冷やかな頭と熱した舌

最終回
どうして棚に向き合う時間が減ってしまうのか

全国から注目を集める岩手県盛岡市のこだわり書店、さわや書店で数々のベストセラーを店頭から作り出す書店員、松本大介氏が日々の書店業務を通して見えてくる“今”を読み解く!
 

◆さわや書店ホームページ http://books-sawaya.co.jp/
◆さわや書店フェザン店ツイッター 
https://twitter.com/SAWAYA_fezan


■「振り返ってらんねぇ」日々

 初夏だというのに枯れた葉が歩道に落ちている。
 何の木だろうか。人間の手より二回りほど大きな葉。岩手の県名の由来となった鬼の手形のような形。ラジオ局で本紹介のコーナーに出演し、バスで店へ戻る車中は空いている。座席は高く、窓の外に向ける目線は下へと向かいがちだ。だからだろうか。普段は目に入らない落ち葉に目が留まったのは。渋滞していた車列が進み、景色が後方へと流れた後も、妙に心に残った。
 最近は、「振り返ってらんねぇ」という言葉を心のなかで繰り返しながら、毎日を過ごしている。元来、過ぎ去ったことに捉われがちな自分が、洪水のように押し寄せる仕事に溺れかけて、「いま」をもがくことに必死だ。旧知の友によると、最近の僕は以前から多めであった言葉の棘が、より一層増えたという。そんなことを考えながら、そういえばとぼんやり思い返す。さっき見た落ち葉も少しトゲトゲしていたかも知れない。この赤信号が変わって駅へと続く橋を渡れば、もうすぐ店に着いてしまう。もやもやしたものを抱えたまま店に行くのが嫌で、いそいそとスマホを取り出して調べると、正解はすぐに画面に表示された。葉を落していたあの街路樹は、栃の木らしい。

 店に戻ると、竹内敦次長が疲れた表情で品出しをしていた。「いま、戻りました」と声をかけると、昨日発表された第157回芥川賞の取材に忙殺されたという答えが返ってきた。前日の夜、受賞直後に地元メディアへの応対で帰宅が大幅に遅くなった僕も、言いたいことは分かりますとばかりに笑いながら、困った顔を作り頷く。二言、三言、会話を交わしていると、問い合わせを知らせるベルが店内に鳴り響いた。慌てた様子で応対へと向かう竹内さんの後ろ姿を見送って、荷物を取りにロッカーへと向かう。休みではあったが、開店準備を手伝って、ラジオ出演を終えた僕は、夕方の取材アポイントまで近くのカフェかどこかで原稿を書こうと、持ってきたパソコンを自分のロッカーから取り出す。どこか申し訳ないような、後ろめたいような気持ちで店を後にした。

■盛岡からの芥川賞作家

 今回の芥川賞は、盛岡市在住の沼田真佑さんが『影裏』で受賞した。岩手県在住の作家が芥川賞を受賞したのは初めてのことで、地元メディアにとってのニュースバリューは相当なものだった。沼田さんが、同作で文學界新人賞を受賞した際の扱いはそれほどでもなかったが、やはり広く知られた賞は重みが違う。3カ月に発売され、つい昨日まで店頭に積んでいても見向きもされなかった『文學界5月号』が、一夜で「金のがちょう」へと姿を変え、それを伝える報道は過熱した。こういった世の中の価値の転換に触れるにつけ、常識という言葉にひそむ不確かさへと思いが向かう。一方で、本屋で働くことは面白いなと思う。ORIORI店に取材が殺到したのはなぜか。それは、返品期限の過ぎた4月発売の『文學界5月号』がORIORI店に平積みしてあったからだ。ほんとうは「山積み」のはずだったのだが、少しの反省をこめてその理由を以下に記そう。

