冷やかな頭と熱した舌

第21回
開店してみなければわからないこと
―〈雑誌〉と〈コミック〉の構成比について


■ピンポイントで目的にたどり着く若者

 女性ファッション誌は売れなかった。いや、女性ファッション誌すら売れなかったと言ったほうが正しい。ファッションビルを訪れるいまどきの若い女性客は、ファッション誌を買ったことがないのだという。アルバイトの若い女の子に聞くと、「インスタでお気にの人のファッションをチェックすればよくないですか? 渡辺直美とかチョーかわいいし」と早口で捲し立てられた。どこで息継ぎをしているのか。そういえば最近のJ-POPの歌詞も妙に早口に聞こえる。そんな早口の彼女は痩せていて、渡辺直美のファッションが参考になるとも思えないのだが、聞いてもいないことをまだしゃべり続けることに忙しい彼女に、余計なことは言わないでおいた。

雑誌売場の一角。女性ファッション誌が数多く展開されている。

  とかく現在の若い女の子たちは、自分の興味ある対象をチェックするだけで事が足りてしまうようだ。話を要約すると、女性ファッション誌は余計な情報量が多く、読む時間がもったいないとまで言う。また、最近の大学生を見ていると、みんな信じられないくらいお金を持っていない。親世代の所得が減っており、学費を払うと日々の生活費まで仕送りする余裕がないのだ、と最近のニュースでみた。たしか平均で一日に使えるお金は800円くらいだったと思う。化粧品と美容院代は不可欠な支出だから、服にお金をかけていられないという。プチプラコーデは求められ誕生したのだと納得する。必要は発明の母。
 初めて持った端末がスマホだという彼女たちの世代は、興味ある事柄だけを検索して、ピンポイントでピックアップするというスタンスで、すべての物事に対処しようとする。それが僕らテレビ世代との大きな違いだ。興味を持つに至る間口が極端に狭い。彼女たちにとって興味のないことは「ない」ことと一緒なのである。しかもスマホのなかの世界では、欲しい情報が無料で提供されているのだ。女性誌が売れなくなるわけだ。

■本屋において「何でも置いてあること」は、もはや武器ではない

 事ここに至って、2005年に出版された『専門馬鹿と馬鹿専門』(なだいなだ 筑摩書房)という本を思い出した。つむじ曲がりの精神科医を自認する著者が、文部科学省の専門的な人間ばかりを輩出する教育プログラムに突っ込みまくるという本。小売りで働く者の立場から言わせてもらうと、専門家的思考の人間が多くなると消費は下がり、経済は悪化するような気がしている。そんな特性を有する、いまの若い世代に向けて僕らは商売をしていかなくてはならないのだ(余談だが、なぜ金がないのに若い子たちはスタバには行くのだろう。スタバの専門の評論家にでもなるつもりなのだろうか)。

 本屋において「何でも置いてあること」は、もはや武器ではない。物量で勝負しようとすると、おのずと分類法が必要となる。系統立った分類法は人を安心させ、探しやすさや記憶のしやすさを助長するが、ネットがもたらした「検索」という名の革命によって、本屋において「何でも置いてあること」の価値は半減したといってよい。ピンポイントで目的の本を探すことに長けた彼らにとっては、目的の本以外の本はたどり着くための邪魔でしかないのだ。本来、目的の本にたどり着くための分類法が、売り場をがんじがらめにしている。
 とくに全国チェーンの店舗においてそれは顕著だ。決まったオペレーションがなければ、本部からの遠隔操作ができないという理由はあれども、約束事、決め事が多いほど売り場は硬直化してしまう。「自分たちが探しやすい売り場」がはたして正解なのだろうか。本来はお客さんを楽しませ、知的好奇心をくすぐり、財布のひもを緩ませる売り場に、定められた型などないはずだ。

■目指す本屋は……

 僕は、複雑系を目指すべきだと考える。文脈棚ともまた違う。あえて分類を崩し、ジャンルの交雑を意識した「場所」を意識的に作らなければ書店に人は呼べない。お客さんの常識を非常識でぶち壊すような、作った人の意思がそのままダイレクトに感じられるような売り場。それが即ち、個性的な店を作るということだ。どこに何があるか分からないけれど、このジャンルが強いよねという古書店のような新刊書店が、増えてゆくべきだし、これから書店が生き残る方法なのではないかと思う。
 だからORIORI店は「仮説」を立てた。雑誌とコミックは、もしかしたら「売れない」のではないか。駅ビルの3階のどん詰まりにわざわざ雑誌やコミックを買いに来るだろうか? 1階の便利な場所に「大きなプリン」であるさわや書店フェザン店があるというのに? だから、これからの書店の未来を考えたときに、雑誌とコミックに依存しない戦い方を身につけておくべきだと考えたのだ。雑誌とコミックの売り上げに依存しないビジネスモデルを確立してみよう、と。雑誌とコミックをないものとして考え、自分たちの「これからの戦い方」と「ストロングポイント」によって、僕はORIORIの売り場を構成したつもりだ。だが悲しいかな、それがいまの苦悩につながっている。雑誌とコミック。カラメルのない貧相なプリンアラモードが、大きなプリンに勝てる日は訪れるのだろうか。

 もしもの時のために、失敗したとみるや戦い方を変え、異なる強みを出すための準備をヘッジしておかなければならない。だが妙案はそう簡単に思いつかない。カラメルの比率を戻す? クレープや大福のなかに入れちゃう? いや、いっそのこと醤油でもかけてみようかと思っている。プリン+醤油=ウニの味になるらしいから……じぇじぇじぇ。

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