『5まで数える』

収録短編「やつはアル・クシガイだ」全文ためし読み

松崎有理『5まで数える』刊行記念 特別全文ためし読み

松崎有理さんの新刊『5まで数える』の刊行を記念して、同書収録で「ちくま」連載時から評判が高くシリーズ化を希望する声も多い、疑似科学バスターズが活躍するネオ・ゾンビ小説「やつはアル・クシガイだ」を全文公開します。単行本『5まで数える』にはこの物語の前日譚「バスターズ・ライジング」が収録されていますので、バスターズにまた会いたいという方はぜひそちらもお読みください。


  あとはもう、事態はあれよあれよと進行していってぼくの手には負えなかった。ぼくたちがあわててエレベーターで浄化局ビルの一階まで降りていくと、受付前で職員たちが頭を吹き飛ばされて倒れていた。そのなかにはリズの死体もあった。ぼくはその場で失神した。
 「マコト。マコト。しっかりしろ」ワイズマンが頬を叩くので目が覚めた。いつのまにか受付ブース内に体が移動させられていた。
 「外は暴動だ」ホークアイが民族衣装の裾をひるがえしてブースの陰に入ってきた。「銃を持っているやつは乱射している。斧やバールで頭部を狙って手あたりしだい殴り殺しているやつもいる。道路は死体の山で車両も通れない。もはや説得してどうにかなる状態じゃない」
  「特殊部隊を呼ぶぞ。軍隊も」ワイズマンはスーツのポケットからセルフォンを抜いた。だがいずれもつながらない。
 「大統領は」ホークアイがいう。ワイズマンは直通番号へかけたが、やはりつながらなかった。
  ぼくは両手で体を抱いてふるえながら、ホラー作家からもらった本の内容を思い出していた。緊急事態では公共施設に避難者が殺到する。病院、警察署、役所などは避けたほうが無難。混乱に巻きこまれ、誤射されるおそれもある。
  待てよ。浄化局は公共の建物では。
 「ん。なんだ」ホークアイが頭をあげた。ビル正面のはんぶん開いたガラス扉に向かって群衆が押し寄せてきた。恐怖に顔をゆがめて逃げこんでくる男女子供老人、武器を手にして追ってくるアル・クシガイ・アポカリプスマニアの集団。助けて、という絶叫は立てつづけの銃声でかき消される。
 「伏せろ」ワイズマンが叫んだが間にあわなかった。モヒ族さいごの呪術師の頭部は一瞬にして消えた。
 「隠れろ、パディ」高IQ科学者は力まかせにぼくの体をブースの下に押しこんだ。つぎの瞬間、彼のたぐいまれな脳は破片となって床に散った。ぼくはパディじゃない、といおうとしたのにやっぱり間にあわなかった。
  そのつづきはあまりおぼえていない。群衆が去ったか死んだかして静かになったあと、ぼくは隠れ場所から這い出し、ホークアイとワイズマンの無残な姿をみてしこたま吐き、それから泣いた。泣き疲れてすこし眠り、目覚めてもちっとも気分はよくならなかったけれど足が勝手にフラットの方角へ向いた。美しかった五番街は瓦礫と死体の寄せ集めと化しており、肉のこげるいやなにおいがたちこめていた。
  よくもぶじにたどりつけたものだと思う。フラットのある建物も正面玄関が破壊され、あちこちから煙があがり、窓はすべて割れていた。エレベーターが止まっているので外壁の非常階段でフラットまであがる。じいちゃんは居間でコントローラを握ったまま頭を撃たれて死んでいた。ヘッドホンは着弾の衝撃で壊れていた。孫の帰宅はわかってもアル・クシガイ・アポカリプスマニアの侵入には気づけなかったらしい。
  もう涙は出なかった。使いつくしてしまったからだ。
  じいちゃんの死体のとなりに、先日持ち帰ってきた『アル・クシガイ・アポカリプスを生き抜くために』が落ちていた。表紙にはじいちゃんの血が散って、ますますアル・クシガイ本っぽい感じになっていた。ぼくは放心したまま本を拾いあげ、ソファに腰を落としてぱらぱらとページをめくった。とちゅうに紙片がはさまれていた。しおりがわりの紙片は新作ギャルゲの広告だった。
  しおりが示すページは第六章「緊急事態」のさいごあたりで、こんなことが書かれていた。
 地下へ逃げることは原則推奨しませんが、冷戦時代につくられた核シェルターは例外です。深度があり地表の混乱からじゅうぶんに隔離されるので長期にわたる立てこもりに向いています。アポカリプスが発生したらここへ逃げこむのが最善策のひとつです。
