昨日、なに読んだ?

File12.サンキュータツオ・選 :
三人の師と出会った本

中村明『名文』、平岡篤頼『パリその日その日』、野村雅昭『落語の言語学』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【サンキュー・タツオ(芸人)】→【金氏徹平(アーティスト)】→???

 中学、高校とバスケットをしていた私が、なぜか文章を読むのが好きだと気付いたのは、内田百閒『百鬼園随筆』(旺文社文庫)という古本に出会ったからで、それは近所の古本屋になぜか高価な書籍として置かれていて妙に背伸びしたい私の青春時代の好奇心をくすぐった。旧かなで書かれた文章はどこか爺むさい感じがしたが、それが百閒のキャラクターとマッチしていて、文章を読んでこんなにおもしろい気持ちにさせることができるのかと思った。

 私が大学に入ることを決めた本は、中村明『名文』である。私が高校生だった90年代に、百閒について書かれた文章がまず少なかったのと、その文章の魅力がどこにあるのかを書いてくれた本だった。私は文学研究というものがなにをするのかよくわからなかったが、この文庫本を何度も読んで、こういうことがしたいんだと直感した。どうやらこの先生は早稲田大学にいるらしいということがわかって、早稲田大学に入学するのだが、中村先生が日本語センターの先生で、第一文学部の先生ではないことに入学して3年くらい経つまで気付かなかった。当時はネットもなかった。中村先生には大学4年に出会うことになり、その後大学院に進学したあとから現在まで指導を受け続けている。私がしたいことは文学研究というよりは表現論であり、文体論であった。文章の味わいであった。その象徴的な本が『名文』だ。

 大学に入って、中村先生に出会うまでにつかまっていたのは、平岡篤頼先生というフランス文学の先生であった。この先生が実質的には私の最初の師匠である。大学一年の演習でたまたま指導を受けたのだが、この先生のしゃべることが当時の私にはいちいち衝撃的で、「物語がおもしろい」は「あらすじがおもしろい」といっているのと同義で、だったらあらすじを読めばいいのであらすじではない部分の文章の存在、ひいては小説という形式の在り方を否定している、との考え方にビックリした。が、それはこののちの私の文学観を形成するもっとも本質的なことになった。なかでも平岡篤頼『パリその日その日』『パリふたたび』は、パリでの生活をつづった日記ともエッセイとも小説ともいえるような読み物で、暮らしているアパートの風呂場でどうやったら全身がバスタブにつかれるのかという、パリで考えなくてもよいようなこと、しかしそれでいてパリにいなければこうした思考をめぐらせることはできなかったであろうことが、何ページにもわたって書かれているような本だ。平岡先生はロブ=グリエやシモン、デュラスといったフランス・ヌーボーロマン(新しい小説)の紹介者として高名だが、小説家としても有名で、その文章は日本語で書かれていながら、どこかフランスの匂いを感じさせる妙に冗長でまわりくどく、それでいてユーモアがあり味わいのある文章だった。

 14年間在籍した大学生活のなかで、学部では平岡篤頼、大学院では中村明の指導を受け、中村先生の定年後、博士課程の最後の3年間の指導を受けたのが、3人目の師・野村雅昭先生だった。百閒を愛読していた高校時代から、大学時代にかけて傾倒したのは落語であった。卒業論文でも落語を扱った。大学院では笑いのテキストの研究を行い、同時に芸人生活に入った。そして出会った本が、野村雅昭先生の『落語の言語学』だ。
 野村先生は漢字の研究者として有名だが、同時に落語研究でも国内でも屈指の学者であった。その後『落語のレトリック』『落語の話術』と落語三部作も刊行したが、これはテキスト分析や表現論がどこまで笑いの分析に有効かを示してくれた私の理論的支柱である。研究の片手間に、落語が好きで数編の論文を書く研究者はたまにいるが、野村先生は言語学の手法で落語に切り込んだ本格派だ。言葉の研究がどこまで芸の高みを明らかにすることができるのか。会話がオーバーラップする間を計測したり、オチの分類をしたり、構造分析をしたりとこの分野での研究の先鞭をつけた。

 私が漫才師として活動しながら、笑芸のテキスト研究をし、「わかりやすい」笑いのパターンではなく、なんだかわからないけどおもしろい、といった種類の笑いを志向しているのは、振り返ってみればこの三人の師の存在が大きい。というかそのまんま影響を受けている。
 私には師匠の血が流れている。私はこの先生たちの功績をひとりでも多くの人に知ってもらうために存在している。
 


 

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