ちくま文庫

速読は、効果的な脳の活用法

PR誌「ちくま」より、脳科学者の池谷裕二さんによる齋藤孝著『速読塾』の書評を掲載します。

 記憶は情報の痕跡です。つまり、読書とは脳回路に痕跡を残す内発的な行動であるといえます。齋藤孝先生は、脳内痕跡の“効果的”な作り方を、やさしい言葉で説明しています。  

 記憶の本質とは何でしょうか。これは重要な問いです。記憶と呼ばれるものの内部構造を丁寧に解析してみると、すべて「知の連合」であることがわかります。最もシンプルな記憶の型である名称についてさえ、たとえば「花」という言葉を子供が覚えるとき、花という単語だけを覚えても何の意味も持ちません。文字面としての「花」と、実体としての「花」の映像、耳に届く「はな」という音、鼻腔で受容する香、こういった複数のモダリティー(感覚)が統合されて、「花」という一つの記憶が成立します。記憶は単独の知識では成立しえず、連合によってのみ有意義なものとなります。  

 記憶の本質が連合だとすれば、連合性の高い情報であるほど、良質な記憶であると言うことができます。こうした良質な知識を私は「知のハブ」と呼んでいます。知のハブは系統的に多様な分野とネットワークを形成していますから、応用性が高く、記憶や理解の能力を助けるものとなります。齋藤先生はこれを「系譜で読む大きなメリットは、何といっても理解が極端に速くなるということ(p85)」と表現しています。  

 ハブを見つけると、脳の成長は飛躍的に加速します。この意味で、私は速読に共感を覚えます。洪水のような情報を、意図的に呼び込むことで、膨大な情報を効率的に連合することができるからです。知は連合されれば連合されるほど自発的に存在性を生み出します。「本とは言葉と言葉が連なるところに意味が生まれている(p128)」と書かれているのも、齋藤先生が知の連合性を重視しているからにほかなりません。  

 脳のもう一つの大切な機能は「パターン・コンプリーション(情報補完)」です。普段私たちは気付かないうちに、情報を補完させています。たとえば、知り合いの後ろ姿を見ただけでも誰かが分かりますし、電話で声を聞いただけでもその人を認識できます。つまり、世の中の情報は脳に入ってくる時点では、不完全なものに過ぎませんが、これを脳の中で完全な形に補って、情報を完成させているわけです。脳科学者はこの脳内プロセスを「トップダウン処理」と呼んでいます。  

 トップダウン処理は“推測”によって行われます。連合された知識をどれだけ貯えてきたかという経歴で、この処理がより正確で迅速になります。これこそが、「情報は欠けていてもかまわない(p191)」と齋藤先生が強い姿勢を見せることに通じるわけで、そこから「本の二割だけ読んで、内容を八割理解する(p56)」という、都合よくも、心強い発想が生まれるのです。もちろん、この「間をつないでいく推測力(p124)」に期待する考え方は、脳の仕組みによく合っているし、実際、効果的な脳の活用法なのです。  

 実は、この原稿を書いている私は今、複数の学会に同時参加しながらハードなスケジュールをこなしています。もちろん、こうした多忙な時期に本職である脳研究と関係のない仕事に積極的に手を出す必要はないのですが、時間に追われることが嫌いでない私は、即答で原稿依頼を引き受けました。そして、本を読み始めるとすぐに、「(期間限定で)必要に迫られて読む(p29)」ことは「理解力のスキルを磨く上で役立つ(p30)」という齋藤先生の持論に出会い、これぞまさに今の私に向けられた言葉のような気がして、思わずニヤリとしてしまいました。  

 そもそも脳とコンピュータの決定的な違いは、その「並行処理」性にあります。複数のタスクを同時に脳内処理することができるということです。つまり「10冊ぐらい同時並行で読んで(p115)」も平気だし、そういう能力を発揮するだけの潜在性を持っているのが脳という装置の魅力なのです。この本を読んで、フルスロットルで活用することが、知のハブを脳回路にコピーするための近道なのだと再認識するとともに、齋藤先生には改めて勇気をいただけたような気がしました。

(いけがや・ゆうじ 脳科学者)

※この書評は単行本刊行時のものです。ちくま文庫版の『速読塾』とは括弧内のページ数が一致しませんので、ご了承ください。

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