『私のつづりかた』『ぼくの東京全集』

小沢信男さんと、82年前の通学路を歩く(後編)

『私のつづりかた』『ぼくの東京全集』刊行記念!

今年2月に刊行された『私のつづりかた』は、作家の小沢信男さんが1935年、小学校2年生のときの「つづりかた」(作文)を読みなおし、当時と現在を往来して書いた、とてもユニークな一冊です。この本と、小沢さんの65年分の文章をまとめた『ぼくの東京全集』(ちくま文庫)刊行を記念し、2016年11月に小沢さんと、母校の銀座・泰明小学校から銀座8丁目のご実家の跡地まで82年前の通学路を辿りなおした記録を公開いたします。後編は、学校から小沢さんの家へ! (文責:筑摩書房編集部 写真:藤部明子)

○通学路から小沢さんの生家跡へ

泰明小学校を出て、コリドー街(当時は堀)でも外堀通りでもなく、裏通りに入っていきます。

小沢さん「ここらへんは仕舞屋が並んで、派手なお店はなかったな。大きな関西料理屋さんがあったっけ」

表通りに出てみます。銀座七丁目、電通銀座ビルがあります。

電通銀座ビル、1933年竣工。

 

小沢さん「古いビルだよ。外装は変えているけど、たぶん当時とそっくり同じだ。ここは電車道で、このビルがあるから電通通りと呼ばれてました。この向かいに国民新聞社っていう新聞社があって。当時はどこの新聞社も、日々の新聞をガラス張りの額に入れて並べていた。立ち読みの人たちがいつもいましたよ。当時はこっちの体が小さいから、けっこうな道のりに感じたけど、こうして歩いてみるとなんか短い感じだね」

やがて、通りには、東京で最も歴史のある民藝専門店「たくみ」が見えてきました。82年前は、現在の場所よりもっと新橋寄り、小沢さんの家のすぐそばにありました。『私のつづりかた』の中でも、このお店は詳しく述べられています。

「…一階が「たくみ」。民芸品店でした。ここに、たくさんの菰包みの荷が運びこまれたのを、たしかに見た記憶がある。大きな瀬戸物屋が新しくできたのに、父も母も関心がなくて、わが家の日用品とは物がちがうらしかった。記録によれば、柳宗悦たちによる創業は昭和八年とある。してみればあれは、学齢前の記憶なのだ」

道路の向こう側に、民藝専門店「たくみ」。

「たくみ」の前の路上には、クラブのママの誕生日を祝うための花がたくさん並んでいます。かつて新橋芸者の家が多かったこのあたりに、今はクラブがたくさんあるのも、町の気質が続いているようで面白いです。

しばらくまっすぐ進むと、「リクルート8ビル」の前に着きました。新橋まで、あと少しの銀座西8丁目。ここに、小沢さんの家がありました。

リクルート8ビルの前で、家があったところを説明する小沢さん。

現在は巨大ビルになってしまい見る影もないですが、ここに当時の小沢さんの家「虎屋自動車商会」は建っていました。

「わがふるさとです、ここが。このビルが占めている地所に、当時は、二十軒余りの家々が背中合わせに建ちならんでいた。おおむね木造二階家で、三~四階程度のビルも多少あった。家々に人が住み、さまざまな商いをして、子どもたちもうじゃうじゃいたのでした。そこがいまや、ただ一棟のリクルートビルだ。なんとも様変わり」(『私のつづりかた』16頁)

当時の虎屋自動車商会(『私のつづりかた』177頁)。左から3番目が小沢さん。

小沢さん「このあたり、道幅は変わらないから、なんとなく思い出すね。芸者置屋があって、黒板塀の家もあって。そこの子に鎌倉でバッタリ出会ったよ。この裏道の角に名川さんという弁護士の持ちビルがあって、その事務所を、のちに暮しの手帖社が借りたんだ」

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