『5まで数える』

収録短編「やつはアル・クシガイだ」全文ためし読み

松崎有理『5まで数える』刊行記念 特別全文ためし読み

松崎有理さんの新刊『5まで数える』の刊行を記念して、同書収録で「ちくま」連載時から評判が高くシリーズ化を希望する声も多い、疑似科学バスターズが活躍するネオ・ゾンビ小説「やつはアル・クシガイだ」を全文公開します。単行本『5まで数える』にはこの物語の前日譚「バスターズ・ライジング」が収録されていますので、バスターズにまた会いたいという方はぜひそちらもお読みください。


 ずいぶん夜が更けて、寝ているであろう両親を起こさないようにそうっとフラットに入ると、居間の灯りはまだ点いていて。
 「おかえり、マコト」じいちゃんがヘッドホンを耳から振り払いながら出むかえてくれた。音ではなく微妙な振動で孫の帰宅を察知するらしい。「ほれ。買っといてやったぞ、ミニッツのドーナツ」紙袋を突き出す。
 「わあ。ありがと」袋の中身はシナモンとグレーズドだった。どちらもぼくの好物だ。もっともミニッツの商品はどれを試してもはずれがない。
 まずシナモンのほうをかじりながら、ぼくはじいちゃんと並んでソファに腰を沈めた。じいちゃんは放り出していたコントローラを握り、一時停止を解除した。画面のなかで二次元の女の子が動き出す。
 「またやってるの、ギャルゲってやつ。よく飽きないねえ」
 じいちゃんのヘッドホンはまだ首にかけられたままだ。「これは新作。前のはクリアした」というがぼくにはさっぱり区別がつかない。「で、きょうはどうだった。モヒ族さいごの呪術師は、こんどはベーグルの穴でも消してくれたか」
 じいちゃんは現役時代のホークアイのファンである。
 シナモンドーナツを食べ終えて指先をなめてから答えた。「なんどもいったでしょ、ぼくの仕事には守秘義務があるの。たとえ肉親でも詳細を話せないんだってば」
 「わかった、わかった。じゃあこうしているから」じいちゃんはヘッドホンをつけた。「自由に話してくれ。おれは女の子たちがしゃべる故郷のことばをきいてるよ」
 ぼくは微笑してふたつめのドーナツを袋から出した。女の子が好きというより祖国が懐かしいんだな。だからわざわざ祖国製ゲームの現地版をとりよせて原語でプレイしている。
 「うひょう。アミちゃん、かわいいっ」だらしなく目尻を下げた。やっぱり女の子が好きなだけかも。
 ドーナツをひとくちかじってグレーズの甘みを味わってから、ぼくはひとりごとのように話をはじめた。「局長からつぎの指令がきた。すごく奇妙な事件なんだ。裏に疑似科学がからんでいる、と連邦警察が判断して回してきたらしい」
 「そのスカートかわいいねえアミちゃん。でももっと短くてもいいかな」
 ゲームでなければりっぱなセクハラだ。「ある男が隣人を殺害した。銃で頭部を撃ち抜いて、即死させた。そこまではよくある殺人事件だ」
 自分自身のことばに身震いした。よくある殺人事件、とはなんとおそろしい言い回しか。
 この国には銃が多すぎる。国民の人数の三倍を超える数の銃器類が存在しており、年間の殺人件数も銃の所持数を反映していた。引き金だけでひとを殺せる武器が手近になければ起こりえなかった事件は多い。これだってそのひとつだ。生身の人間にたいし斧やナイフを振りかざし、断末魔をきき返り血をあびる覚悟のあるやつはそういない。相手が顔見知りならなおさらだ。
 ほかの先進国では銃の所持は厳格に規制され、おおかたの市民はいちども実物をみないまま天寿をまっとうするというのに。
 だがじいちゃんはぼくの葛藤など知らぬげに。「つぎはランチじゃなくて、ディナーにしないか。できればそのあとも」
 展開があまりに急じゃないかなあ。「しかし、事件後すぐに逮捕された犯人の供述がおかしかった。その男、こういったんだ。隣人はアル・クシガイになっちまった、だから退治した。ひとを殺したなどといわれるのは心外だ、と」そこでドーナツの残りを口に入れた。
