『5まで数える』

収録短編「やつはアル・クシガイだ」全文ためし読み

松崎有理『5まで数える』刊行記念 特別全文ためし読み

松崎有理さんの新刊『5まで数える』の刊行を記念して、同書収録で「ちくま」連載時から評判が高くシリーズ化を希望する声も多い、疑似科学バスターズが活躍するネオ・ゾンビ小説「やつはアル・クシガイだ」を全文公開します。単行本『5まで数える』にはこの物語の前日譚「バスターズ・ライジング」が収録されていますので、バスターズにまた会いたいという方はぜひそちらもお読みください。


 ロクスタ師というのは十年ほど前に一世を風靡した自称超能力者である。巨大な劇場を借りきってコンサートのごとき超能力公演を催し、そのすぐれた演出で数万人の参加者を熱狂させた。透視、予言、そして念動力。彼はモニタの前でネットワーク中継をみている視聴者にも訴えかけた。あなたたちの奥底にも不思議な力が眠っている。わたしがその力を解放しよう。まずは手近にあるスプーンを持って。いまからわたしのやるようにすれば、そのスプーンをいともかんたんに曲げることができるはず。それがあなたの眠れる力のあかし。あの催眠をかけてくるような独特の声はいまでも耳の奥にこびりついている。
 もちろんどうやっても曲げられないひともいたし、ぼくもそのひとりだった。だがショートコメントをつうじて、自分も曲がったと主張する者があとをたたなかった。国じゅうが熱中していた。公演のチケットは高額だったが飛ぶように売れた。中継のあいまに彼特製の護符のコマーシャルが流された。持っているとロクスタ師の念力を感じるという宣伝文句で、これもよく売れた。ぼくは買わなかったけれど、当時はクラスメイトの半数くらいが持っていたように思う。
 あなたにもできる。そのひとことが子供たち、いやあらゆる年齢層の心に響いたのだろう。自分にも特別なところがあるとひとは信じたい。じっさいぼくも、どうやってもスプーンを曲げられないとわかった直後はひどく落ちこんだものだった。
 翌日、ぼくたち三人は連邦警察の担当者とともに長期収監者用刑務所を訪問していた。 「スプーンの材質や太さはさまざまだ。家庭で使われているなら劣化もあるだろう。スプーンの背を自分のほうに向け縦に握って、先の部分を思いきり弧を描くように手前に引けば、てこの原理で曲げられるものもある」というのがホークアイによる種あかしだった。「ネットワークの視聴者は数千万人におよぶ。そのうち〇・一パーセントでも成功すれば」
 「たしかにそれは、ほんものの超能力だって大騒ぎできるくらいすごい人数ですけど。でも、成功しなかったひとはその千倍いるんですよね」
 「賢くなったなあ、マコトは」ワイズマンは靴音をコンクリートの床に響かせつつうんうんとうなずく。「だがね。人間の心理の特性として、起こらなかったことはわきに置いて起こったことだけを重視するんだよ。だからスプーンを曲げられなかったやつが声をあげることはない」
 「とはいえ、ロクスタがステージ上で超能力と称して行う奇術は高度なものだった」ホークアイがつづける。「とくに脱出芸が天才級。だから念には念を入れて、こうしている」
 地下の廊下をうんざりするほど歩いてようやくたどりついた独房は、驚いたことに四方がガラス張りで、ロクスタ師は拘束衣まで着せられていた。しかしなにより異様なのは、彼の容姿が十年前とほとんど変わらないことだ。たしかに当時から年齢不詳ではあったのだが。
 「よう、ロクスタ。元気か」もと奇術師は強化ガラスをはさんでもと詐欺師と対峙した。
 「なにしにきた、モヒ族さいごの呪術師」ロクスタ師は冷たい緑色の目で見返してきた。秀でた額にはプラチナブロンドの長い髪がひとすじ垂れている。「左手の親指も嚙み切られたいか。こんどこそすべての魔力を失うぞ」むきだした歯はあまりに白くあまりに整いすぎていて鋭利な刃物を思わせる。顎も細く整っており猛禽の嘴(くちばし)のようだ。その美しい歯から顎へ唾液がしたたり、ぬぐわれぬまま糸を引いて光った。
 ぼくは急激な寒気をおぼえた。ふたりの確執はあまりに有名だ。ホークアイの利き手の親指を奪い、奇術師廃業へ追いこんだのはロクスタだという。彼がかたくなにセルフォンを使わない理由もその事件と関係があるらしい。もっとも詳細は知らない。公表されていないしホークアイ本人からきいたこともない。なおぼくがセルフォンを持たないのは過去の大事件のせいでも電磁波がこわいからでもなく、たんに費用が折りあわないだけだ。
 ホークアイは仇敵の挑発にも冷静だった。「司法取引したい。協力すればそのきゅうくつな生活がすこしはやめに終わる」
 「ロクスタ。皮肉な名だな、どうせ語呂だけで選んだ芸名だろうが」ワイズマンがもと奇術師の背後でつぶやいた。「帝政ローマ時代の毒物使いだ。そのあまりに卓越した技のためふだんは牢につながれ、有事のさいには引き出されて皇帝のために働いたという。ようするに暗殺業務だ」
 十年の歳月がたち、ひとびとはロクスタの詐欺行為についてはほとんど忘れている。被害総額こそ建国以来最大クラスだったが、なにせ被害者の数が多いのでひとりあたりの損失額はせいぜい数百から数千ダラーだ。被害の記憶は風化し、すごい超能力を披露していたことだけをおぼえている。ロクスタが再登場するにはよいタイミングだった。
 「原理は、こういうことだ」さきほど事務所を出る前にワイズマンが説明してくれた。「集団ヒステリー収束の要因は、もちろんバスターズたち懐疑派や司法の活躍もあるが、いちばん影響が大きいのは大衆の飽きだ。かれらは熱中するのと同じくらいすみやかに飽きて、別のものに関心を移す。たしかにロクスタの活動は詐欺でありひとびとから金と時間を奪うけれど、アル・クシガイ・アポカリプス騒動に比べればずっと危険がすくない。ひとびとを超能力イベントに熱中させ、アル・クシガイを忘れさせる。毒をもって毒を制するのはよいアイデアだよ」ホークアイを振りかえる。
 「応急手当だ」もと奇術師は瞑想するがごとく両目を細くしていた。「盲信への特効薬じゃない」

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