『5まで数える』

科学と社会の関係を描くユニークな短編集

松崎有理『5まで数える』

6月に発売された松崎有理さんの新刊短編集『5まで数える』。松崎さんのデビューとなった第1回創元SF短編賞で選考委員をつとめられた大森望さんによる書評を公開します。作品によって舞台や設定は違えど「SF想像力」が通底する本書の読みどころをツボをおさえて紹介されています。「ちくま」7月号からの転載です。

 松崎有理の六冊目の著書となる『5まで数える』は、理系小説を中心に、趣向を凝らした短編六編を収録する(うち三編が書き下ろし)。いずれも、一度読んだら忘れられないユニークな作品だ。
 二〇一〇年に第一回創元SF短編賞からデビューした著者の武器は、ぶっ飛んだ発想とリアルなディテール。東北大学理学部を卒業し、「流しの実験屋としてピペット片手に各地の研究所をさすらったあと、体力の限界を感じてデザインと文筆の世界に入る」(自筆略歴)というキャリアの持ち主だけあって、受賞作の「あがり」でも、実験に明け暮れる研究室の日常が鮮やかに描かれていたが、本書の巻頭を飾る「たとえわれ命死ぬとも」も、やはり〝実験〟がテーマ。ただしこちらは、わたしたちの世界とは違う歴史をたどったパラレルワールドが舞台になる。二百年ほど前に動物実験禁止国際法が成立した結果、あらゆる生体実験はヒトのみで行われることになり、みずからを実験台とする〝実験医〟という職業が生まれた――という、なんとも風変わりな設定だ。
 主人公の大良(たいら)は、実験医を志して帝国大学の医学研究所に入り、彗星病という(架空の)ウイルス性疾患のワクチン研究に従事する。実験医の死亡率は高く、試行錯誤をくりかえすうち、仲間の研究者たちは次々に壮絶な〝殉職〟を遂げてゆく。「もし動物実験が禁じられたら?」という前提から、この悪夢のような世界をありありと描く想像力がすばらしい。改変歴史SFとしても年間ベスト級。
 二編目の「やつはアル・クシガイだ」は、ゾンビ(歩く死体――ウォーキング・デッド)が一体も登場しないゾンビ小説の傑作。どうしてそんなことが可能なのかはぜひ現物を読んでほしい。こちらの主役は、国立科学浄化局に所属して日夜インチキ科学と戦う〝疑似科学バスターズ〟。メンバーは、物理学と生命科学でノーベル賞(作中ではノーペル賞)を二度も受賞した天才科学者と、ある事情で現役を引退した(ハリー・フーディニみたいな)天才奇術師。この二人のタッグが、科学を騙るインチキ商売の化けの皮を暴く(=デバンキングする)前半は痛快そのもの。だが、ある出来事を機に思いがけない悲劇が……。驚天動地の結末はインパクト絶大。駄洒落みたいなタイトルからは想像もつかない運命が待っている。
 続く「バスターズ・ライジング」は、その前日譚にあたる短編。題名通り、名コンビの誕生秘話が描かれる。ライバルとの因縁も含め、このシリーズだけで一冊書いてほしいと思うくらい楽しい(が、「やつはアル・クシガイだ」のあとにこれを持ってくる配列は、相当に人が悪い)。
 四編目の「砂漠」は、一転、飛行機事故で砂漠に放り出された少年たちが主役のサバイバルもの。彼ら七人はいずれも、連続強姦や連続殺人、信用詐欺、放火などの罪で逮捕され、手錠で数珠つなぎにされている。生き延びるためには七人全員が意思を統一して力を合わせるしかないのだが……。
 表題作「5まで数える」は、数を数えることができない失算症の天才少年が主人公。ある日、彼の前に数学者(モデルは放浪の天才数学者、ポール・エルデシュ)の幽霊が現れ、彼を数学の世界に誘う。
 最後のショートショート「超耐水性日焼け止め開発の顛末」はぴりっとスパイスの利いたデザートか。
 本書に収められた六編のうち、「砂漠」を除く五編は、いずれも、さまざまな角度から科学と社会の関係を描く作品。その毒と笑いが、時に強いメッセージ性を放つ。同じ創元SF短編賞から同時にデビューした宮内悠介の吉川英治文学新人賞受賞作『彼女がエスパーだったころ』と読み比べるのも面白い。

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