妄想古典教室

第八回 女たちは石山寺をめざす
なぜ如意輪観音が本尊となったのか

弥勒菩薩が如意輪観音に
 奈良、法隆寺に隣接する尼寺の中宮寺は弥勒菩薩半跏像を本尊とする[fig.1]。第二回にみたように、広隆寺の弥勒菩薩半跏像にそっくりのポーズで片足を膝上に組んで、右手を軽く頬にあてて思惟する姿は、どうみても弥勒半跏思惟像である。ところが、中宮寺のこの像は、地元では「如意輪さん」と呼ばれており、如意輪観音像として信仰されているというのである。

[fig.1]奈良・中宮寺 弥勒菩薩半跏像
『奈良の古寺と仏像――會津八一のうたにのせて』日本経済新聞社、2010年

 

 如意輪観音といえば、大阪、観心寺本尊のように、一つの頭に腕が六本ある、一面六臂(いちめんろっぴ)像が思い浮かぶ[fig.2]。第一、如意輪と言っているのだから、如意宝珠と法輪を持っている姿であってほしい。観心寺像は、右手第二手が胸元で如意宝珠を捧げ、左手第三手が上向きに立てた人差し指の上に法輪をのせている。右手第一手が右頬に軽くさしあてられて思惟のポーズをとり、その他の持物は右手に念珠、左手に蓮華で、これらは多くの一面六臂像に共通する。

[fig.2]大阪・観心寺 如意輪観音坐像 井上一稔
『如意輪観音像 罵倒観音像』(『日本の美術』No.312)至文堂、1992年

 

 観心寺像は、嵯峨天皇皇后、橘嘉智子(786-850)の発願で、承和九年(842)の嵯峨天皇崩御の頃に造立されたものという。木造にほどこされた彩色が今も鮮やかなのは、秘仏として厨子に入れられたまま祀られてきたせいであろう。ふっくらとした顔つきに、赤く彩られた形のよい唇。美女を表現するときにいう柳眉そのもののような長く曲線を描く繊細な眉。そっと頬にそえられた右手第一手の自然なしなやかさ、立て膝の右足にもたれるように伸びる右手第三手の虚脱したようなアンニュイな様子。定型的な如意輪観音像を超えた美しさを持つ独特の像である。
 井上一稔『如意輪観音像 馬頭観音像』(『日本の美術』No.312、至文堂、1992年)は、この像に「官能性や豊満さ」といった「女性性」が表現されていると指摘する。その理由として橘嘉智子という女性の造らせたものに理想の女性像を表そうとしたことを挙げ、その理想像として、どちらも宝珠を持つという共通点から吉祥天像があったのではないかと述べている。さらに「片膝を立てるポーズが、薬師寺八幡神像の内の、仲津姫・神功皇后と共通し、このすわり方を女性特有のものとする考え」があることを引いて、「この意味からも如意輪観音に女性をイメージしたことは自然なことだと考えられよう」と述べている。
 ただし宝珠を持つ手が吉祥天を連想させ、足裏を合わせて片足を立て膝にする仏像の一形式が八幡女神像の立て膝を連想させるとしても、それは作り手の意図というよりは、観者の見立てにすぎないともいえ、女性性を表現した根拠にはなっていない気もする。如意輪観音がなんらかの形で女性の信仰と関わりを持つらしいことは、尼寺である中宮寺の弥勒像が、如意輪観音と呼び変えられた例からみても妥当だといえるにしろ、中宮寺の像が、橘嘉智子発願の観心寺像とは似ても似つかぬ姿である問題はどのように考えたらよいのだろう。
 たとえば観心寺像の如意輪観音の六臂のなかに、思惟する右手が含まれているのだから、その部分を以て、中宮寺本尊を如意輪観音にあてこむことができなくもない。とはいえ実際のところは、もともと如意輪観音として造られた像ではないのにもかかわらず、どうしても如意輪観音ということにしたくなったということなのだと思う他ない。つまりある時点で如意輪観音信仰のブームがやってきて、それにあやかって、もともとあった本尊を如意輪観音であると喧伝するようになったわけである。そしてそのブームには女性の信仰がからんでいるのではないかと妄想されるのである。
 清水紀枝『院政期真言密教をめぐる如意輪観音の造像と信仰』(早稲田大学提出博士論文、2012年)によると、中宮寺の本尊を如意輪観音としたのは信如であったという。弘安四年(1281)の『尼信如願文』のなかに「三間二階之金堂。安置等身二臂之如意輪」とあって、金堂に二臂の如意輪観音を安置したといっていることから、本尊を如意輪観音と称した最初の例としている。清水紀枝によると、中宮寺復興は、もともと叡尊の甥、惣持の夢に聖徳太子が現れて「尼衆を以て再興せよと告げた」ことにはじまるという。この話をきいた叡尊が信如を抜擢したのだ。比叡山僧の承澄(1205-1282)が著わした『阿娑縛抄』(1275)と呼ばれる図像集の如意輪の項には次のようにある。

聖徳太子は仏法最初の主なり。王法また十七条憲法を以てこれを行う。而して太子すなわち観音の後身なり。如意輪尊を以て七生の本尊となす。

 これによれば、聖徳太子は観音の生まれ変わりであり、太子は七回生まれ変わっているのだが、その転生の本尊として如意輪観音があるのだという。聖徳太子が、中宮寺の再興を夢で促し、その役目を負った信如が中宮寺本尊像を、太子の転生の守護である如意輪観音としたというのは、いかにもありそうなことである。
 しかし、いかに中宮寺が聖徳太子ゆかりの尼寺だからといって、如意宝珠も持たず、法輪も持っていない本尊をいきなり「二臂の如意輪」といいだすのはあまりにも唐突だ。もともと如意輪観音ではなかった像を「二臂の如意輪」として認めていくはじまりには、石山寺本尊があったという。つまり如意輪ブームの火付け役となったのはどうやら石山寺らしいのである。

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