  じいちゃんに手をあわせてから、本を抱えてフラットを出た。また非常階段を使って地表をめざす。すでに夜があけていた。階段の鉄の手すりは朝露に濡れて冷たい。いまだくすぶる高層ビルのすきまから金色の朝日がみえた。風が埃まみれの髪をゆらす。ああ、アル・クシガイ・アポカリプスがきても陽はまた昇るんだ、いつものように。
  一階ロビーから管理用の扉を入る。おぼろな記憶によれば、この先の床に扉があって階段で地下へ降りられたはず。この建物は古いから核シェルターがあるかもしれない。
  だが進むにつれ悪い予想がひしひし襲ってきた。もしこの集合住宅にもアル・クシガイ・アポカリプスマニアが住んでいたなら、この残された希望も、すでに。
 「この、おおばかやろう」ぼくは床へ膝をつき、地下階への扉を両方の拳で交互に殴った。鉄の扉は鎖で固く閉ざされており、埃のつきぐあいからみてだいぶ前からこの状態だったようだ。手の皮膚が裂け血がにじむが、奇妙なほど痛みを感じない。「ばか。ばか。おまえらのせいだ。おまえらのせいで、人類が滅亡してしまうじゃないか。どうしてくれる」さいごに本を投げつけた。本はうつろな音をたてて扉の上でバウンドし、むなしく数歩先の床に落ちた。
  叫び疲れて床に突っ伏し、また眠りこんでしまった。飲まず食わずでフラットまで歩いてきたし、精神的なダメージもひどかった。眠りでもしないとやっていられない。
  夢のなかでも廃墟をさまよっていた。片手にバール、もう片方の手に例の本。身を守る装備はたったこれだけ。食料を求めて瓦礫をかきわけていると、倒壊した建物の陰からなにかがゆっくりふらふらさまよい出てきた。あの動き、アル・クシガイだ。
  飢えと疲労と恐怖にふるえる手でバールを握りしめる。一撃だ、一撃で勝負がきまる。このバールの先を相手の腐った眼窩に突き刺し、渾身の力でねじりあげる。そうすれば脳を破壊できる。やるしかない、失敗すればあいつらの仲間入りだ。
  その小柄なアル・クシガイは右手をこちらに伸ばしてきた。親指が欠けている。左腕に抱えているのはなぜかミニッツのドーナツボックスだ。ぼくをみてうめき声をあげる。ことばはしゃべれないはずだが、ぼくにはこうきこえた。パ・ディィィ。
  ぼくは夢のなかで絶叫し、自分の声で目が覚めた。ひどく汗が出ていた。あわてて周囲をみわたすと、アル・クシガイは一体もいなかった。そのかわりかすかに声がきこえてきた。こういっている。「緊急放送、緊急放送。非常事態宣言」
  急いで管理扉を抜けてロビーへ出る。非常用電源がまだ生きていて、ロビーでは壁の上部に埋めこまれたスピーカーのランプが赤く点滅していた。
 「国民のみなさん。もうだいじょうぶです」大統領の声だった。ぼくは安堵のあまりヒップヒップホーレイ、と三唱して国歌を歌いたい気分になった。体力が極限まで落ちていて実行できなかったので、座った姿勢で拝聴する。
 「繰りかえします。国民のみなさん、安心してください」大統領は毅然とした声でいった。ああそうだ、この安心感を与えてくれるのが大統領の職務だ。ぼくらはそのために彼を選出したのだから。煤やら埃やら正体不明の茶色のしみやらで汚れて破れかけた服の上からすっかりへこんだ腹をなでた。助かった。いろいろひどいことになったけど、とにかく助かったんだ。
 「このたびのパニックはまもなく鎮まります」大統領は自信にあふれた調子でつづける。「全国に広まったアル・クシガイどもを一掃するため、これより全土に核弾頭を投下します」
  耳を疑った。なんだって。
 「これでさすがのアル・クシガイどもも全滅するでしょう」大統領は誇らしげに、力づよくいった。右手を振りあげるジェスチャーがみえるようだった。「それでは、さっそく秒読みをはじめます。二十、十九、十八」 ちょっと待て。
  カウントダウンの声の方向へ這い進み、壁にすがって立ちあがった。「ちょっと待て」スピーカーに向かって叫ぶ。もちろん双方向通信ではないとわかっている、でもいわずにはいられない。
 「だめだ。そんなこと」一語ごとに、感嘆符でもつけるように、壁を拳で強く叩いた。「そんなことしたら、だめだ。こんどは、放射性アル・クシガイが、徘徊することになる。やっぱり世界は、破滅だ」
  ぼくの叫びをきくものはいなかった。拳から流れる血で壁に新たなしみをつくりつつ、床に尻をつけて座りこんだ。
  天井を仰ぐ。世界は終わる。アル・クシガイのために。

 

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