日本人は闇をどう描いてきたか

第六回 六道絵 ――厭離穢土の大パノラマ

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第六回は、地獄を描いた掛幅から。

末法の到来

 天台僧・恵心僧都源信(えしんそうずげんしん、九四二~一〇一七)が、比叡山横川(よかわ)において寛和元年(九八五)に著した『往生要集(おうじょうようしゅう)』は、多数の経典を博捜して編まれた浄土往生の手引書である。その冒頭には、本書の趣旨が実に明瞭に記されている。

 それ往生極楽の教行(きょうぎょう)は、濁世(じょくせ)末代の目足(もくそく)なり。道俗貴賤(どうぞくきせん)、誰か帰せざる者あらん。ただし顕密(けんみつ)の教法(きょうぼう)は、その文(もん)、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯(がんろ)の者、あに敢てせんや。

 濁世末代にあって極楽往生を願いながらも、難しい修行に耐える力のない、自分のごとき頑なで愚かな凡夫。実際には優れた学僧であったはずの源信における、このような自己規定は、彼が生きた時代と深くかかわる。
 仏教には、釈迦が入滅して千五百年が経つと、仏の教えのみが存在して悟りを得る者がおらず、正しい教えも次第に衰退する「末法(まっぽう)」の世が到来するとの歴史観があり、先の序文にいう「濁世末代」とはこのことを指す。平安時代の日本では、一〇五二年に末法が始まるとされ、社会不安を誘引した。源信による『往生要集』執筆は、末法を目前にひかえた、世紀末的焦燥の中でなされたのである。
 自力での成仏が絶望的に困難な時代であるとの認識のもと、死後に、一切の苦から解き放たれた極楽浄土へ生まれ変わることを希求する浄土往生信仰が萌芽した。『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』に説く、阿弥陀如来の第十八願「私の世界(極楽浄土)に生まれたいと願う人が、わずか十回でも念仏して生まれることができないのであれば、私は決して悟りを得ない」が、信仰の拠り所となった。

『往生要集』の衝撃

 そのような時代に、念仏による浄土往生の方法を詳しく説き明かし、初心の修行者の手引きとするために編まれた『往生要集』であったが、完成後は、源信の意図を超えて貴族社会にも流布した。在家者に広く読まれた理由は、端的に本書の分かりやすさにある。
 源信は、先の序文に続く本文を全十章(大文)に分かち、大文第一の厭離穢土(おんりえど)で六道の穢らわしく苦しみに満ちたさまを、続く大文第二の欣求浄土(ごんぐじょうど)で極楽浄土の清らかで楽しみに満ちたさまを対照的に記述する。そして残る大文第三~第十において、念仏を中心とした諸行による往生の方法を説く。何よりも、短い序文の直後に突然はじまる地獄の描写が読む者に強い衝撃を与える。
 源信は、『大智度論(だいちどろん)』などの経文を引用しながら、我々が住む閻浮堤(えんぶだい)の地下に垂直の層をなして存在する八つの地獄(八大地獄)を一つ一つ、まさに地獄の階段を下降するように丁寧に解説する。
 地表に近いところから順に等活(とうかつ)・黒縄(こくじょう)・衆合(しゅごう)・叫喚(きょうかん)・大叫喚(だいきょうかん)・焦熱(しょうねつ)・大焦熱(だいしょうねつ)・阿鼻(あび)と連なり、現世での罪が重ければ、より深いところに堕ちる。地獄の構造が体系的に説き明かされることで、堕地獄への恐怖が一層の現実味を帯びて迫ってくる。
 穢れた娑婆世界(しゃばせかい)を心の底から厭い離れ、浄土を希求し、いずれは自らもそこに生まれ変わりたいと強く願って日々修行を重ねること。単純明快ともいうべき同書の教えは、その後の日本人の、生き方そして死に方にさえ、大きな影響を及ぼした。

描かれた『往生要集』

 鎌倉時代に至って、『往生要集』に説く厭離穢土の思想が、全十五幅の巨大な「六道絵」として絵画化され、中世を通じて比叡山横川の霊山院(りょうぜんいん)に伝来した。
 霊山院の創建は平安中期にさかのぼり、本尊釈迦如来像に対してあたかも生きているかのごとく供養する生身供(しょうじんく)や、法華経講讃の道場として、源信によって開かれた堂舎に起源を持つ。中世末期に廃絶し、その後復興することはなかったが、「六道絵」は、比叡山麓の天台宗寺院である聖衆来迎寺へと移され、現在も同寺で守り伝えられている。

「六道絵」等活地獄幅(国宝、滋賀・聖衆来迎寺蔵)
画像出典:源信 地獄極楽への扉(2017年、奈良国立博物館)より

 十三世紀後半に制作されたと見られる本作は、全十五幅、各幅縦一五五・五㎝×横六八・〇㎝という、日本中世絵画屈指の大幅である。六道(十二幅)と念仏功徳の説話(二幅)そして閻魔王庁(一幅)にて、『往生要集』の世界を壮大なスケールで描き出す。

 ここには、四幅で構成されている地獄道のうち「等活地獄幅」を掲げた。画面最上部の右端に淡墨線で色紙形(しきしがた)が区画され、題辞には『往生要集』の内容から、同地獄の在所・広さ・時間の単位が以下のように抄出されている(原漢文からの現代語訳にて掲げる)。

