも、色褪せることなく蘇ってくる。

喧しいエネルギー

 2・5次元作品のなかでも、とりわけアニメやゲームがすでにある場合、舞台でオープニング・エンディング曲やサウンドトラックをそのまま使ったり、役者が声優の「声」を模倣したりすることで、比較的お手軽に、ある程度の地続き感が演出できてしまう。原作ファンにとって、おなじみのメロディや声色を聴くのは原作への「敬意」にも感じられるし、単純に嬉しいことでもある。ただ、演劇ならではの身体を使ったアナログな演出、その可能性をどこまでも追求してきたこの作品にとって、和田俊輔の音楽のオリジナリティはそのまま「ハイステ」という作品の独自性と直結する(実際、ミュージカルではない舞台作品のサウンドトラックが、CDとして発売された例はきわめて稀である)。

 プレイヤー(演奏者/選手)が各々のキャラクターに沿った楽器をエアプレイしながら、メンバー紹介するオープニングも、出色の出来だ。初演からおなじみのメインテーマは、青城は弦楽中心のオーケストラらしい優雅なアレンジ、ゲスト校の音駒は高らかに鳴るファンファーレに8bitのゲーム音がじゃれつき、コーチはじめ大人組は行進曲と、それぞれのチームの個性ごとに趣を変え、最後に主人公たる烏野のメンバーが飛び出してくると、一気にテンポアップして祭囃子のゴチャゴチャ、ワチャワチャ感になだれ込んでいくのが、いかにも「らしい」。3年生が管楽器、リベロの西谷がベース、次世代エースの田中がギターソロ……と、それぞれのキャラに合わせた楽器のチョイスと、ジャムセッションのようにソロを回していくさまも洒落ている。

 喧しいほどの音の競演は、生の発するまぶしいエネルギーそのものだ。これを一つにまとめなければいけない指揮者=セッターの苦労が偲ばれると同時に、もしそれが実現できれば、生まれる効果はいかほどのものかと期待が高まる。そしてそれは、たとえば三幕はじめ、ジャンプした選手がふわりと着地する音や、体育館の床を踏み鳴らす力強い音、息遣い、場内の歓声などが、反復するリズムに乗ってひとつの「音楽」へと編まれていく、あの忘れがたいシークエンスに結実している。両チーム選手の個性が出揃って、お互いをつなぐ絆が確かめあえたところで、全体をひとつの「音楽」としてオーケストレートする。この三作目はなるべくしてなった、これまでの「ハイステ」の集大成なのである。

ザ・セッター対決

 中学時代の先輩・後輩である及川と影山、「大王様」と「王様」、あるいは「天才」と「努力型」との、それぞれのチームを率いた戦いは、第一楽章のタイトルになっているとおり、この物語の主旋律だ。チームの絆は圧倒的な個人の才能をも上回るという、伝統的な少年漫画の物語づくりを一歩進め、圧倒的な個性もチームの絆も描きつつ、その強いチームと強いチームがいざぶつかり合ったときに生まれるダイナミズムにこそ主眼を置くところが、群像劇の時代の作品らしい。

 前作“烏野、復活!”のラスト近くで描かれたとおり、この『ハイキュー!!』は勝者と同じくらい敗者の心をも思いやる。「大王様」及川の中学時代の苦悩は3つの視点から繰り返し描かれることで、どうにもできない閉塞感を思わせる。だからこそ、岩泉一に「6人で強い方が強いんだろうが、ボケが!」という発破をかけられた及川が、過去の亡霊と決別するシーンにはカタルシスがあり、その高笑いには底知れぬ強さがにじむ。

 いっぽう影山を一回り成長させ、真のセッターへの道を歩ませるのは、もうひとりのセッター・菅原孝支(猪野広樹)だ。彼は華々しいスポットライトを浴びる及川や影山とコントラストを描く存在として、絶対に欠かせない(もちろん、キーパーソンたる音駒の孤爪研磨、青城の矢巾秀のユニークさも良い味なのだが)。上級生でありながら影山とレギュラーを争い、そのライバルたる影山の力まで最大限に引き出してしまう根っからのセッター根性。負けず劣らずのプライドとコートへの執着を持っているにもかかわらず、自分のつとめをきちんと果たし終えバトンを渡すときの、遣りきれなさ。黒い羽根の生えた日向と影山の「変人コンビ」を「お前だって、日向との攻撃なら最強なんだ」と見上げるせつなさを、優雅にそして官能的にからみあう弦の音や、スローモーションになった演出が引き立てる。しかし、彼はただの「敗者」ではない。なぜならそれと同時に、菅原という「指揮者」を得た烏野メンバーの「プレイ」は、すべての人を笑顔にするような、完全に調和した美しいハーモニーを奏でていたことも、ひとしく心に残るからだ。

関連書籍