日本人は闇をどう描いてきたか

第五回 伴大納言絵巻 ――泣く女

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第五回は、歴史的事件を描いた作品から。

応天門の変と摂関政治の幕開け

 延喜元年(九〇一)成立の歴史書『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』には、貞観八年(八六六)閏三月十日、内裏の応天門が焼失した記録が残る。続いて同年八月三日、大宅首鷹取(おおやけのおびとたかとり)が大納言の伴善男(とものよしお)とその息子を放火犯として告発、九月二十二日には、伴父子及びこれに連座して紀夏井(きのなつい)らが流罪となったことが記されている。
 歴史上、応天門の変(おうてんもんのへん)と呼ばれるこの事件の背景には、伴善男や紀夏井ら平安初期に擡頭(たいとう)した新官人群と、藤原良房(ふじわらのよしふさ)ら門閥貴族との対立があったとの見方もある。事実、これ以降、伴氏、紀氏は政界における足場を失い、藤原北家による朝廷内での優位が確立する。
 応天門の変は、以後十二世紀初頭まで続く摂関政治の幕開けを告げる、古代史の転換点でもあった。

語り継がれる事件から絵巻へ

 時を経て、この事件は脚色を加えた説話としても語り継がれた。十二世紀初頭の大江匡房(おおえのまさふさ)編『江談抄(ごうだんしょう)』、十二世紀後半の平康頼(たいらのやすより)編『宝物集(ほうぶつしゅう)』、十三世紀初頭の『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)』など、数多くの説話集に応天門の変や伴善男にまつわるエピソードが採録されている。説話を通じて、策略によって高位を狙う野心家としての伴善男像が確立した。
 そして同じ頃、彼を主人公にした「伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)」がつくられる。注文主は、「地獄草紙」「餓鬼草紙」「病草紙」と同じく、後白河院である可能性が高い。詞書は『宇治拾遺物語』所収の説話とほぼ同文であり、中世説話文学の生成と絵巻制作環境の近さがうかがわれる。
 平安時代も終わりにさしかかろうというこの時期、三百年も前の政変ミステリーの何が、かくも強く上皇や貴族たちの関心を引き付けたのだろうか。

勧善懲悪の斬新さ

 理由の一つは、伴善男の説話が、明快な勧善懲悪の論理で貫かれていることにあろう。応天門の変の真相は曖昧模糊としており、果たして善男が放火の真犯人であったか否かは、まさしく歴史の闇に沈んでいる。
 ところが、『宇治拾遺物語』巻十の一「伴大納言応天門を焼く事」、そして「伴大納言絵巻」における善男は、自ら応天門に放火した罪を左大臣の源信(みなもとのまこと)になすりつけ、その地位に取って代わろうとする卑劣な人間として登場する。その讒言(ざんげん)を、一旦は清和天皇(せいわてんのう)が信じたことで、善男のたくらみが成就するかに見えたが、天皇の外祖父で摂政も務めた藤原良房の奏上によって、源信は無罪となる。
 一方、都の一隅で起こった子ども同士の喧嘩というささいな出来事をきっかけに、善男の悪事は露見し、最後は配流という惨めな末路をたどる。詞書の末文は、一連の出来事を総括してやや唐突に終わる。

応天門を焼きて、信の大臣(おとど)におほせて(=負わせて)、かの大臣を罪せさせて、一の大納言なれば、われ大臣にならむとかまへけることの、かへりて罪せられけむ。いかにくやしかりけむ。

 これは、他人を奸計によって陥れようとした者が自滅する物語なのである。このようにあからさまな勧善懲悪を題材にした絵巻は、これ以前に存在しない。
 本作に先行する「源氏物語絵巻」では、複雑な人間模様や精緻な心理描写に重心があり、登場人物や出来事に関する善悪の判断は物語の表面に現れない。「信貴山縁起絵巻」(しぎさんえんぎえまき)にも悪人や罪人は登場せず、仏の加護や霊験が、物語の世界を穏やかに包み込んでいる。
 また、仏教が説く因果律では、前世・現世・来世を結ぶ長大なスパンで人が裁かれる。「地獄草紙」「餓鬼草紙」そして「病草紙」には、罪深い者たちがうごめき苦しむ様子が表されているが、その原因としては、前世の悪行という、自らどうすることもできない宿命が動かし難く存在する。断罪も救済も、因果応報という宇宙的な秩序に委ねられているのである。
 こうして見ると、罪と罰が現世において完結する「伴大納言絵巻」には、旧来の世界認識を覆すような斬新さがある。勧善懲悪という、現代の我々が慣れ親しんだドラマツルギーは、十二世紀末の貴族社会において、とても前衛的で、挑戦的な主題であった。

