日本人は闇をどう描いてきたか

第四回 病草紙 ――罪の表徴としての身体

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第四回は、両性具有者を描いた作品から。

仏教と病

 仏典をひもとくと、病を、因果応報、つまり前世や現世における悪行や悪縁の結果とみなす記述が散見される。例えば『法華経』譬喩品(ひゆぼん)には、経を軽んじる罪と病との因果関係が次のように説明されている 。

 この経を謗(そし)るが故に、罪を獲ることかくのごとし。もし人となることを得れば、矬(せひくく)・攣(ひきつり)・躄(いざり)・盲(めしい)・聾(ろう)・背傴(せむし)とならん。

 『法華経』を誹謗した者は、たとえ地獄や餓鬼の世界に転生することをまぬがれ人間に生まれたとしても、背が極端に低く、体がひきつり、いざり歩き、盲目や聾啞、背傴となると説く。病や障碍を悪業の報いと捉え、病者に対する蔑視を誘発するような考え方は、今日の医学や倫理観とは大きく異なっていて、あまりに酷薄な内容が読む者をとまどわせる。
 しかしながら、前近代の日本における病への向き合い方には、このような経説が大きく影響している。病気平癒のための加持祈禱、延命を目的とした写経や造仏、これらは病の原因となっている悪業や悪縁を取り除き、善根を積むためになされたのである。
 「病草紙」では、ほぼ全ての場面において、病者の周囲に病の者を憐れむどころか、指さして笑い蔑む者たちが描かれている。嘲りの背景には、病や先天性の疾患を仏罰として捉え、罪のしるしとみなす価値観が存在していた。

両性具有をめぐる罪業感

 京都国立博物館蔵「二形」(ふたなり)には、男性器と女性器をともに備えた者が描かれており、詞書によると、両性具有の彼/彼女は占いを生業(なりわい)にしている。

 中頃、京都(みやこ)に鼓を首に懸けて、占(うら)し歩(あり)く男あり。形男なれども、女の姿に似たることもありけり。人これを覚束ながりて、夜寝入りたるにひそかに衣(きぬ)をかき上げて見ければ、男女の根、共にありけり。これ二形の者なり。

病草紙 二形(国宝、京都国立博物館蔵)
画像出典:病草紙(2017年、中央公論美術出版)より

 現代医学に照らして理解すると、二形とは性器の発達が通常と異なる性分化疾患のひとつである。染色体、生殖腺、各種ホルモンの分泌異常など様々な原因がある。ただし、本図に描かれたように、男性器と女性器の外形が、ともに成人になるまで発達するという症例は存在しない。また平安時代の医書や、その源流となった隋・唐時代の医書にもこれに該当するような症例は見当たらない。
 一方、仏典には両性具有を意味する二形や、これと同義の二根(にこん)という言葉が頻出する。広範に見られる使用例の中から一例を挙げると、優塡王(うでんおう)による釈迦像造立譚を説く『仏説大乗造像功徳経(ぶっせつだいじょうぞうぞうくどくきょう)』では、造像の功徳の筆頭として、常に丈夫(男)に生まれ、女あるいは黄門や二形といった卑賤の身に生まれつくことはないと説く。
 人間の性別を、男、女、黄門(去勢した者、性的不具者)、二形の四型に分類し、そのうち男に生まれる以外は全て悪業の報いと定義している点が興味深い。男性にしか成仏の機縁が認められていない仏教において、それ以外の性は仏縁に遠い劣った存在であり、二形の身体もまた、仏罰のしるしなのである。

残酷な笑い

 画面では、寝所に忍び入った男が、眠っている二形の衣をめくり上げ、両性具有の性器を暴露した瞬間が描かれる。彼/彼女は烏帽子を被り髭をも蓄え、一見したところ殊更に男性的な姿で描かれる。しかしよく見ると、赤い唇や頰、壁に掛かる赤い扇が女性的性質も物語っている。
 寝室に闖入した男は、勢いよく裾をめくって性器を露出させ、後から来る別の男を手招きして呼び寄せる。呼び寄せられた男は、下半身を部屋とは反対方向にねじって明らかに逃げ腰であるものの、垂布から覗き込む表情は好奇心を隠し切れない。闖入者二人は、この異形の性器を見て大いに嘲り笑っている。容赦のない笑いは、奇形を仏罰と捉える経説の残酷さとも通じる。

