ちくま文庫

門下生からの風太郎論

小説家・荒山徹は、山田風太郎をニガテにしていた? 意外な出会いから、「門下生」になるまでの遍歴、そして本書の読みどころを縦横に語ります。山田風太郎『半身棺桶』(ちくま文庫)へご寄稿いただきました解説の転載です。

『高麗秘帖』という長編小説でデビューした直後、古巣の読売新聞がさっそく取りあげてくれて、このうえもなくありがたかったものですが、山田風太郎作品を思わせる忍者たち云々――という一節に、わたしの目は吸い寄せられました。
「おお、山田風太郎!」
 思わず声が出たことを覚えています。虚を衝かれたというのか、ともかく意外だったからです。その時点で読んでいた風太郎作品は四冊でした。
最初は『くノ一忍法帖』。これってエロだぞ――友人の猛烈な勧めで読みました。けれども高校生のわたしには歴史的な記述がどうにも晦渋すぎて、エロも面白さも結局わからず仕舞い。
 映画『魔界転生』『伊賀忍法帖』が連年で封切られたのは大学時代のことです。しかし原作に手を出すまでには至りませんでした。
二冊目は『外道忍法帖』です。勤め人になって間もない頃のことで、「外道」の二文字に魅かれて手に取ると、三田誠広さんが解説をお書きになっていらして、その熱気のこもった文章にアジテートされるようにして購入。でも、やはり歴史的記述の難解さがネックでしたね。ハードルが高いというか。柴田錬三郎や隆慶一郎は読めるのに、山田風太郎とはなぜ相性が悪いのかと、我ながら不思議でなりませんでした。
そのようなことを何かの折にこぼしたのです。すると『魔界転生』を読まずして山田風太郎を語るなかれ、と職場の上司に大喝され、半信半疑ながらも発奮して読みはじめたところ、気がついたら真夜中で、下巻を一緒に買わなかった己が浅はかさを猛烈に後悔したことでした。
 こうして遅まきながら三十三歳でようやく山田風太郎に開眼した――と勇躍したのも束の間、次に手に取った『甲賀忍法帖』がなぜか期待したほどには面白く読めず、その落胆と失望の大きさゆえに、弾かれるようにして遠ざかってしまったのでした。
その山田風太郎作品の忍者たちを思わせる、と読売新聞は言うのです。
当時、二作目をどう書くかについて、わたしは悩みを抱えていました。デビュー作は自分で言うのも何ですが史実と娯楽が渾然一体に融合したもので、しかし、だからこそ娯楽は史実の掣肘を受け、史実は娯楽によって泥を塗られた感なきにしもあらず、でした。
「正統的な歴史小説か、面白さを前面に出したエンターテインメントか――路線を明確にしたほうがいいでしょうね」
 わたしを世に出してくださった編集者の猪野正明さんからも、そのようなアドバイスを頂戴していました。
「ただし、それを決めるのはあなた自身。あなたの資質が決めることです」
とも。
 ――よし、山田風太郎を読んでみよう!
 読売新聞の指摘を天の啓示と思い、いそいそと買ってきたのが『柳生忍法帖』。次に『伊賀忍法帖』、次に……というわけで、過去の自分、あのボンクラ読者は誰だったのかと思うほど風太郎作品の虜になってしまったのでした。かくして悩みは吹っ切れ、己が進む路線は劃然と定まり、唐突な喩えかもしれませんが鮮卑族の北魏が孝文帝の御世に堰を切って漢化したように、わたしの作品も以後は怒濤の勢いで風化(「山田風太郎化」の約語ですが本来の語意と受け止められても別にかまいません)していったのです。
 勉強になったのは長編より短編のほうだったと思います。当時、ちくま文庫から日下三蔵さんが編集をご担当なさった『山田風太郎忍法帖短篇全集』(全十二巻)が続々と刊行中で、貪るように読み、あれこれ研究したものです。書き写したこともあります。短い枚数のなかでアイデアを如い 何かに効果的に使用するか、その演出方法は主として短編で学ばせていただきました。文章の引き締め方、省略の妙なども。ですから、この短編全集に大きな恩義を負っていることをここに記しておく次第です。
 風太郎作品の魅力については、諸先賢先達がこれまでに万言を盛って語っています。今さらわたしごときがこの場で言葉を費やしたところで屋上屋を架すことにしかなりません。それは重々承知の上で、しかし折角の機会でもありますから、一つだけ抱懐を述べることをお許しください。
 それは、忍法帖ブームの頃、読者の八割近くがエロ小説として風太郎忍法帖を受容していたのでは、という仮説、下種の勘繰りなのですが。角川文庫のカバーを佐伯俊男画伯が担当していたのも当然それを狙ってのことだったでしょう。そちら方面の読者の期待に応え、かつ煽らんがため。前述の通り、わたしに『くノ一忍法帖』を勧めてくれた友人の認識もそれでした。ともかく女性は裸にされて酷い目に遭わされるというのが風太郎忍法帖の定番ですから。引用して具体例を示すのは敢えて控えますが、風太郎先生、もしかしてタイムマシンに乗って現代に行き、百花繚乱たるAVをふんだんに見まくって戻り、健筆をお振るいになったのでは――と思うほど凄いことをお書きになっていらっしゃる。性表現の規制が厳しかった六十年代、七十年代、そうした描写はまさに干天の慈雨だったと思うのです。
