『5まで数える』

収録短編「やつはアル・クシガイだ」全文ためし読み

松崎有理『5まで数える』刊行記念 特別全文ためし読み

松崎有理さんの新刊『5まで数える』の刊行を記念して、同書収録で「ちくま」連載時から評判が高くシリーズ化を希望する声も多い、疑似科学バスターズが活躍するネオ・ゾンビ小説「やつはアル・クシガイだ」を全文公開します。単行本『5まで数える』にはこの物語の前日譚「バスターズ・ライジング」が収録されていますので、バスターズにまた会いたいという方はぜひそちらもお読みください。

 

 我々に武器を執らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。
                          ――芥川龍之介「侏儒の言葉」
 

 動画収録スタジオで長いテーブルを前にしゃべっている男は白衣を着て、太い黒ぶちのめがねをかけ、片手にクリップボードを持っている。中背で、腹が少々せりだしている。垂れた目尻のちいさな両目は明るい空色、額は後退しているも頬は赤ん坊めいた健康そうなピンクだ。医師という肩書きだが、たしかにこんな医者が近所で開業していたら安心しておまかせしたいと思わせる雰囲気があった。そこがくせものだ。
 ぼくはじいちゃんに教わった東洋の古い格言を思い出す。いわく、あらゆる詐欺師はよいひとにみえる。
 「ネットワークをごらんのみなさん」自称医師は中西部ふうの訛(なま)りで話した。これも親しみやすさをかもし出す演出だろう。「みなさんの生活は二十四時間、電磁波で満たされています。いまみなさんの前にあるモニタからも、天井の照明器具からも、冷暖房装置や台所の調理家電からも」片手をあげて部屋ぜんたいを示すように大きく振る。
 「ま、噓じゃないな。可視光も赤外線も電磁波だから」となりでワイズマンがあきれたように頭を振った。彼の地毛は金髪だが、いまは暗色のかつらで隠している。ぼくたち三人は映像スタッフの制服と小道具で変装し、ほんもののスタッフとともにコントロールルームからガラスごしに演者をながめていた。
 「あなたにも、きっとおぼえがあるでしょう」演者は胸に手をあてた。首から下げた聴診器のイヤピースがゆれた。「原因のよくわからない動悸。頭痛。めまい。吐き気。なんとなくだるい。ものごとに集中できない。理由もなくいらいらする。気分がふさぐ。夜は眠れない、ないし睡眠時間が長すぎる。朝はやく起きられない、ないし目覚めがはやすぎる。急に体が熱くなって汗が出る、ないし急に寒気がする。食欲がわかない、ないし食欲が過剰」
 「だれだってひとつくらいあてはまるぞ。典型的なバーナム効果だ」ワイズマンはぼくよりゆうに四インチは高い長身を背後の壁によりかからせ、青い制服の腕を組んだ。ホークアイはずっとだまったまま、ぼくらの前の椅子に座っている。黒い両目で敵の動きを吟味している。いまや彼の武器は両手ではなくその視力四・〇を誇る猛禽のごとき目なのだった。
 「おわかりですか。そういった心身の不調はみな、電磁波の影響なのです。なぜなら電磁波とは悪い波動」
 「出たよ、波動」ワイズマンは苦笑する。「なんでも説明できる万能用語。物理学でいう波動関数や波動方程式とはまったく別物のようだけどね」
   演者は金色の毛の生えた指でテーブル上の小型通信装置を指した。「たとえば、このセルフォン。これなど元凶です。ひじょうに強い電磁波を出すうえに、頭のすぐそばで使う。わが国ではセルフォンが普及してから脳腫瘍の発生率が五八六・二七パーセントに増大したといわれています」
 「うわ、ドラマ数字。しかも典拠がない。それにセルフォンの出力は調理家電の数千分の一以下で、ひよこほどの危険もないのに」ワイズマンはあきれるのを通り越して笑い出しそうだ。いっぽうぼくは、緊張している。ほんの新人だから、この初老にさしかかった高IQ科学者のように茶化す余裕はない。もっとも、メインメンバーのふたりに比べたら役割は微々たるものなのだけど。
 「証拠をおみせしましょう」演者は白衣のポケットから矩形(くけい)の器械を出た。手帳ほどの大きさに名刺大の画面があり、扇形の目盛りと針がついている。「これは電磁波の強さをはかる測定器です。セルフォンに近づけると」針が大きく動いた。
 「ごらんください。すごい振れです」といってカメラに目を向けたとたん、器械から派手に火花が散った。「なんと。あまりの電磁波の強さに測定器がショートしました」
