妄想古典教室

第十回 失われた物語を求めて

中世八幡信仰における神功皇后の物語
 第五回で述べたように、神功皇后の物語は元寇の脅威にさらされて、中世にあらたに作り替えられる。西から攻めくる敵を迎え撃つために九州の警備を強化するなかで、九州地方に強く結びついた八幡信仰、とりわけ神功皇后の三韓征討の物語が必要とされたのである。京都の石清水八幡宮は、九州の宇佐八幡宮の八幡神を勧請して成るが、この八幡神が、神功皇后、その子応神天皇と姫神なのである。石清水八幡宮では天皇が自らこもって祈祷を捧げる場でもあったわけだが、この地で中世版神功皇后の物語、「八幡愚童訓」もつくられた。主に『日本書紀』の神功皇后の物語を下敷きにして、それに海幸山幸説話にある潮の満ち引きを支配する二つの珠を龍王から授けられる話などを加えて独自の物語へと展開していく。
 中世版の特徴としては、はじめに攻めてくるのが敵軍だということである。塵輪という体が赤くて頭が八つある鬼が海から攻めてくるのである。鬼退治の物語というのが御伽草子のようで中世らしいともいえる。鬼を討ち取った仲哀天皇は、しかし流れ矢に当たって亡くなってしまう。したがって三韓を攻める神功皇后は、ここでは敵討ちをすることになるのである。中世版の神功皇后物語でとりわけ問題含みとなるのが、三韓征討を果たした神功皇后が新羅国の門前に碑文を置いてきたというくだりである。
 戦自体は、ほとんど二つの珠の霊力によって勝利がもたらされているので『古事記』『日本書紀』に語られたような神の霊験による服属という路線なのだが、神功皇后が新羅国王宮の門前にしるしとして杖や矛をつきたてて帰ってきたという箇所が、中世版では次のように書き換えられているのである。

 これによって異国の王臣、たへかねて誓言を立てて申さく、「我ら日本国の犬となり、日本を守護すべし。毎年八十艘の御年貢を備え奉るべし。」(中略)皇后、御弓の弭にて大盤石の上に「新羅国の大王は日本の犬なり」と書き付けさせ給ふ。

 戦中に喧伝され、とくに問題となった箇所である。ついでに犬追物(いぬおうもの)といって、犬を放って狩りすることは、「異国の人を犬にかたどりて敵軍を射る」ものとして行われているなどと加えていたり、あるいはこの大盤石の文言を末代の恥として焼き消そうとしたのだがかえって鮮明になったと付け加えていたりもするから、敵国に帰伏することは犬のように主人に服従することだといっているように読める。
 しかし、「日本国の犬となり、日本を守護すべし」と言い出したのは異国の王なのであって、なぜそんなことを言ったかといえば、例の潮満珠(しほみつたま)、潮涸珠(しほふるたま)の二つの珠によって溺れそうになったからなのである。ということは、ここは海幸、山幸説話に接続する部分から読み解かれる必要があるだろう。
 そもそも、なぜ「犬」ということばが出てきたのか。
 海幸山幸の説話は、兄の海幸が弟の山幸に帰伏する服属説話だが、『古事記』によると服属の証として兄は「僕(やつかれ)は、今よりのち、汝が命(みこと)の昼夜の守護人(まもりびと)として仕へ奉らむ」と誓うのである。『日本書紀』では「今よりのち、吾、汝の俳優(わざをき)の民たらむ」とある。俳優は歌舞する芸人である。一書第四の別伝ではその俳優の踊りについて詳しく記されている。

 すなはち足を挙げて踏み行き、その溺れ苦しぶかたちをまねぶ。はじめ潮足につく時には足占(あしうら)をなし、膝に至る時には足を挙げ、股に至る時には走り廻り、腰に至る時には腰をなで、腋に至る時には手を胸に置き、首に至る時には手を挙げる、たひろかす。それより今にいたるまでに、かつてやむことなし。

 ずいぶん詳しいインストラクションである。このとおりにやれば誰でも踊れそうな溺れ踊りである。海幸が潮満珠を投げられて溺れる様子をこのようにして舞踏としてみせていたのであろう。ひょっとこ踊りのようなおもしろい踊りだったにちがいない。服従のなかには、こうした主人を楽しませる役割を負うことが含まれていたことは心にとめておきたい。それにしても守護人であることが俳優と言い換え可能なのはなぜだろう。俳優が守ってくれるイメージとは、どんなものだろう。この疑問に答えてくれるのが一書第二の別伝である。
 ここでは、その俳優を異なる言い方で説明していて、そこにイヌが出てくるのである。

 すなはちしたがひて申さく、「吾、すでに過(あやま)てり。今よりゆくさき、吾が子孫(うみのこ)の八十連属(やそつつき)、つねに汝の俳人(わざひと)とならむ。あるに曰く、狗人(いぬひと)といふ。(中略)ここをもちて火酢芹命(ほすせりのみこと)ののち、もろもろの隼人ら、今に至るまで天皇(すめらみこと)の宮墻のもとを離れず、吠ゆる狗に代(かは)りてつかへまつれる者なり。