男巫としての二形

 ところで、この場面の二形はなぜ占い師なのであろうか。詞書に「占し歩く」と、その生業が具体的に記され、画中にも男が首に懸ける長い数珠、床に転がっている鼓や笛など、巫覡(ふげき)が呪(まじな)いや口寄(くちよ)せに用いる物が描かれている。
 これは、平安時代に、男性でありながら女装をして呪術を行う男巫(おとこみこ/おかんなぎ)が実在していたからに他ならない。
 後白河院が編纂した『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』は、平安末期の流行歌である今様(いまよう)集である。その中に「東(あずま)には女は無きか男巫、さればや神の男には憑く」と、巫女の代わりをつとめる男巫を詠んだものがある。
 この他にも「上馬(じょうめ)の多かる御館(みたち)かな、武者の館とぞ覚えたる、咒師(じゅし)の小咒師(こずし)の肩踊り、巫(きね)は博多の男巫」では、駿馬の揃った武士の館に集まって芸を披露する者たちの中に「博多の男巫」が混じっていたことを詠う。ここにも、公家から見た武家という異文化、京都から見た九州博多という異空間を表象する者として、二重の他者性を帯びた男巫が登場するのである。
 さらに「住吉の一の鳥居に舞ふ巫は、神はつきがみ、衣(きぬ)はかり衣、しりけれも」という今様もあり、ここでは「憑き神」と「付き髪」、「狩衣」と「借り衣」を掛詞にする。解釈には諸説あるが、住吉の鳥居付近で舞う下級巫女と、付き髪(鬘)と借り物の衣装(女装を暗示する)にて舞う男巫の風情とをダブルイメージで詠んだものと理解したい。
 今様に詠われた男巫のイメージが、「二形」の場面に豊かな説話性への回路をひらく。仏典の中に潜在していた二形という概念が、現実に存在し、歌謡や芸能を通じて増幅された男巫の世界へと接続されることで、この場面に重層的な物語が招き寄せられることとなる。

性の境界線

 再び「二形」の詞と絵を見ておこう。「鼓を首に懸けて、占し歩く」、そして「形男なれども、女の姿に似たる」ことで人々から不審がられていた者に、詞書を通じて二形という他者性が発見され、画面において男巫の姿かたちが与えられる。さらに、闖入者に指さされ、笑われることで、彼らに代表される世間から排除され放逐され、絵巻の中に一定の秩序が出現するのである。
 ただし二形に刻印された他者性は、社会からの排除と放逐だけを引き起こすのではなく、人々の関心を強烈に惹きつける魅力にも転じ得る。今様に詠われた男巫は、異形の者であると同時に、呪術や芸能の力で人を魅了する異能の者でもあった。そしてそのあやしい魅力は、男巫の外見的特徴が異化されていく時、すなわち「女の姿に似たる」という異装性をまとった時にこそ最大限に発揮されるのである。
 さらに、この場面に描かれた二形の身体が、単なる男巫という以上に複雑であることも見逃せない。男女両方の性器を備えた彼/彼女は、結局のところ男が女装しているのでもなく、女が男装しているのでもない。脱ぎ捨てられた狩衣、烏帽子、口髭といった「男装」と、真っ赤な口紅や頰紅、紅色の扇という「女装」が一つの身体に同居し、いわば性を超越した何者かとして横たわっている。
 そのことに思い至る時、絵巻の外の鑑賞者は、指さされ、嘲笑され、疎外されているのが自分自身の一部に他ならないことを知るのである。

後白河院と六道絵巻

 「地獄草紙」「餓鬼草紙」とともに、「病草紙」を制作させ収蔵した後白河院は、これらの絵巻に何を見ようとしたのか。その答えのひとつは、仏教的な世界の仕組みを掌握することにある。因果応報に基づき輪廻転生する、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六道を可視化し絵巻として収蔵することは、世俗の王権にとって宗教的権威の掌握にほかならない。
 王権主宰者が、自らしろしめす国土を高所から一望する〈国見(くにみ)〉とよく似た行為として、六道絵巻の制作や収蔵を理解することができよう。古代から中世への転換期を、為政者として差配した後白河院のまなざしの先には、地獄の責め苦や飢え、そして病苦といった世の暗部をも抱合する世界認識が広がっていた。

  (参考;「病草紙」は、e国宝サイトで参照することができます。)

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