思考の整理学

「思われる」と「考える」

文庫本のあとがきにかえて

1986年の刊行以来のロング&ベストセラー『思考の整理学』が2016年でついに200万部を突破しました。今でも古びることのない考え方のエッセンスが詰まった本書より、文庫版で追加された1篇を掲載。

 日本へ来たばかりのアメリカ人から、日本人は二言目にはI think....というが、そんなに思索的なのか、と質問されて、面くらったことがある。日本のレトリックがよくわかっていないのでびっくりしたのだろう。

 日本語で話しているとき、たえず〝と思います〟という言い方をする。別にはっきりした判断にもとづいているわけではなく、ただなんとなく口ぐせのようになっているのである。「AはBである」と断定してしまってはあらわにすぎる。あるいは相手への当りが強すぎるという気持がはたらく。なにかでこれを包みたい。そう言えば、われわれはひとに金を渡すときにも包みに入れる。店先きで買物をするときにはもちろん裸かの金であるが、いくらかでも社交の意味合いのこもった金を贈るとき、むき出しの金ではいけないのは常識である。

 お祝いをもらって、袋をあけると、すぐ紙幣が見えると、なんとなくおもしろくないように感じる人間がかなりある。それでていねいな祝儀袋には中にもうひとつ袋がある。外を開いてもすぐお金は見えない。この方が品がよいように思われる。包む心はこんなところまでも及んでいる。

「AはBである」というのは、むき出しの金をつきつけるようなもので、はしたない。包めば「AはBだと思います」とか「AはBではないでしょうか」となる。その心理が英語をしゃべるときにももち込まれると、A is B.とはできないで、I think A is B.といった表現になる。実際はとくに考えているわけでもなんでもない。思索的か、などと買いかぶられては面くらう。

 かつて日本人の科学論文を英訳する仕事をしていたイギリスの物理学者がわれわれの虚を衝く問題提起をしたことがある。日本人の論文には「であろう」という文末がしばしばあらわれる。「AはBである」とすべきところが「AはBであろう」となっている。これではいかにも自説があやふやで、自信がないようにきこえる。ところが本当は論拠が不確かであったりしているわけではなく、「AはBである」と同じ内容をもっている。それなのに「AはBであろう」としてある。こういう「であろう」は英語に相当するものがない、どう訳したらよいのかという一種の告発であった。

 これは当時、その学界にとどまらず、広く知識人の間につよい衝撃を与え、学術論文の中の「であろう」はたちまち影をひそめたけれども、正直な気持としては、いまでも「であろう」を付したいと思っている人はすくなくないらしい。

 やはり、「AはBである」とむき出しにするのはためらわれる。包みたいという気持が「であろう」の末尾になる。したがって「AはBであろう」は「AはBである」と違った意味をもつのではない。「AはBである」という対する一つのヴェアリエイション、語尾変化にすぎないと解するのが正しい。

 この「であろう」とはじめのアメリカ人が指摘したI think ....とはかなり近い。I thinkがついているのと、いないのとで論理上の差があるのではない。あるとすれば修辞上の違いである。

 つまり、日本人が「……と思います」と言い、英語でもうっかりI thinkとやっているのは、たとえば、「われ考う、ゆえにわれあり」(Cogito, ergo sum.〔I think, therefore I am.〕)とは別のものであることを承知しなくてはならない。日本人が「と思う」というつもりでI thinkというとき、その第一人称には自分の責任においてという自覚はあまり認められない、としてよい。thinkにしてもしっかりした思考を打ち出そうとしているのではなく、むしろ、判断をぼかすためのベールのような役割を果している。

 シェイクスピアの時代の英語には、いまは使われないmethinksという言い方があった。「思われる」という意味である。注意すべきはI thinkのIがなくて代りにmeが頭についている点である(me+thinks)。現代英語で言い換えるとIt seems to me ....となる。

 日本人の「思われる」「であろう」、それを英語にしたI thinkは、このmethinksすなわちIt seems to meによく似ているということである。欧米人流のI thinkに比べると、パッシヴで主張のつよさに欠ける。考えようとして考えるのではなく、考えが向うからやって来るのを受け入れる。それが「思われる」である。これには科学者の論文のように、はっきり考えようとしたことですら、自然にあらわれたように、あるいは受動的な思考のように、「であろう」とぼかす場合も含めてよかろう。