 俳優(わざをき)あるいは俳人(わざひと)とは、「狗人」とも呼ばれるものであると言い換えている。そのことは、これよりのち、山幸たる火酢芹命の子孫と、隼人らは、今にいたるまで、天皇の居所を吠える狗になり代わって警護する者として仕えているという由来の説明になっている。海幸山幸の物語とは、どうやら隼人らが宮中に警護役で仕えることとなった、九州勢力の服属の物語にも重なるらしい。吠える狗の代わりに宮廷を警護するというと、一軒家の門の内にいる番犬のようなものを想像してしまうが、そんな習わしがあったという話はきいたこともない。
 むしろ古代の人々にとって、門前を守護する者といえば寺の門前の仁王像のようなものを想像すべきであるように思う。仁王の役目を神社で果たしているのが、狛犬(こまいぬ)である。狗というのは、狛犬のことだということはないだろうか。
 神社に限らず、宮中においても、狛犬は本当に天皇を守る役割を果たしてもいたのだ。ある時代まで、天皇の前に下げた御簾のところには狛犬がおかれていた。御簾が風でめくりあがったりしないように、文鎮のようにして置かれる御簾止めは狛犬の姿でかたどられていたのである。スタジオジブリの高畑勲監督『かぐや姫の物語』にも、その狛犬が描かれているように、宮中の要人の前には狛犬が並んでいたのである。
 いま狛犬というと、獅子を想像する人もいるかもしれないが、本来は、左側に一角を持つ狗(いぬ)[fig.3]、右側に獅子[fig.4]の対なのである。だから狛犬というのは、主に左側の一角の狗をさしていることになる。なぜ角が生えているのだろう。宮内を守護するイメージに狛犬というペアはいかにもぴったりだといえるとして、では狗人と俳優とはどのようにつながるのだろう。

[fig.3]広島・厳島神社蔵 狛犬

 

[fig.4]広島・厳島神社蔵 獅子

 

 この問題を考えるのに、中国の墓の出土品である鎮墓獣(ちんぼじゅう)がヒントになる。パリにアジア美術を集めたチェルヌスキ美術館がある。このチェルヌスキ美術館所蔵の狛犬によく似た対は、右の獅子はごくふつうの動物なのだが、左の狛犬は一角を備えた人間の顔を持つ人面獣としてあらわされているのである[fig.5]。鎮墓獣は、中国の墓で魔物から守る役目をするために置かれていたものである。チェルヌスキの一対は、北魏時代(386-534)の遺品とされている。左手の人面獣は、眉間にしわ寄せて魔物を寄せ付けまいと怖そうな顔をしているが、頭の上の頭巾のせいか、その頭巾が全身タイツを思わせるせいか、どこか滑稽に感じられる。

[fig.5]パリ・チェルヌスキ美術館蔵 鎮墓獣

 

 チェルヌスキ美術館には、鎮墓獣が他にもいくつかあるのだが、とりわけ目を引くのが、5~6世紀の遺品である[fig.6]。もう守護として怖がらせてやろうという気も失せたような落ち着いた顔つきで鎮座している。着ぐるみでもつけてなにか愉しい芸でもやってくれそうではないか。これにもちゃんと一角があるから、朝鮮半島を経由して日本にやってきた狛犬は、もとはこのような人面獣ではなかったかと妄想されるのである。ちなみにこの飄々としたと顔の鎮墓獣の対は、ニューヨーク、メトロポリタン美術館に所蔵のものだと言われている[fig.7]。バラバラに競売に落とされて別れ別れになってしまったのだろう。獅子のほうは歯をむき出して、マンガのようなコミカルな顔でさかんに悪霊をおどしつけている。一方で呆然とした姿の人面獣。この勢いのかなり異なる二体が並んだら、ますます人面獣は滑稽にみえるだろう。

[fig.6]パリ・チェルヌスキ美術館蔵 鎮墓獣

 

[fig.7]ニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵 鎮墓獣

 

 人面獣という、こんなおかしな姿の像が造られたのだから、その由来を語る物語があってもよさそうなものだが、今のところ、鎮墓獣にまつわる話はみつかっていないようである。ことによると、中国では失われてしまった逸話が、はるばるたどりついた日本の服属説話のなかに生きているということはないだろうか。つまり、この人面獣こそが、俳優あるいは俳人となって愉快な踊りで主人を楽しませ、なおかつ外敵から守ってくれる者として門前に立つ「狗人」なのではないか。「守護人」だというのに「俳優」だ、「狗人」だとわけのわからないことを言っている、この、筋のとおらないことばの断片に、人面獣の物語の痕跡がひそんでいるのではないかと妄想されるのである。
 中世の人たちは、すでに狗人が俳優であったことを忘れてしまっていたかもしれない。それで犬追物などの逸話を入れ込んだりして本物の犬を引っぱり出したりしたのだろう。とはいえ、日本の守護としてふつうの犬ではどうにも頼りない。とすると、神社という神社で狛犬は見慣れたものとしてあったのだから、「日本国の犬」となるという文言も、ただの犬ではなく狛犬をまず第一に想像していた可能性もあるのではないか。「新羅国は日本の犬なり」は別伝では「高麗国(こまこく)は日本の犬なり」とされているものがある。コマイヌなんだから、「高麗」国の犬とダジャレのようにして言いたくなったのではないかと妄想したくなるのである。
 八幡信仰という神頼みの征討説話にとっては、霊験と呪力を備えた狛犬であってこそ、はじめて守護を頼めるものとなったにちがいない。そしてその淵源には、中国で墓守をし続けた奇妙な姿の人面獣がいたのではないかと妄想されるのである。

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