ちくま新書

なぜか似ている日本とイギリスの遺跡たち

なぜ、大陸の両端の遺跡は似通っているのか? それらの成り立ちを追い続けた、5月刊『縄文とケルト――辺境の比較考古学』の「はじめに」を公開します。

   いつだったか、知り合った日本在住のイギリス人が、「イギリスと日本は歴史的雰囲気がとてもよく似ている」と語った。重ねて聞くと、「二つとも大陸からちょっと離れた島国で、王室(皇室)も残っているからね」と続ける。
 確かにそうである。島国であることと王室が生きながらえていることとの間に因果関係があるのかどうかは定かでないが、歴史の歩みに影響を及ぼした地理条件が共通することは確かだろう。結果は天地に分かれてしまったが、島国でありながら大陸や海洋に進出企てた近代の経緯にも重なるところがある。恣意的かつ感覚的な言いようになるかもしれないが、両国の文化とも、伝統へのこだわりを重んじたパターンに傾きがちであることも、よく似ているように思う。
 こうした印象や認識は、その後イギリスに一年ほど暮らしてみたのちも変わらなかった。むしろそれらが強まったのは、ひまさえあればレンタカーを駆って遺跡を見まくる時間を重ねてからである。形やデザインが驚くほどよく似た遺跡が、はるかに隔たった両地域にある。なぜなのか。時間と労力を費やすに足る謎解きだ。そう思ったことが、本書を執筆する端緒となった。
 たとえば、日本古代の都城である平城京や平安京が中国・唐の長安城によく似ているのは、形やデザインがそこから伝わってきたからである。だが、イギリスと日本の先史時代に、そのような直接の文化伝播はない。同じホモ・サピエンスという種、いわば同じ機種のコンピューターにたとえられる共通性が、同じ反応、すなわち同じ形やデザインの遺跡を創案することにつながったのだろうか。あるいは、歴史上の同じ環境において同じ必要性にかられたとき、技術段階も同じならばよく似た遺跡が残されるのだろうか。
 このような遺跡の形や、それを残した社会の姿を隔たった地域どうしで比べてみて、両者の共通点と相違点とをあぶり出し、相互の歴史的特性を明らかにする営みを「比較考古学」という。その実践の一つとして、冒頭に述べた日本とイギリス、つまりユーラシア大陸の東西両端で相似の位置を占める二地域の歴史の歩みがみせた共通性を明らかにすることを、本書の第一の目的としたい。サブタイトルにある「比較考古学」とはそういうゆえんである。
  そこから派生する第二の目的は、両地域の先史時代を、現代のそれぞれの国民が語るときに好む二つの概念である「ケルト」と「縄文」の正体を、相互に比較しながらはっきりとさせることである。縄文は、近年では列島「文明」のルーツなどともてはやされ、現代日本の歴史的アイデンティティの生成にとって大きな役割を与えられている。いっぽう、ケルトもまたよく似た扱いを受けてはいるが、縄文と異なって、イギリス一国ではなく、ヨーロッパ全体の歴史的アイデンティティ形成に利用されてきた。ケルトと縄文のこのような差異がなぜ生じたのかという問題のなかには、イギリスと日本の両地域がたどった歴史の相違点が潜んでいるにちがいない。それを浮き彫りにすることによって両地域の歴史の個性に光を当てることができるようになるだろう。本書のタイトル『縄文とケルト』には、そのような意味が盛り込まれている。
 第三の目的は、遺跡をめぐる「旅」。両地域を広く旅して、ケルトや縄文、あるいはその前後の人びとがそれぞれに残した遺跡の魅力を味わうことである。縄文の遺跡については、これまでに多くの良書も出ているだろうが、イギリスの先史時代については、歴史的知見によるハンディな案内書がほとんどなかったように思う。本書を手にして、イギリスの遺跡巡りに出発される方が一人でもいらっしゃれば、望外の幸せである。
 なお、イギリスに関する国名と地名はいささか複雑なので、本文に入る前に少しだけ付言しておこう。現在のイギリスという国は、公式には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」という。このうちの「グレートブリテン」は、首都ロンドンがある大きな島で、隣のアイルランド島や周囲の小さな島々とともに、地理的には「ブリテン諸島」を構成する。本書でしばしば出てくる「ブリテン島」とは、正しくは「グレートブリテン島」とよぶべきであるが、読みやすさなどを考えて便宜的な呼称を用いることにしたい。
 ブリテン島の東南部を中心にもっとも大きな領域を占めるのがイングランド、北部がスコットランド、島の南西寄りにこぶしのように太短く突き出した部分がウェールズで、中世にはそれぞれが独立した王国を形成していた。それ以前、ごく古い時代の三地域の動態については、本文の中でおいおい触れることになる。