妄想古典教室

第八回 女たちは石山寺をめざす

なぜ如意輪観音が本尊となったのか

女たちの石山寺
 「石山寺縁起絵巻」は、宮廷の女たちの書いたエピソードを入れ込み、おまけに石山寺で『源氏物語』を書いた紫式部は観音の化身だとまで女を持ち上げているのだから、女性をターゲットとしていることは明らかだろう。
 では、石山寺が無理矢理に本尊を如意輪観音だとすることと女性とはどのように関わるのだろうか。
 一、二、三巻とともに原本を保持している巻五第一段にいたって、「石山寺縁起絵巻」は石山寺に籠もった願主の前に顕れた観音の姿をはじめて描いている[fig.9]

[fig.9] 「石山寺縁起絵巻」
小松茂美編『日本の絵巻16 石山寺縁起』中央公論社、1988年

 

 天治の頃(1124-1125)、藤原国能という人がいた。年来連れ添った妻がいたが共に貧しく、子どもにさえめぐまれなかった。夫婦は共に嘆き、国能は妻と別れることにした。女は悲しみ、「いったいどんな宿業によって、こうして貧しいだけでなく、一人の子さえ持てずに、夫に捨てられたのだろう」と、石山寺に七日参籠した。
 日夜三千三百三十三度拝み、命が絶えることもいとわぬいきおいで心をこめて祈請していたところ、ふとまどろんだ夢に、御帳の内から観音が現れて「これは汝の子なり」といって、如意宝珠をたまわった、とみたところで目が覚めた。
 目覚めると、掌のなかに珠があった。その色は金色でもなく、また赤でもなく、普通の色とは違っている。女は喜び急いで家に帰り、この珠を拝んでいると、国能も戻ってきた。うって変わって富み栄え、なか二年を経て男子も生まれた。
 願いどおりこの男子が家を継ぎ、宝珠も相伝した。この男子こそ、文章博士、大内記藤原業実である。まだ若いけれども儒業をへて、勧学院の学問料を公家にのぞんだところ、康治元年(1142)十二月三十日、十五歳にて宣旨を賜って学問料を得た。父国能は、二十五歳のときに学問料を賜ったのに、息子は十年早い上、のちには文章博士に薩摩守を兼任し十年間重任されつづけた。このめでたさも石山寺の御利益による宝珠の功力なりとますます信心したとか。
 しかるにことの子細あって、鳥羽院がこの宝珠を相承すると、すべての願もことごとく成就し、皇胤も栄えた。ひとえに宝珠の威徳であるにちがいない。
 後には邦綱大納言が相伝して、蔵人にさえなれぬ程度の役人だったのに、正二位・大納言にまで到ったのも、ひとえにかの宝珠の御利益だと言い伝えられている。

 石山寺で国能の妻の前に顕れたのは「観音」としか言われていないが「如意宝珠」を授けたのだから如意輪観音を想起させる。意の如くに願いを叶えてくれる珠を授かった女は子宝に恵まれた。物語としては、この宝珠を相伝した人々が次々に栄えたことを述べているのだが、大切なのはその発端に子に恵まれず夫に離縁された女の窮状があり、それを救うために如意宝珠を持った観音が顕れたということである。その後も宝珠の御利益は連鎖するとしても、如意輪観音の顕れを実際に経験したのは国能の妻一人である。しかもそれは夢のなかで起こるのである。
 御利益は夢告というかたちで授けられるから、女たちは石山寺へきて眠る。巻七第二段には「石山の観音こそよろずの神仏の御恵みに漏れむ人を助けむ」と人口に膾炙していたことが語られていて、母のために遊女として身を売った娘を救った話が語られる。尼となった母は十八になる若い娘を持つがどうしようもなく貧しい。石山寺ではそうした窮状を救ってくれるときいて祈るが効果がなかった。娘は母を助けるために身を売った。娘が打出の浜から自分を買った男と舟にのったところ、にわかに波が荒れて舟は沈んでしまった。ところが一筋に観音のことを念じていた女の前に波間から忽然と白馬が顕れて、その首にとりついていると浜に打ち上げられた。男のほうは波にのまれて死んでしまった。それ以後この母娘は富み栄えた、とある。男に身売りした女を、その男から救うのが石山寺の観音ならば、如意輪観音は女の味方だといってよいのではないか。
 しかも「石山寺縁起絵巻」をとおして観音の如意宝珠を手にすることができたのは一介の哀しい女なのである。石山寺に女たちが参詣するのは、さまざまな物語のなかで如意輪観音が女を救う観音だと語られていたせいにちがいあるまいと妄想するのである。

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