ちくまプリマー新書

「働くのがコワイ」あなたへ

「正社員って辞めちゃいけない?」「パワハラにあったら誰に相談?」「どのくらい残業したらヤバイ?」 社会に出たときに最低限知っておきたい、働く人を守る仕組みがこの一冊でわかる! 『これを知らずに働けますか?』(ちくまプリマー新書)では、新聞社で長年労働問題を取材し、今は大学で教える竹信さんが、 実際に学生から受けた質問から30問を厳選し、これに答える形で解き明かします。「はじめに」を公開しますので、ご覧くださいませ。

はじめに

 

 人手不足の中、大学生の就職率が高くなっています。そんな中で、就職支援会社の社員から、気になる話を聞きました。

「最近の学生は、希望すれば正社員になれるから安泰、という楽勝ムード。働き方への関心を持つ人なんていないですよ」というのです。「正社員になれるから大丈夫」と、大学側からの、フリーターの問題点など、働き方についての講習依頼も止まってしまったそうです。

 大丈夫か、と、猛烈に心配になりました。「正社員」と言っても、待遇は非正社員並み、というケースが最近では目立っています。大手企業でも簡単に正社員のクビを切るところが珍しくなくなりました。それを知っているのでしょうか。正社員が必ずしも安定や安心を意味しなくなったいま、就活が成功したとして、その先の長い職業生活はどうするのでしょうか。

 二〇一五年の電通の新入社員の過労自殺事件で、若い人たちの間では一時、「大手有名企業でも危ないのか」といった不安が聞かれるようになりました。それさえ最近は、「事件をきっかけに会社は対策を取ったのでもう安心」という声にかき消されつつあるといいます。電通は、二〇年以上前に若い社員が過労自殺し、それがきっかけで、万全の対策を取ったはずの会社なのです。

 職場での問題は、だれにでも起こりえます。そのとき支えになるのは、働く権利や働き方についてのルールです。立場の強い会社に対して、一介の社員がこれらを知らずに立ち向かうのは、ミサイルに素手で立ち向かうようなものです。

 働く現場の取材を中心に、三〇年以上記者として働いてきた私が、新聞社を離れて大学に移ったのも、職場の過酷化の一方で、若い人たちがあまりに働く現場の実情にうとく、無防備であることが見えてきて、これはなんとかしなければならないと思い始めたからでした。

 ところが、いざ大学で授業を担当してみると、社会に出た経験がない多くの学生たちにとって、労働問題はどこか他人事のようです。特に困ったのは、私たちの世代には常識と思われてきた働くルールの「基本のき」さえ聞いたことがない学生が少なくないことでした。たとえば、賃金は労使交渉で決まる、と話すと、「先生、それは変です、賃金は会社が決めるものじゃないんですか」と聞かれます。過労死をなくすには極端な長時間労働を是正しなければならない、と言うと、「先生、会社は慈善事業ではありません、日本の会社は長時間労働でもっているのでは?」とたしなめられました。

 勤め先の大学だけではありません。ある有名大学の教員から、「先生、労組って悪い人たちなんですよね、と学生が聞くんですよ」と嘆かれたことがあります。労働組合(労組)は働く人が団結して職場の問題点を解決する組織だと、普通に語られていた時代とは、どうやら様変わりしてしまったらしいのです。

 最初は、こんなままで就職したらブラック企業の食い物にされてしまうぞ、と、あきれたり、怒ったり、気落ちしたりしていました。「こんなことも知らずに働こうなんて厚かましい」と言いたくなったこともあります。でも、あまり何度もこの種の経験をしているうちに、これって実は、なかなか面白い質問なのではないかと思い始めました。

 言われてみれば、経済成長が止まり、グローバル化で、都合が悪くなれば企業が海外市場に出て行けてしまえるいま、労使交渉をしても賃金は簡単に上がりません。そこだけ見ていると、賃金は会社が決めるんでしょ、と思うのは無理もないのです。また、どの企業でも長時間労働が常態化する中で、「労働時間短縮なんて、慈善事業じゃあるまいし」と思ってしまうのもわかる気がします。正社員対象の企業別労組が中心の日本で、バイト学生が「労組って自分たちのことを考えてくれない悪い人」と考えてしまうこともあるかもしれません。

 むしろ、こうした率直な疑問に正面から向き合い、きちんと答える授業に切り替えていくべきではないのか。そう考えた末、学生たちから出る、一見、トンデモ質問のように思える疑問を拾い上げて、それらはどこが違っているのか、というところから解説してみようと思い立ちました。

 この本は、その講義録をもとに書き起こしたものです。労働法の本ではありませんし、労働社会学や労働経済学の本でもありません。ただ、私の労働現場取材の経験をもとに、学生たちの「なぜ?」に、できるだけ寄り添って答え、それを通じて、なぜ働くルールがあるのか、職場で孤立し困ったときに、助けになるものは何か、ということをわかってもらおうとしたものです。ですから、大学生だけでなく、ブラックバイトなどに遭遇することもある高校生や、就職して働き始めた若い働き手たちの「なぜ」に答えることも意識しています。

 また、これらのトンデモ質問は学生だけのものではありません。電通の過労自殺事件の際、「月当たり残業時間が一〇〇時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」と発言した大学教授がいましたし、「過労死は自己管理の問題、労働基準監督署も不要」という社長の発言が話題になったこともありました。労働基準法(労基法)は社員の労務管理のための基本とも言える法律ですが、労組が労基法違反で交渉を申し込んだら、「労基法? ウチ、そういうのやってませんから」と答えた店長さんもいたそうです。

 そうした、働き手を守るルールなんていらない、知らない、という方々、そして、最低限の働くルールくらいだれでもわかっているはず、と思い込んできた私のような大人や学校の先生たちにも、この本の質問にふれることで、いまどきの若い人たちが何を知らされず、何に躓いているかを知っていただけたらと願っています。