 「いまだ」ホークアイが深く静かな、しかし決然とした声でいって椅子を立った。五フィートちょっとの小柄な体が一瞬、大きくみえた。
 「行くぞ、マコト」ワイズマンがぼくの背を軽く叩く。
 ぼくら三人はいっせいにかつらやめがねをはずし、制服をはぎとった。変装用衣装はマジックテープでとめただけの布にすぎないから瞬時に変わり身ができる。そしていつもの装いでスタジオ内へ飛びこんだ。先頭は黒スーツ姿のぼくが、プラカードをかかげて。つぎが初夏らしい麻のジャケットの腕に資料一式を抱えたワイズマン。しんがりは、現役時代とおなじ色柄あざやかな民族衣装ふうのいでたちをしたホークアイだ。先住民の彼は四十代になってもこんな派手な色がよく似合う。
 ぼくは事前の練習どおり、カメラにプラカードを向けた。「国立科学浄化局より参りました。ごぞんじ、疑似科学バスターズですうっ」ここは声量が勝負の場面で、学生時代にグリークラブで鍛えたから自信はある。前任者にはかなわないかもしれないが。
 プラカードには太いゴシック体でこう書かれている。
  疑似科学バスターズ、見参
 この登場時の演出はおよそ十年前の活動開始時からずっと引きつがれている。国民にはすっかりおなじみで、芸人たちがパロディにするくらい浸透していた。それを、まさか自分がやることになるなんて。いまだに実感がわかない。
 「なっ。ななっ」自称医師はかわいそうなほど驚いていた。とうぜんだ、ぼくらの闖入はまったくのアポなしなのだから。「とっ、とめろ。収録は中止だ」ガラスの奥に向けてクリップボードを振り回す。
 「無駄ですよ。すでにスタッフは説得ずみです」ワイズマンは東部の洗練されたアクセントできっぱりいった。「なお、これは収録ではなく生で流しています。昼食後のこの時間、およそ二千万人がみているはずです」さわやかにほほえむ。だがその青い目だけは笑っていなかった。
 「なっ。なっ」うろたえる演者にホークアイが音もなく近寄り、すばやく左手を伸ばして器械をとりあげた。
 「背面にボタン。これに触れると針が動く仕掛けだ。電池すら使っていない玩具だな」器械をカメラに向け、操作してみせる。「それと火花のトリックだが、パームしたフラッシュコットンがみえていたぞ。視線移動によるミスディレクションも失敗している。もっと修行しろ、このど下手くそ」パームとは手のひらにものを隠すこと、ミスディレクションとは観客の注意を誘導することを指す専門用語だそうだ。フラッシュコットンは火花や炎を出す演出のための小道具で白っぽい綿だが、ぼくだって目をこらしていたのにそんなものはちらともみえなかった。視力四・〇は伊達じゃない。
 「ちっ、ちがう。そんなの噓だ。細工なんてしていない」演者は汗を飛ばして叫んだ。 「みなさん、わたしははめられた。だってこの男、有名なもと奇術師じゃないか。ステージネームは、モヒ族さいごの呪術師」腕を振ってホークアイを指した。
 「この奇術師がたったいま、わたしの測定器をにせものとすりかえたんだ」
 指された男は黒い両目で糾弾者をみすえると、ステージ用衣装の長い裾(すそ)を払って赤銅色の右手を突き出した。「この手で奇術ができると思うか」
 彼の利き手には親指がなかった。
 「はい、ネットワークをごらんのみなさん。わたしが解説いたします」ワイズマンがテーブルに資料を積みあげた。その背後でぼくはつぎのプラカードをかかげる。
  ノーペル賞ダブル受賞者ワイズマン博士の疑似科学解説コーナー
 「まず測定器のトリックについては、このあと該当部分の動画をスロー再生で流しますのでご確認ください。ホークアイのいうとおりだとわかるでしょう」奇術師に視線を向ける。ふたりはうなずきあう。その雰囲気は十年来の同志にしか出せないものである。いや戦友というべきか。このまったく対照的なふたりが手を組んで疑似科学という共通の敵にたいし長年戦いつづけている真の動機を、ぼくはまだ知らない。
 「そして。つぎに注目すべきは、このひとの経歴です」科学者は楽しくてたまらないといったようすで演者を振りかえり、友人に向けるような笑みをみせた。だがやっぱり目は笑っていない。
 「肩書きどおりのりっぱな医師にみえますね。ニューキングスカレッジ医学部卒とのことですが、科学浄化局はニューキングスの卒業者名簿を調べました」資料の山のいちばん上から書類をつまみあげ、カメラの前に突き出す。連邦政府のレターヘッド入りの正式なものだ。
