僕らはこうして家をつくる

建築は21世紀にとても大事な意味を持っている
『建築という対話--僕はこうして家をつくる』(ちくまプリマー新書)刊行記念対談第1回

光嶋 こんばんは、今日は沢山の方々の前で藤森先生とお話できることを楽しみにしていま。このたび、『建築という対話』を刊行しまして、そのサブタイトルが、僕はこうして家をつくるというものでしたので、今回の対談は、大先輩の建築家を前にしておこがましいですが「僕らはこうして家をつくる」というタイトルにさせていただきました。
 僕は2013年から2年間ほど、NHKワールドという海外向けの30分番組のパーソナリティーを務めておりまして、日本の建築家を世界に紹介する番組だったのですが、日本を代表する建築家に2年間で20人と会っていろんな対話を重ねる貴重な経験をさせてもらいました。初めて藤森さんにお目にかかったのもその時です。是非とももう一度じっくりとお話したくて今回の対談をお願いしました。

 まず簡単に自己紹介として僕の処女作である凱風館を紹介します。詳しくは『みんなの家。』(アルテスパブリッシング)という本に書いています。「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトにも載っていますので見てみてください。
 凱風館は神戸女学院の教授である内田樹さんの家ですが、合気道の道場であり、能楽の敷き舞台もあり、大学を早期退職されるので寺子屋をやりたいし、もちろん本の執筆もする。さらに衣食住という生活空間と、友人たちと麻雀をする場所がいる、と。
 そういう家をどういう風に設計するかと考えた時に、内田樹という人の建築は内田先生のような建築であるべきだろう、それで多義的な建築をつくろうとしました。大きな屋根の下にたくさんの要素を入れるのではなく、それぞれ特徴のある場所が断片化しながら集合するような建築にしました。

 

凱風館・外観 (撮影:山岸剛)

 1階の黒い部分がパブリックな合気道の道場で、白い部分がセミパブリックな書斎兼サロンで、黄色いクリーム色がプライベートな住宅部分です。

凱風館・合気道の道場 (撮影:山岸剛)

 およそ1年間設計、1年間工事と、2年間ほぼ内田先生と2週間に1回くらいの打ち合わせを経て、内田先生はこういう空間がほしいんじゃないだろうかと想像しながら完成しました。初めて内田先生が合気道の道場でお稽古をした時には僕はまだ合気道はやっていませんでしたが、自分の子供のように思っていた空間が完成し、実際に使われたのを見た時に「僕もやりたい」と思って弟子入りさせてください、とお願いしたんです。
 僕は凱風館が完成した翌月から合気道の門人になり、今まではファンだった内田先生と施主と建築家という関係になり、そして師範と弟子という関係になった。その後1年ほどして内田先生の書生を務め、自身でも道場を主宰する合気道家の弟子と結婚し、結婚式の仲人もやってもらったので、娘婿のような感じもあります。
 このたびは、藤森先生もちくまプリマー新書を出しているというご縁もあって、お話をしたいと思った次第です。まず、幾つかのフジモリ建築について解説してもらいながら、はじめましょう。

藤森 私は、建築史家でもあり、本を書いたりもしますが、今日は建築家として仕事をしているものとしてお話します。

高過庵(たかすぎあん)

 これは高過庵という茶室です。世界の美術館とか美術展に呼ばれて小さな建物をつくるようになったのは、これがネットを通して世界中に知られた事が大きいです。私の田舎では御柱祭というのが6年に一度あるので、そこへ友達を呼ぶにあたり、茶室でもてなそうと思ってつくったものです。元々発表しようという気はなかったんですが、できてみたら結構面白い建物になったので、発表をした。それを見た人が印象深かったらしくて、それ以降、様々な仕事が来るようになりました。

光嶋 現代のネット社会において、建築という情報がどのように拡散するかは、大きな問題ですね。これより前につくられた建築は何ですか?

神長官守矢史料館

 処女作の神長官守矢史料館です。これは古くからの友だちであり、光嶋さんの師匠でもある石山修武がものすごく高く評価をしてくれました。45歳の時につくったものです。

鸛庵(こうのとりあん)

 これはウィーン郊外の村につくった『鸛庵(こうのとりあん)』です。コウノトリが巣を作るゲストハウスをつくって欲しいという依頼だった。世界中からちょこちょこ依頼があるんだけれども、実際に家をつくってみると現地の建築の事情がわかって面白い。
 茅葺きの規制がオーストリアにはないので、最初で最後になると思って(日本ではもう新しい茅葺きの建物はつくれないので)屋根は茅葺きにしました。日本だと45センチ以上必要になるけれどもここでは厚さが15センチ位でいい。単純に半額くらいで簡単に葺けた。
 建物をつくるにあたって、私は毎回新しい技術を試すようにしていて、ここではヨーロッパ初の焼き杉をやった。向こうの学生と一緒に松板を焼いた。この時は、もうひとつ、曲がった木を柱に使う実験をしてみました。意外と平気だったので、それ以降いろんなところで曲がった木を使っています。
 いつもこうやって小規模に実験していけると思ったらその技を使うというようにしています。

光嶋 「常にあたらしいことに挑戦する」というのはひとつのポリシーなんですね。

藤森 でも一気にはやっていませんよ。

光嶋 僕は98年に大学に入ったので、(藤森さんが処女作の神長官守矢史料館をつくったのは1991年)本を介して読んでいた歴史家の藤森さんと建築家としての藤森さんの作品とのあまりのギャップに驚きました。そして、ご自身の中で決めたルールが「何かの建築に似ているということをしない」ということだということに強く共感し、納得しました。