 ばかばかしい。アル・クシガイなんて、低予算のB級ホラー映画に登場する架空のモンスターにすぎない。いちど死んだ者が起きあがって動き出す。腐りかけの体でぎこちなく歩き、意味のわからないうめき声をあげ、人間を襲い脳を食らう。襲われた人間はアル・クシガイとなってよみがえり、ほかの人間を襲う。たしかにこわいが、しょせんサブカルチャーのなかだけの存在だ。殺人のいいわけにするなんてどうかしてる。
 ところが犯人は真顔で訴えるのである。以下、供述書によれば。
 「あの男とはうまくやってた。車寄せのとこでみかけたらあいさつして、ちょっと世間話するくらいの間柄だった。だがさいきんようすが変でな。あの朝、どうしたんだときいてみたら、あいついうんだ。まるで自分は死んでるみたいだ、って」
 犯人はいわゆるアル・クシガイ・アポカリプスマニアだった。ある日どこかでアル・クシガイが現実に発生し、周囲の人間をつぎつぎと仲間にしていき、さいごはすべての人類がアル・クシガイに置き換わって世界は終わる、と信じてその予防のために入念な準備をしているひとびとである。犯人の自宅は高さ七フィートの柵で囲まれ、窓にはすべて鉄格子が入れられ、地下室はふさがれたうえで屋根裏部屋に大量の武器弾薬と食料が備蓄されていた。アル・クシガイは動きが鈍いので柵を登れない。まんいち柵を壊されて屋内に侵入されても、階段を破壊すればもうあがれないから階上に立てこもることが可能とのこと。
 「生き残るには戦略がだいじだ。アル・クシガイ対策は、上へ逃げるのが原則。地下室はぜったいにだめ」犯人は真剣に主張する。「映画でよくみるだろう。床に開いた扉からやつらがなだれこんできて、追い詰められて、ジ・エンド。だから地下室への入口はあらかじめ封じておく。どこかの馬鹿が逃げこんで、そいつもアル・クシガイになっちまったらやっかいだからな」
 この手のマニアの増加は近年社会問題化している。アポカリプスの準備ばかりしていて生産活動に参加しないからだ。本来なら働いているべき健康な若者がマニアのコア層であるためなおさら問題だった。この犯人も三十三歳である。
 書類に添付された犯人宅の写真をみて、ワイズマンは頭を抱えた。「なんてことだ。存在しないもののために、ここまで」あとはだまった。ことばが出てこないようだ。
 「家の改装や各種備蓄に散財するのはまだ趣味の範囲だ。戦闘訓練にあけくれ自宅に立てこもるのも、個人の自由だろう。労働せずに納税の義務を怠るのは、ほんとはだめだがなんとか目をつぶる。しかし」ホークアイがつづけた。「盲信はひとの命を絶つ理由にはならない、けっして。死んでしまったらもう取り返しがつかないんだ」
 「盲信のために死人が出るような不幸は終わらせなければ」ワイズマンがいう。
 かれらの声がかすかにふるえたのをぼくはききのがさなかった。
 犯人および被害者自宅からの証拠品より、ぼくらは調査先をしぼりこんだ。明日以降はそこへ出向くことになる。
 基本方針を立て終えたあと、ホークアイがこんなことをつぶやいた。「この件。いやな予感がする」
 むかしの芸名のせいか、彼がいうとなんだか重みがある。もちろんワイズマンは非科学的だといって気にとめなかった。いわく、虫の報せはなんの報せでもない。
 「アル・クシガイか、不思議なことばだなあ。どんな意味なんだろ」ぼくは指についたグレーズをなめた。「外国語かな。響きからして中東っぽいけど」
 「ちがうぞ」じいちゃんがとつぜん応じた。「アル・クシガイとは、歩き回る死体という意味だ」
 「やだ。じいちゃん、きいてたの」
 たしなめると相手はすっかり薄くなった頭をかいた。ヘッドホンはつけたままだ。「いやあ。いまのとこだけ、な」みれば、コントローラの消音ボタンが光っている。いつからだ、いったい。

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