『文學界5月号』の発売日である4月7日、ORIORI店はまだオープンしていなかった。その頃、僕はフェザン店で選書作業をしながら、文芸誌の売り方について考えを巡らせていた。3月に東京を訪れた際、編集者の方々に神保町で開いてもらった「さわや書店を囲む会」(本連載第17回参照)で俎上にのせたことの一つに、文芸誌の売り方があった。
 いま、作家の連載ものを載せる媒体としての文芸誌は危機なのである。文芸各誌は9分9厘が赤字であり、以前から連載をまとめたものを単行本化してはじめて、利益を生むかもしれないという、不確実な可能性に依拠した状態だった。それでも各文芸版元が文芸誌を出版し続ける理由は、前述の沼田さんのような有望な新人の発掘や、デビュー済みの作家に対して発表の場を与え定期的な収入によって生活を支えるという側面、執筆を依頼することにより自社と付き合いのなかった作家との接点を持つなど、少なくないメリットがあるからだ。さらには、単行本化した時に大きな話題となりベストセラーになるかもしれないという期待があるからでもある。いわば先行投資のギャンブルなのである。だが、昔に比べ本が売れなくなって先行投資の回収率は目に見えて下がっている。文芸誌の未来をどう描くべきかという重い課題に触れて、新店舗で何かできないだろうかと、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませていたのだった。

■文芸誌を売る努力

 考え抜いたすえに僕の出した答えは、至ってシンプルなものである。いや、その言い方はちょっと正しくない。書店の現場において出来ることが他に思いつかなかったというのが、正直なところだ。焼け石に水かもしれないが文芸誌を一冊でも多く売ること。それが絞り出した僕の答えである。そのために売り場に少し手を加えた。普段は雑誌コーナーに置かれることが多い文芸誌を、文芸書棚の新刊を置く棚の隣に持ってきた。そしてORIORIテイストとして定着しつつある「手書きじゃないPOP」を使って、どの作家がどんな作品を文芸誌に連載をしているかを可視化した。つまりは、連載→単行本の流れをお客さんに意識させたかったのだ。あなたの好きな作家が、リアルタイムで書いている作品はこれですよ、と示すことで文芸誌の購買を促進しようと考えた。さらには、単行本発売時の事前予告的な宣伝の意味合いも兼ねている。
 結果は、劇的に表れているとは言いがたいが、今回の芥川賞発表時に『文學界5月号』の在庫を持っていたことは、この文芸誌を丁寧に売ろうという取り組みからつながっているものだ。

文芸誌は雑誌コーナーではなく、文芸コーナーに注目の書き手とともに並ぶORIORI店
 
最新の文芸誌に掲載される作家とその著作を連動することで、作家の動向をリアルタイムで可視化させている

■一つの発注ミスから感じた危機感

 4月中旬に『文學界5月号』が発売されてすぐ、文芸誌の売り方をどうしようかと考えていた僕は、文学界新人賞受賞作である『影裏』を読んだ。その時、これは芥川賞にノミネートされるだろうとピンときた。文章の上手さはもちろんのこと、作中での東日本大震災の捉え方、扱い方が、これまでに発表されたどの小説とも異なるスタンスを取っていたというのがその理由だ。
 しかし、5月19日にORIORI店がオープンした直後は、忙殺されて発注を失念してしまっていたのだった。ノミネート作の発表があった6月20日、そこに『影裏』の文字を見つけて正直「マズい」と思った。自分の予想が当たった嬉しさよりも、大事なことを忘れていた自分を呪い、発売から2カ月を経た『文學界5月号』が手に入るかどうかという心配のほうが先に立った。これから手配したとしても、満足する数を集めるのは難しいだろう。結果はやはりというべきか、希望数の半分しか在庫を確保できなかった。直感を軽んじてはならないことは、羽生善治氏も再三その著書のなかで説いている。
 ただでさえ棚に向き合う時間が大幅に減って、本屋にとって重要なアイデアであるとか、あの本とこの本は有機的につながる、というような「棚からもたらされる刺激」の回数そのものも少なくなり、非常にストレスを感じていた。この『文學界5月号』の発注の遅れは、今後のことを考えると致命的なものになると思った。現場に立つからこそ得られる感覚が徐々に欠落していく。書店員としての旬とでもいうべきものが、現場に立てないことによって足早に過ぎていってしまう。そんな恐怖に捉われた。