藤森 建築の依頼があったのが45歳ですからね。自分の村につくる史料館だった。まず、現代建築の誰に似ても絶対に笑われるだろうと思った。藤森も建物をつくったらあの程度か、と。日本であれ世界であれ、歴史的な何かの建築物に似たら、あいつは歴史家だからと言われる。そうするとどこにいってもダメで。それは大変だった。その結果、正体不明、国籍不明のものになったんだけれど。そのルールはずっと続いていて、必ず実験的なこともするようにしている。

光嶋 やはり、藤森さんにとっての故郷・諏訪という原風景の存在がものすごく大きかったんですね。

鸛庵内部

 続けて、建物の内部の話ですが、この頃少しずつやっていたのは、炭を壁に貼るというのをやっていて、少しずつ貼っていたのを、何だか変なバランスだったからもっともっとと貼っていったらこんなことに。元々は、焼き杉の端材を焼いて使ったのが炭付けのはじめだった。

光嶋 フジモリ建築のすごいところは、今も話していて、何度か「笑い」が起きていますよね。この建築と笑い……笑いというのはセンス・オブ・ユーモアですが、建築家がスライドを見せながらレクチャーしていて笑いが起きるというのは、なかなかないと思うんです。いい笑いと悪い笑いがありますが、悪い笑いは、自分が教養を身につけたつもりになっていて、なんだあれはと学生の課題を先生がちょっと笑うみたいなものです。そういうのと違って、ごく自然と笑ってしまうというか、本当に笑うというのは藤森さんだけだと思うんです。
 高過庵がネットで広がって代表作になったと言われましたが、あれも世界的にも、ついプッと笑ってしまうというか。建築というのは国境を超えられる、国境だけでなく、子供が楽しめるじゃないですか。子供はモダニズムが何とか関係なく、面白い楽しいってなる。感覚的な笑いというのが藤森さんの建築に通底していて、笑いと相性がいいんだと思うんです。例えば、大衆をあれほど惹きつけるのに、評価の低いガウディの建築のような……。

藤森 ガウディの評価は低いの?

光嶋 いや、コルビュジエとミースに比べてガウディは亜流と見られて建築界ではどこか低く見られてますよね。

藤森 ああ、建築界ではね。

光嶋 だからミースとかを参照していることは、ガウディを参照するよりも高尚だとか、偉いみたいなのが日本の建築界にはあると思うんです。それのひがみなのか、フランク・ロイド・ライトとかガウディのように大衆に高く評価された建築家をアカデミズムは評価しない傾向があるじゃないですか。それと似ているのか、フジモリ建築が大衆を惹きつけていることと、建築と笑いの親和性が高いように常々思っています。

藤森 最初、歴史的なガウディの問題について言うと、20世紀建築をつくり上げた最も中核をなしたのはコルビュジエとかミースではなく、グロピウスです。でもグロピウスを絶対零度として距離を測っていくと、ミースがちょっと離れる、もっとコルビュジエは離れる、もっとライトは離れる、そして一番離れるのはガウディです。けれども、世間の人気で言うと逆でしょう。グロピウスの作品を見に行く人は、プロ以外で聞いたことないでしょう。ライトになると、相当国民的で、アメリカ人の中では英雄視されている。ガウディになると世界中から非建築家が見に来ている。専門的に高度でピュアにやった人と、一般に近い人との評価が逆転するというのは近代以前にはなかったこと。評価が高いからそういう建築を作ることが可能だったわけで。そういう点では20世紀建築というのは不思議な成立の仕方をしている。

光嶋 アメリカで言えば、ライトとカーンが対照的ですよね。ルイス・カーンはプロパーなところでの評価は高いけれども決して一般的には評価されていなくて、同時代のライトとは圧倒的な差がある。

藤森 カーンを見て、僕は素晴らしいと思うけれど、あの良さを普通の人にどう伝えればいいのかと思う。難しい。専門的な訓練を受けると分かるんだけれども。
 私自身はそういう言い方はしないけれど、「女子供に受ける建築」なんです。私自身はそれを狙ってやっているわけではない。けれど最近やっと分かるようになった。受けているな、と。でもそれが嬉しいことではないんだよ(笑)。

光嶋 えっ、嬉しいことではないんですか?

藤森 そうです。私は建築というのは21世紀に、うんと大事な意味を持つと思っている。その理由は、近代的な生産の中でやっているんだけれども、近代的な生産のトップは飛行機だったり車だったりの「技術」です。建築は唯一違う。なぜかというと、飛行機の組み立て工場でビスが1つ落ちていたら全部やり直しでしょう。

光嶋 それは、大事故になりますからね。

藤森 自動車工場でもそうでしょう。建築はそういうことはない。高度な技術も一部には使うけれど、誰でも出来る仕事が必ずある。例えば養生とか。仕事をする時に汚れないように、シートを敷いたり、土壁を塗る時には必ずエッジを養生しておくとか。それをやらないと大変なことになる。もちろん、プロの人はすごいスピードで正確にやっていくけれど。必ず誰でも参加できる。自分がなぜそれをやるのか、というのが分かる。

光嶋 養生は汚れてはいけないからやっているとか。何のための仕事か分かる。分からないでやってるわけじゃない。釘を打っていれば留めてるんだなぁとか。建築における技術がどこか身近というか、身体感覚としてまだ感じられるものの集積であるということに可能性があるということですね。

藤森 見れば分かるから。誰でもが出来る部分があって、全体の中での自分の仕事の位置づけが分かる。全体が分かって部分をやっている。そういう産業というのは他にはない。建築はおそらく物を作ることと普通の人をつなぐことの出来る21世紀の例外的産業だという気がしているんです。

関連書籍