 これも私事で恐縮ですが、デビュー作を献じた伯父から「おまえ、こんなくだらんものを書くより、早く堅気の会社に勤めて親を安心させてやれ」という譴責の手紙が届き、その中に「山田風太郎でもまだ上品な書き方をしていたはずだぞ」云々とあったので、大学教授をしていたインテリの伯父貴の風太郎観もまたそうであったに違いありません。
 しかし幾星霜、性描写の規制は、往時を知る者にはまさに隔世の感と瞠目するほど緩和され、風太郎忍法帖の大きなセールス・ポイントであったエロが、もはや時代的にセールス・ポイントとしての価値を喪失してしまいました。かくしてエロを求めていた読者は離れてゆき、今は山田風太郎作品の本質、美質を理解し、愛するコアな読者だけ残ったのが現状と思いますが如何でしょう――。
 煎じ詰めれば「エロの効用」の栄枯盛衰ということなのですが、まあ、これとても、とっくにどなたかが語っておいでなのかもしれません。さらにいうと、セールス・ポイントにならないどころか、今や時代小説にエロを練りこむこと自体が悪しき旧習と忌避される傾向にあるようです。そんな時代になってしまった。そんな時代に風太郎忍法帖のエピゴーネン業を開帳しているのは、それなりに大変しんどいことなのですが、そうした個人的なことを言っても泣き言にしかなりませんから、このぐらいに留めておきます。
 さて、そのようなわけで、わたしは山田風太郎先生のファンというより弟子、書生、門下生、伝習生として謹直に作品を受容した面が大であると自認するものです。作家としてデビューした後に、風太郎作品を模範、お手本、亀鑑、教科書として摂取しようと努めたのです。本書『半身棺桶』も、その過程で読んだ一冊でした。特にエッセイ集であるからには、何か創作の秘訣が書かれてはいやしないかと入念に読みこみました。しかし、そうしたさもしい読み方から得られるものは何もなく、いつのまにか楽しみながら読んでいたと記憶します。
 ご存じのように山田風太郎先生は二〇〇一年七月二十八日に畢命されました。その十年前に刊行された本書の『半身棺桶』という奇抜なタイトルに関しては「あとがき」に「冒頭に「人間の死に方」について書いた文章を集めたからだ」と由来が記され、その一篇「私の死ぬ話」には「さすがに滑稽という形容に値する死に方は一つもない。/しかし私は、どうせ死ぬなら、なんとかそういう死に方をしてみたいとかねがね考えているのである」とあります。この一文が書かれたのは一九八五年、先生六十三歳の時で、わたしは先生が全身棺桶になっておしまいになった後に読んだものですから、とても笑うことはできませんでした。
 身辺雑記、懐郷、紀行、メモワール、作家論(泉鏡花、夏目漱石、江戸川乱歩、岡本綺堂)と内容は多種多様です。どれか一篇を挙げろと言われたら、わたしは迷うことなく「奇妙な旅」を選びます。昭和二十三年、『眼中の悪魔』を書きあげた直後、「祖父死ス」の電報が届き、故郷の兵庫県へと向かう話です。
「このころ、一日そこらで遠距離の切符を買うことは、純粋の日本人には不可能であ
った。/なんでも私は、朝鮮人の身分証明書みたいなものを手に入れたようである」
 とあるのは当時の世相をうかがわせて興味深く、混みきった車内の描写も、同じ頃、青森から熊本に移住した母からわたしが聞いていた苦労談とそっくり。「蒼々たる月光にまぼろしのごとく壮然とたつ富士のふもとを、阿鼻叫喚の汽車は西へよろめいてゆく」という風太郎節も効果をあげています。そして驚愕のオチ! きちんと伏線が張られているのが凄い。ミステリ作家の面目躍如と言えましょうか。まさに超絶の逸品です。
「映画・感傷旅行」の冒頭に「去年(昭和五十七年)の秋」とあるのは、正確な日付は十一月二十二日のことです。自信を持ってそう言えます。なぜなら当時大学三年生だったわたしは、この日、有楽町の千代田劇場にいて、『馬』『蛇姫様』『人情紙風船』を三本とも観賞しているからです。
「偶然とはふしぎなものだ、と感じないわけにはゆかなかった。(中略)こういうことを、昔の言葉でいえば「盲亀の浮木」といった。めったにあり得ない偶然の例えである」(「小諸なる古城のほとりから」)

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