 ものを考えるには、I thinkという考え方とIt seems to meという考え方の二つがあることになる。日本人は後者の考え方をすることが多い。しかし、このことば、なにも日本人に限ったことではない。たいていの思考ははじめから明確な姿をもってあらわれるとは限らない。ぼんやり、断片的に、はにかみながら顔をのぞかせる。それがとらえられ、ある程度はっきりした輪郭ができたところで、It seems to meになる。

 それに対して、I thinkの形をとる思考はすでに相当はっきりした形をとっており、結末への見通しも立っている。完結した思考の叙述である。It seems to meの形式は進行形、不定形の思考である。結論ははっきりしていないことがすくなくない。「はじめにことばありき」と言い放ちうるのは、「われ考う、ゆえにわれあり」の思考に通じる明確さをもっている。それに対して、It seems to meは、なお「くらげなす、ただよえる」状態にあると言ってよかろう。

「くらげなす、ただよえる」ものがはっきりした形をとるようになるには時間の経過が必要である。混沌もやがて時がたてばさだかな形をとるようになる。いつまでも「くらげなす、ただよえる」状態をつづけるものは拡散崩壊して消滅する。

 こういう時間の整理作用に委ねておかないで、想念を思考化していく作業が「考える」ことである。「と思われる」という思考はいわば幾重にも衣服につつまれている。外側はやさしいが本体がどういうものであるかは、「と思われる」としている当人にとってもはっきりしていない。

 その着物を一枚一枚脱がせていくのが、I think本来の思考である。これをすることは日本人のように心情的思考を好む人間にはとくにたいへんなことである。読書によって自分の感じていることとは異種の思考に触れているうちに、自分の考えが洗い出されるという他発的方法もありうる。

 それとは別に、書くことで、自分の考えを押しすすめる、書くことは考えることである、とのべている人のいることも注目される。漠然としていたことが書く過程においてはっきりする。「思われる」ことの外装がはがされて中核に迫っていくことができる。

「ものを書くのは人間を厳密にする」とのべている人もある。こういう書くことと考えることの並行説をのべているのが多くエッセイストであるのはおもしろい。エッセイストは「と思われる」ことがらを「思想」化する道程に喜びを発見するのである。

 エッセイは思想がまだ衣服をまとった状態で提示されている。いかにも身近に感じられるのはそのためである。エッセイに試論、つまりかなりはっきりした思考をのべた文章と、随筆、すなわち、まだ明確な思考の形をとらない想念を綴ったものとの二つの意味があるのは、「と思われる」ことを、そのままに近い形で表現するか、もうすこしまとまりをつけた〝論〟にして表現するかの差である。

 I thinkのエッセイが試論であるとするなら、It seems to meのエッセイは随筆、随想ということになる。いずれにしてもエッセイストはもっとも身近なところで思考の整理をしているのである。何か考えたら書いてみる。その過程において考えたことがIt seems to meから、すこしずつI thinkへ向っていく。われわれはだれでも、こういう意味でのエッセイストになることができる。

  思考の整理学はめいめいがこういうエッセイストになることで成果をあげるはずである。

 本書は「ちくまセミナー」の一冊として出版された『思考の整理学』に、最後の「あとがきにかえて」の一章を書き加えて文庫本としてもらった。お世話になった筑摩書房編集部の方々にあつくお礼申し上げる。

一九八六年春 外山滋比古

外山滋比古著『家庭という学校』(ちくま新書)の立ち読みはこちら

2016年4月12日更新

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外山 滋比古(とやま しげひこ)

外山 滋比古

1923年生まれ。東京文理科大学英文学科卒業。『英語青年』編集長を経て、東京教育大学、お茶の水女子大学で教鞭を執る。お茶の水大学名誉教授。専攻の英文学に始まり、エディターシップ、思考、日本語論などの分野で、独創的な仕事を続けている。『思考の整理学』『「読み」の整理学』『知的創造のヒント』『アイディアのレッスン』『異本論』『日本語の作法』『忘却の整理学』『幼児教育でいちばん大切なこと──聞く力を育てる』『知的生活習慣』『家庭という学校』など著書多数。

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