『私のつづりかた』『ぼくの東京全集』

小沢信男さんと、82年前の通学路を歩く(前編)

『私のつづりかた』『ぼくの東京全集』刊行記念!

今年2月に刊行された『私のつづりかた』は、作家の小沢信男さんが1935年、小学校2年生のときの「つづりかた」(作文)を読みなおし、当時と現在を往来して書いた、とてもユニークな一冊です。この本と、小沢さんの65年分の文章をまとめた『ぼくの東京全集』(ちくま文庫)刊行を記念し、2016年11月に小沢さんと、母校の銀座・泰明小学校から銀座8丁目のご実家の跡地まで82年前の通学路を辿りなおした記録を公開いたします。それでは、早速出発です! (文責:筑摩書房編集部 写真:藤部明子)

○資料室は発見の宝庫

次に、泰明小学校に関わる資料や展示が収められている「資料室」にやってきました。

資料室には、写真など貴重な資料がたくさんあります。
小沢さん「(写真一番上は)作法室といって、行儀作法を教える畳敷きの部屋。2組の男女組は体が弱い子が集まっていたから、昼休みにここで昼寝もしてたらしいよ」
全校生徒の数の増減のグラフ。小沢さんが通っていた時にいちばん近い昭和12年で848人。現在は、330人にまで減っています。第二次大戦時(昭和18年)に大きく減っていることがわかります。

小沢さん「東京の地つきの子は「ひ」が言えなくて、日比谷公園が「しびや」になるんだ。ぼくのクラスでは、矢代静一さんと、ほかに2、3人ぐらい。ところが地つきの職人さんが多かった木挽丁や築地の小学校では半分ぐらいが「しびや」組だったとか。うちの親父は山梨、隣の床屋は千葉で、自転車は茨城で、と銀座あたりは外から来た人が多かったのか、そんな割合だった。銀座中にお風呂屋さんがあったけど、お風呂屋さんは富山出身が多いのね。地元から雇った人が独立して、また地元から雇って、どんどん広がったんだね」

小沢さん「このへんはおおかた二階家で、店と住まいが一緒で、つまり職住同居だったけれど。戦争中の疎開騒ぎで青山、麻布、鎌倉とかへ住まいを移した。戦後は、銀座の家はそっくり店にしたほうが得だとなって、職住分離。それで子どもも減っちゃったの」

村上先生「いまは330人いるんですが、このあたりに住んでいるお子さんは1割ぐらいですね。あたらしく銀座の端っこにマンションが建っていて、そこから少しというぐらいです。あとは、勝どきや晴海のほうのタワーマンションから来ている子が多いですね。お店の何代目のお子さんというのはもういらっしゃらないです」

さて、ここでガラスの展示箱の中に昔の通知表を発見しました。よく見てみると……。

編集K「これは、小沢さんと同じ時期の人のものではないですか?」

小沢さん「ああ、そう、これは僕らの頃の通信簿だよ。全部甲だから、ここに出しているんだな。僕も全部甲だったよ(笑)。あれ、同じ学年だぞ、誰だろう?」

村上先生「担任は、大貫先生と書いてありますね」

小沢さん「あ、2組だ! この人は」 

(一同、すぐに担任の先生の名前から何組かわかる小沢さんに驚く)

村上先生「小沢さんのは残ってないですか?」

小沢さん「いやー、あるかもしれない。あります(笑)」

驚くことばかりの、小沢さんとの学校見学。次は、屋上に向かいます。
(後編につづく)

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