上田麻由子

第8回・まぼろしの歴史

『ミュージカル「刀剣乱舞」 ~三百年の子守唄~』

 天文11年12月、三河・岡崎城付近。松平軍はこの世のものとは思えぬ異形のものたち、未来からやってきた時間遡行軍からの襲撃を受けていた。次々と討ち死にしていく名将たち。もはやこれまでか……というとき、これまた見たこともないなりをした男ふたりが剣を携え、颯爽とあらわれる。その正体は、にっかり青江と大倶利伽羅。刀剣に宿りし付喪神が、顕現した姿である。背中合わせで舞うように、華麗に戦うふたり。瀕死の状態にあった松平広忠は、その一方に赤子を託すのだった。

物語への要請

 いまさら言うまでもないことだが、歴史(history)とは誰かの作った物語(story)にすぎない。その物語を紡ぐのは、勝利者たち、権力を握ったもの、そのお供たち、あるいはたまたま歴史の転換点に立ち会った村人その1かもしれない。

 2015年にリリースされた刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』の舞台化は、これまでミュージカル版(通称「刀ミュ」、演出:茅野イサム)がトライアル版ののち『阿津賀志山異聞』『幕末天狼傳』と2作の公演が行われており、別の制作会社が手がける舞台版(「刀ステ」、演出:末満健一)『虚伝 燃ゆる本能寺』も含め、基本的には刀剣男士たちが元の主人である武将たち(源頼朝、義経、弁慶/新撰組の近藤勇、土方歳三、沖田総司/織田信長)とふたたび邂逅し、歴史を変えてしまいたいという誘惑と戦いつつも、愛憎相半ばする思いと決着をつけるという、大まかな流れがあった。

 原作ゲームではほんのわずかな「回想」以外は、物語らしい物語がない。そのため、舞台化するにあたって、刀そのものが持つ背景をふまえ、歴史と齟齬がない形でドラマを作るには、どうしても似通ったプロットになってしまう。それは、実在する刀を取り扱った作品にとって、仕方がないことのようにも思えた。

 しかし、本公演の3作目となるこの『三百年の子守唄』、そして現在公演中の舞台版2作目『義伝 暁の独眼竜』では、SF的ともいえる大胆な設定を盛り込むことで、未来からやってくる時間遡行軍から歴史を守るタイムパトロールたる刀剣男士たちの存在感を、これまでと違った形で浮き彫りにしている。刀剣男士にはほとんど設定だけしかないからこそ、2・5次元舞台はどこまで飛躍できるかという、わくわくするような実験が可能になる。それが、国内外での公演やライブビューイングでいまもっとも多くの人を動員し、またもっともチケットが入手困難なこのタイトルで行われているのが、またすごい。そしてそれは、原作に物語がほとんどないからこそ、どの原作よりもファンの物語への要請や、そのなかでキャラクターのことをもっと知りたいという思いが大きいこの作品に相応しい試みでもある。

刀剣ゴッドファーザーズ

 さて、冒頭のシーンでにっかり青江に託された赤子の正体は、松平家の次期当主である、幼名・竹千代。つまり、のちの徳川家康であることが明かされる。「戦(いくさ)のない場所に用はない」と、ストイックに刀としての責務をまっとうしようとしていた大倶利伽羅はしかし、遅れて到着した石切丸、蜻蛉切、物吉貞宗、千子村正とともに、討ち死にしてしまった徳川家の家臣たち(服部半蔵、鳥居元忠、酒井忠次、井伊直政)、時には元の主人(本多忠勝)にさえなりかわって、自分たちが赤ん坊を育てることになる。

 いくら刀剣男士たちが時空を超えた存在であるとはいえ、少しずつ成長していく竹千代に、いつまで経っても歳をとらない彼らは変に思われないのか? あれほど時間遡行軍が歴史に介入するのを必死で阻止していた彼らが、家臣として参加する合戦において人間を斬ってしまったら、歴史が変わってしまうのではないか? そもそも、この作戦は何カ年計画なのか?(史実では家康は75歳まで生きた)と、細かい設定上の疑問はあれど、それは子守唄を歌ったり、抱っこ紐で赤ん坊を背中にくくりつけたりしながら、慣れない子育てに奮闘する男士たちの微笑ましい姿を見ているうちに、自然と氷解していく。

 物吉貞宗の記憶を頼りに、淡々と徳川家康による天下統一に至る戦いに勤しむなかで、ふと立ち止まるのが、石切丸だ。病気の治癒や豊作を願い、神社にやってくる人々の願いを聞き届けていた刀剣として、人間が次々と命を落としていく合戦は不本意なもの。刀剣男士たちが迷いのない太刀筋で人々を切り捨てていく合戦の情景を、石切丸が呆然と眺めるところには、刀剣男士という存在のあやうさがにじむ。

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