善と悪の図像

 「伴大納言絵巻」で、現世の善悪はどのように可視化されているのだろうか。
 無実の罪で陥れられそうになった源信の邸宅(図1)と、応天門放火の真犯人であった伴善男の邸宅(図2)が、邸内の女性たちの嘆きの表情において対比的に描かれていることはつとに指摘されている。いずれの場面でも、吹抜屋台の技法で連続した室内を描き、それぞれの妻や女房達が悲嘆に暮れる様子を、一見すると非常によく似た構図で描いている。

(図1)伴大納言絵巻(国宝、出光美術館蔵) 中巻第一段 源信邸
(図2)伴大納言絵巻(国宝、出光美術館蔵) 下巻第三段 伴善男邸
画像出典:(図1)国宝伴大納言絵巻(2006年、出光美術館)、(図2)日本美術全集5(2014年、小学館)より

 ところが、最終的に朝廷から赦免の知らせが届く源信邸内(図1)の女性たちは、画面右から左に向かうにつれ徐々に安堵の表情へと変化し、特に、左端に描かれた源信の妻らしき女性は袖で目を覆って泣いてはいるものの、その口元には微笑みさえ浮かんでいる。
 これに対して、物語の後半で悪事が露呈した伴善男邸内(図2)にいる女性たちの絶望的な表情や仕草は、善男の配流と彼女たち自身の暗澹たる未来を雄弁に物語っている。天を仰いで号泣する女房、膝を抱えて呆然とする女房、画面上方に描かれた寝室で衾(ふすま)をかぶって倒れ伏しているのが善男の妻であろう。庭に面した御簾(みす)の向こうを見ながら、まだ若い女房が泣きわめいているが、その視線の先には、罪人として連行される善男を載せた牛車(ぎっしゃ)が検非違使(けびいし)の集団に取り囲まれるようにして描かれる。
 二つの邸宅内に描かれた人々の表情の違いが意味するところは、物語の展開を知る鑑賞者にとっては一目瞭然である。無辜(むこ)の登場人物である源信は赦免され一家の平穏は維持される。いっぽう、無実の源信を陥れようとした伴善男は失脚し、その家族も幸せな日常を永遠に失ってしまうのである。
 このことを前提に再び画面に目を向けると、二つの邸内には、女性たちの表情以外にも鮮やかに対比されるモチーフがあることに気付く。それは、室内に描かれた調度品である。
 源信の邸宅(図1)では、妻のそばに硯箱が置かれているだけであるのに対して、伴善男の邸宅(図2)では、夫婦の枕、枕頭に置かれた刀、鏡箱、櫛、洗髪用の泔坏(ゆするつき)、塗盆に載せた皿、高坏(たかつき)の上の食物といった、実にさまざまな品物が丹念に描き込まれている。さらに注目すべきは、高坏の手前に酒を酌む時に用いる長柄の銚子の痕跡がくっきりと確認できることである。
 つまり、源信邸と伴善男邸とで調度の数や種類が意図的に描き分けられており、これらの調度は、明らかに単なる背景以上の意味を担っている。特に、伴善男邸に描かれた多種多様な調度品は、奢侈(しゃし)、吝嗇(りんしょく)、贅沢な食事や飲酒など、仏教的な罪業観とも結びつく。同様のモチーフは、中世六道絵の中に広く見出すことができ、そこでは贅沢な調度品や飲食の場面が、悪道へ堕ちる業因の表象としても機能している。
 「伴大納言絵巻」では、仏教的な因果応報観を巧妙に取り込みながら、伴善男とその一族の罪深さを可視化する。現世で完結する罪と罰という前衛的思想が、鑑賞者にとって理解可能な図像で補強されることで、絵巻と鑑賞者の間に、「罪深き伴善男は罰せられて当然」という、納得の体系が形作られてゆく。

新しい世界の可視化

 「地獄草紙」「餓鬼草紙」「病草紙」とゆるやかに連動しながら、本作にもまた、後白河院の眼下に広がる新しい世界の秩序が現前している。
 旧体制が崩壊しつつある中で、熾烈な闘争によって後白河院が獲得した権力は宿命的に不安定であった。新たな秩序構築の葛藤の中で次々に現れる、多様な価値観のひとつひとつを捕捉し、舵を切るための海図として絵巻は機能した。出口の見えない暗闇の中で、彼が蓮華王院宝蔵(れんげおういんほうぞう)に収蔵した絵巻群には、その思考の跡が深く刻まれている。
 

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