 「結果、このひとの名前はありませんでした。つづいて医師免許試験合格者名簿も調べたところ、やはり載っていませんでした」つぎの書類。こちらももちろん公式だ。
 これらの調査はぼくが担当した。バスターズにおけるぼくの役割とは、専属雑用係。天才肌のふたりの事務的な補佐である。
 酔いどれパディというニックネームで国民に愛された前任者が非業の最期をとげたあと、殺到した応募者のなかから選ばれたのがぼくだった。マイナーな地元カレッジ卒、古典ゲール語文学というマイナーな専攻。さまざまな機関や人物をあたって埋もれかけた古い詩を探し出し、翻訳し、万人にわかるよう発表するという作業をつづけたおかげで文献調査能力と事務処理能力に自信はあったけれど、なぜぼくが選ばれたのかいまひとつ腑に落ちなかった。質問してみても、ふたりは。
 「声量だな」
 「その、マスコットっぽいところ。正義のヒーローチームにはマスコットが必要なんだよ。名前だってマスコットっぽいしね。ほら、マ・コ・ト」
 といった、決め手となるには不十分な要素しかあげてくれない。ワイズマンはお得意の微妙系ジョークまで使っていた。ぼくの名前はじいちゃんによれば真実という意味で、マスコットとは関係がない。なおじいちゃんの名前はシンノスケで、やはり同じ意味だという。
 たしかにぼくの前任者もマスコット的キャラクターであり、マイクがなくとも二千人規模のホールに台詞を通せるほどの声の持ち主だった。
 ワイズマンはスタジオでの暴露をつづける。「とはいえ、みなさんが個人でここまで調査するのはむずかしいですね。しかし、この種の詐欺にはみやぶるための手がかりがあります」
 「さ、詐欺とはなんだ」演者が声を荒げた。額にも首にもひどい汗を流している。「わたしは電磁波の危険を国民に訴えようとしただけだ。それを妨害するなんて。だから政府は」
 「なんどいったらわかるんです。電磁波は人体に悪影響をおよぼす証拠はないと、国立疾病管理センターが調査結果を公表して繰りかえし勧告しているでしょう」高IQ科学者は資料の山から論文の写しを何種類もとりあげた。すべて一流科学雑誌に掲載されたものだ。
 「それに。危険を訴えるだけではなく、これを売っていた」スーツのポケットからビニールで粗略にパッケージされただけの模造宝石をとりだす。「販売時の添付文書によると、この石はジルコニア。宝飾品のように身につければ電磁波はじめあらゆる有害な波動を中和するはたらきがある、とうたっていますが」
 「だ、だからなんだ。噓は書いていないぞ」演者の汗はますますひどくなる。
 「ジルコニアとは二酸化ジルコニウムのことで、このような模造宝石、それと歯科治療にも使われます。着用するだけで電磁波を遮蔽(しゃへい)できるわけがないのですが、検証するのも個人ではやはりむずかしいでしょう。だから、みなさんが手がかりとして着目すべきはその価格です」石をカメラに向けて突き出す。「もしこれがガラス玉ではなくほんもののジルコニアだとしても、この大きさなら通信販売で五ダラーも出せば買えますよ。それをこの、医師を騙(かた)るひとは五百ダラーで売っている」
 「それはただのジルコニアじゃない。電磁波中和効果があるものを厳選している。事実、体調がよくなったと賞賛の声がこんなに」演者はクリップボードからプリントアウトの束を抜き出した。
 ワイズマンは冷ややかな目つきになった。「ここも手がかりです。効果を証明するのは体験談だけ、とは典型的な疑似科学商法の手口ですよ。実験で数字を出してくださいますか、もちろんきちんと対照を置いて」
 「うっ」相手は詰まる。
 「いいですか、みなさん。魔法はけっして起こらないのです」
 いつもの決め台詞を放つと、高IQ科学者は模造宝石をかかげたままカメラに寄った。青い瞳が大写しになった。「存在しない恐怖をあおって金を出させるのが詐欺師の常套手段です。科学の皮をかぶっていますが、たとえ科学知識がなくても冷静に疑う心を持てば、かれらに打ち勝つことができます。今回のメッセージは」ちょっと引いて、ぼくを画面のなかに入れた。ぼくは新しいプラカードをカメラに示す。
  その恐怖、ほんとに存在していますか
 「以上、疑似科学バスターズがお送りしました」ワイズマンが右手を前に出し片足を引く古風なしぐさで一礼する。ガラスの向こうでは抱きこんだスタッフたちが親指を立てて微笑した。にせ医者は腰が砕けたように床へ座ってしまった。

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