 等活地獄は閻浮提(えんぶだい、人間の住む世界)の下、一千由旬(一万四千四百㎞ほど)にあり、縦広一万由旬(一辺が一万由旬の立方体の空間)である。人間世界の五十年が一日に相当する四天王天(してんのうてん)の、さらにその五百年がこの地獄の一日に相当し、罪人は、ここで五百年(人間世界の基準に直すと実に一兆六千六百五十三億一千二百五十万年)の年月を重ねなくてはならない。殺生を犯した者がこの中に堕ちる。

 また、画面構成も『往生要集』に極めて忠実で、地獄の門によって空間を上下に二分し、その上方、すなわち門の内側に等活地獄の本体が、門の外にあたる画面下方には十六あると説かれる別処(べっしょ、附属する小地獄)のうち四箇所が描かれている。『往生要集』というテキストが大画面に絵画化されることで、恐怖や苦しみに、文字通りの血肉が与えられたのである。

せまりくる地獄

 まずは画面上方、地獄の門の内側を『往生要集』に記述される順序に従って見ていく。亡者たちの皮肉が破れ、内臓がはみ出てもなおかつ互いに争い、獄卒が亡者の肉や骨を切り刻む凄惨な情景が画面を覆い尽くす。

①互いに常に敵愾心(てきがいしん)を抱く亡者が鉄爪でつかみ合い、骨と化すまで肉体を切り裂き合う。
②獄卒が鉄杖や鉄棒で亡者の全身を打ち、その体が砂のごとく破れ砕ける。
③まな板にのせられた亡者が、鋭利な刀で紛々に肉を裂かれ白骨となり果てたものの、鉄叉を手にした獄卒が「活々(かつかつ)」と唱えると、再び赤子の姿で蘇りもとの通りの責め苦を受ける。

 続いて画面下方に眼を転じると、門の外側には四箇所の別処が描かれる。

④刀輪処(とうりんじょ)
 高さ十由旬の鉄の壁の内で燃えさかる炎に比べれば、人間界の火は雪のごとくであり、僅かでも炎に触れればその身は芥子のように細かく砕けるという。
 獄卒に追われた亡者が猛火に巻かれており、赤く焼けた熱鉄が雨のように降りそそいでいる。その左方には、鋭利な刃が枝葉となった刀林が描かれ、棍棒を持った獄卒が三人の亡者をこの中へ追い立てている。刀林の上方からは、両刃(両面に刃が立てられた刀)が雨のように降り、さらに亡者を苦しめる。物を貪り、殺生を犯した者がここへ堕ちる。
⑤瓮熟処(おうじゅくしょ)
 亡者が鉄の瓮(もたい、かめ)で豆のように煎られている。動物を殺し、煮て食した者が堕ちる。
⑥闇冥処(あんみょうしょ)
 槍を持った獄卒に男女の亡者が追われており、その先には多数の亡者が、両側から迫る金剛(こんごう、ダイヤモンド)山ですり潰されている。
 なお、『往生要集』ではこの場面について「大力の猛風」が山を吹き動かすと説くが、画面では代わりに四体の獄卒が合力して大岩を動かす表現をとる。視覚的効果に配慮した変更であろう。生前、羊の口や鼻をふさいだり、二枚の塼(かわら)にはさんだりして殺した者が堕ちる。
⑦極苦処(ごくくしょ)
 険しい崖の下にあり、男女の亡者が獄卒によってこの中に追い立てられ、鉄火で身を焼かれている。生前、気ままに殺生を犯した者が堕ちる。

絵解きされる「六道絵」

 以上、「等活地獄幅」を例に見てきたように、この「六道絵」は『往生要集』との見事な呼応を実現しつつ、ひとつながりの絵画空間としても破綻なくまとめ上げられている。
『往生要集』の本文に沿って画面を見るという観賞形態、つまり絵解きに供される絵画でもあった。制作当初からそうであったか否かは不明であるものの、江戸時代には確実に絵解きされた記録が残り、寺外での開帳(出開帳)を通じた絵解き説法の機会もあった。
 本作は、鎌倉時代の成立以降七百年以上にわたり、厭離穢土・欣求浄土の思想を雄弁に物語り続けて、今日まで伝えられたのである。
 現在も、毎年八月十六日には聖衆来迎寺本堂にて全十五幅が公開される。近年は、江戸時代に制作された模本が掛け並べられているものの、眼前に広がるパノラミックな六道世界の迫力は原本に劣らない。
 そして今、奈良国立博物館で開催中の「源信 地獄極楽への扉」展では、原本「六道絵」十五幅全てが一室にて展観されている(2017年8月6日まで)。
 実に十一年ぶりの壮観で、改めてこの作品に凝縮された画像情報の多さ、大画面でありながら細部に至るまで緻密に計算された構図、全幅を通じた色彩の絶妙なる調和に目をうばわれる。どれだけの時間見ていても、見終わることのない永遠のパノラマが眼前に広がっており、この空間にたたずむ自分が、濁世を生きる罪深い凡夫に過ぎないことを、深く思い知るのである。
 『往生要集』の強靭な思想を受け継いだこの「六道絵」は、我々の人生を凌駕する生命力を宿している。

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