ちくま新書

フィレンツェの石

この世に無数に存在する石の中には、目を引く美しい模様を持つ石が多くあり、またそこには様々な物語があります。 6月刊『奇妙で美しい 石の世界』(ちくま新書)の中の一篇「フィレンツェの石」を公開いたします。 (※写真は、実際の本とはトリミング・配置が違っており、こちらでは省かれているものもあります)

 山の上で見つかる魚や貝の形の入った石は、本当に生物由来のものなのか、それとも単にそうした形に似ているだけなのか──これは大きな論争の的だった。
 生物の痕跡だとすると、山がかつて海の底にあったことを説明しなくてはならない。プレートの移動、造山運動といった考えのない時代だ。陸と海は万年単位の長い周期で入れ替わるのだという説が古くからあったし、海と山は地中のトンネルのようなものでつながっていて、化石はそこを通って、陸上で水とともに噴き上がったものだという説も支持されていた。レオナルド・ダ・ヴィンチは化石の貝に成長の跡がはっきりと見られることを指摘し、生物由来説をとった。かつて世界は全て海に覆われていたが、海底の大きな空洞が壊れて水位が一気に下がり、陸地と山々ができたのだと考えたのだ。
 
また、聖書の記述と厳密に矛盾のない答えを得ようとすれば、これこそ高い山が海中に沈むほどの大異変、つまり旧約聖書に記された大洪水の痕跡にほかならない、と考えるのは自然なことだった。ただ、なぜ化石には、アンモナイトのような見たこともない生き物の姿があるのかというのがまた厄介な問題だった。これはやがて、異なる地層に異なる形の生き物の姿の石が見られるのは、世界が何度も破滅的激変を経験している証拠にほかならないという「天変地異説」として、初期の古生物学者の一部にも引き継がれていく。
 
一方、生物起源でないとする主張はどんなものかといえば、これは現在から見ればかなり神秘的なものだ。当時、無機物も有機物と同じ形を得ることがある、という考え方は古典時代から続くひとつの有力な視点だった。化石は地中に存在する「形を生む力」によってできた、「自然の戯れ」によるものなのだという考えは広く支持されており、石の中に見たことがない生物の形があるのもその証拠なのだと考えられた。自然の造形は天体(太陽、月、惑星)の力に左右されていて、この力は時に、石の中に具体的な像を生むという考えもあった(13世紀の学者アルベルトゥス・マグヌスも『鉱物論』の中で、こうした見地から石の中の像を説明している)。人間が描いた絵も、強い石化作用をもつ土に埋もれれば、比較的短時間で石になると主張する学者もいたし、石を形成する「霊気」のようなものが、石の中にさまざまな造形を生むと主張した者もいた。
 
こうしたなか、フィレンツェ周辺で採れる「風景の石」パエジナは、当初、化石は全て生物由来ではないとする説の大きな根拠になった。リアルな風景のミニチュアのような絵が石の中にあるということは、自然の「形を生む力」を示すもの、あるいは石の中に像を生むなんらかの神秘的力によるもので、化石も同様だということだ。より信心深い者は、石の中の絵は天地創造の痕跡、あるいは神がなんらかの意図をもって残したものであり、十字やキリストの磔刑図のような形が見える石と同列に扱うべきものだと考えた。

 
 
 
17世紀を代表する知識人の一人、アタナシウス・キル ヒャーの『地下世界』に収録されたさまざまな「絵の ある石」。彼によれば、絵のある石は、「単なる偶然」 「ある種の気体が土に埋もれた生物や遺物または周囲の環境を石化したもの」「似通った形を引き寄せる磁気によるもの」「神と天使によってなされたもの」の 4つに分類できるとしている。一番下の町の絵がパエ ジナの模様。

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