日本人は闇をどう描いてきたか

第三回 病草紙 ――不眠の女

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第三回は、深夜の女を描いた作品から。

病と人道

「地獄草紙」「餓鬼草紙」とともに、後白河院周辺で制作されたとみられる六道絵巻のもう一種が、「病草紙(やまいのそうし)」である。病苦を通じて人道(にんどう)を表すもので、二十一場面が断簡となって、国内の美術館や博物館などで分蔵されている。

 各場面には、歯痛や腹痛など比較的軽微な病に加え、かつては業病(ごうびょう)と考えられていた先天的疾病をも含む、多種多様な症例が表されている。

「地獄草紙」「餓鬼草紙」典拠経典のひとつである『正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)』では、「身念処品(しんねんじょぼん)」として、身体の不浄と病の仕組みが説かれており、本絵巻との関連がうかがわれる。また、平安時代中期の医師丹波康頼(たんばのやすより、九一二~九九五)が、永観二年(九八四)に編纂した日本最古の医書『医心方(いしんぽう)』や、同書が参照する隋・唐時代の医書には、「病草紙」に直結する症例も数多く採録されている。

 どうやら、この絵巻には、病に関する平安時代の宗教的・医学的知識が集大成されているようである。ただし、情報や知識の単なる羅列ではなく、おかしみや哀愁を色濃くまとった詞書や絵は、人間の根源的な欲望や喜怒哀楽を題材に成立した『今昔物語集』など、中世説話文学の世界とも通じる。

暗闇の中の女

 ここに取り上げたサントリー美術館蔵「病草紙断簡 不眠の女」の見どころは、深夜に一人目覚めている女の寂寥感にある。しんと静まりかえった部屋に四人の女性が寝床を並べ、そのうちの一人だけが上半身を起こし指折り時を数えている。他の者は皆、健やかな表情で深い眠りについている。両者を対比することで、不眠の女の孤独が際立つ。

病草紙断簡 不眠の女(重文、サントリー美術館蔵)
画像出典:絵巻マニア列伝展図録(2017年、サントリー美術館)より

 隅々まで明瞭に描き表された画面であるが、上端四分の一ほどを広く覆っている霞をよく観察すると、細かい群青の粒子が確認できる。室内に垂れこめる霞で、暗闇を表現しているのだ。これは、「地獄草紙」に描かれた漆黒の闇とはまた違った、湿り気を帯びてずっしりと重たい闇である。

 燈台には油火(あぶらひ)がともされており、その薄明かりにぼんやりと浮かび上がった不眠の女が、白地に銀の花文をほどこした広袖の衾(ふすま、綿入りの夜具、掛布団のようなもの)を引き掛け、眠れぬ夜をやり過ごしている。その姿は、谷崎潤一郎が闇の中の女について描写した、あの一節を想起させる。

 分けても屋内の「目に見える闇」は、何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、幻覚を起こしやすいので、ある場合には屋外の闇よりも凄味がある。魑魅(ちみ)とか妖怪変化とかの跳躍するのはけだしこういう闇であろうが、その中に深い帳(とばり)を垂れ、屛風や襖を幾重にも囲って住んでいた女というのも、やはりその魑魅の眷属(けんぞく)ではなかったか。闇は定めしその女達を十重二十重(とえはたえ)に取り巻いて、襟や、袖口や、裾の合わせ目や、至るところの空隙(くうげき)を塡(うず)めていたであろう。いや、ことによると、逆に彼女達の体から、その歯を染めた口の中や黒髪の先から、土蜘蛛の吐く蜘蛛のいのごとく吐き出されていたのかも知れない。(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』より)

「不眠の女」に描かれたのは、まさに谷崎が言う「目に見える闇」であり、屋内の暗闇と眠れぬ女には、確かに親和性がある。夜のしじまに一人、物を思う女には、闇と一体化したような、闇そのものを身にまとったような、言い知れぬ凄味がある。

「不眠の女」の住む世界

 詞書に、彼女を取り巻く世界が具体的に描写されている。

 大和国(やまとのくに)、葛木下郡(かづらきのしものこほり)に片岡(かたおか)といふ所に女あり。取り立てて痛む所なけれども、夜になれども、寝いらるることなし。夜もすがら起き居て、「何よりも侘(わび)しきことなり」とぞ言ひける。

 冒頭の大和国葛木下(葛城下)郡片岡とは、現在の北葛城郡王寺町から香芝市にかけての丘陵地帯を指す。『日本書紀』や『日本霊異記』には、聖徳太子がこの片岡に遊行(ゆぎょう)した際に出会った飢人(きじん)が、実は聖人であったという、いわゆる片岡山飢人伝説が載り、太子信仰を通じて京都(みやこ)でも良く知られた地名であった。

 張りのある描線、頰を彩る薄紅色など卓越した造形感覚で構成された「病草紙」は、宮廷絵師の手になるとみられ、京都の貴族社会の所産であることは疑いない。京都の鑑賞者にとって、彼らの生活圏を少しだけ離れた大和国という場面設定が、画中の出来事の本当らしさを保障する。片岡という地名の響きが虚実の際をまぎらかし、暗闇をまとう女の気配が現実感をともなって、画面から滲みだす。

 今夜もどこかの暗闇で、「とてもさみしく心細い」とひとりごちる不眠の女が、一晩中時を数えているのだろう。
 

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