脇田玲

第10回:研究者になる方法

いま「ラボ」や「リサーチ」を冠した組織が、アフターインターネット時代のビジョンを作りあげつつある。彼らはスピード感と軽やかさを武器に、新しい技術の可能性を社会に問い続けているのだ。ラボやリサーチをイノベーションの駆動力とする「ラボドリブン社会」とはどのようなものか。ビジネスからアートまで、最先端の現場からラボの新しい姿を解き明かす。

大人になったらなりたいもの

研究者は子供の憧れの職業の一つらしい。第一生命が実施している「大人になったらなりたいもの」という作文コンクールのウェブサイトによると、「学者・博士」が2016年度は2位、2015年度は8位、2014年度は4位と常に上位にランクインしている。「末は博士か大臣か」という言葉があるように、世間一般のイメージでは、博士は「偉い人」「憧れの人」なのだろう。また日本人のノーベル賞受賞者がしばしばニュースで取り上げることも結果に影響しているのもしれない。

日本の制度の話をすれば、大学院で博士課程を修了すると博士になれる。ただし博士号を取得した時点では研究者のヒヨコのようなもので、日本でも欧米でも食べていくのはかなり大変だ。博士号はしばしば「足の裏についた米粒」に喩えられる。その心は「取らないと、気になる。でも、取っても、食えない」から。経済的な意味では「博士」と「大臣」の間には雲泥の差がある。また、学位を取得することが研究者になることと一対一でもない。このコラムの第1回で取り上げたライゾマティクス・リサーチやチームラボ、タムラムといった企業の人々が博士号を持っているかと言えば、持っていない人の方が多いのではなかろうか。ただし、情報工学という分野は高い専門知識が必要とされるため、修士号を持つ人は多いように感じる。

今回のテーマは研究者になる方法。研究組織に就職して生活を維持できれば、それで研究者になれるわけだが、作文コンクールに応募している子供が望んでいるのはそういうことではないだろう。「本当にやりたい研究」と「仕事」を両立するのはなかなか難しい。博士には誰でも頑張ればなれるが、その後、本当にやりたい研究を仕事として成立させていくにはどうしたらよいのだろうか。

そのコツは、自分がもっとも自由でいられる場所を探して、仕事と研究の境界をなくしていくことだと思う。僕はそうやって生きてきた。


僕が研究者になるまでの話

好きな研究をやり続ける一番手っ取り早い方法は、大学院に進学することだ。大学院は基本的に勉強ではなく研究をする場所なので、授業も少なく、多くの時間を自分の活動に費やすことができる。古臭い大学では、教授に研究テーマを押し付けられることもあるようなので、事前に調べた方がいいだろう。最近は社会人入試の枠が増えてきて、多くの人に門戸が開かれている。残されたハードルは学費の問題。ご多分に洩れず、僕にとっても学費が悩みの種だった。

それでも僕が大学院に進学したのは、当時研究していたCGの世界をより深く知りたかったからだ。友人のほとんどは就職した。初任給の話や海外赴任の話など、友達から語られる世界はそれはそれは魅力的だった。でも僕には人生に遅れをとっているとか、一人だけ間違ったことをしているという認識はなかった。ただ好きなCGを突き詰めて生きていくにはどこに身を置くのがよいのか、それだけを考えていた。学費は高額だったけど、そのお金で好きなことを追求する時間を買うような感覚だった。

程なくして学費の問題も解決した。担当教員だった千代倉弘明先生が設立したITベンチャー企業で働くことになったのだ。第3回に登場したユタ大学のラボの話を思い出して欲しい。最先端の研究を遂行している大学教授は、学外の別組織で研究成果の社会実践をすることがしばしばある。アイヴァン・サザランドとデイヴィッド・エヴァンスが、ユタ大学で3次元CGのラボを運営しながら、ベンチャー企業エヴァンス&サザランド社を設立したのはそのモデルケースだ。現在であれば、スクリーンショットの共有ソフトウェアGyazoを開発した慶應義塾大学SFCの増井俊之氏がCTOを務めるNOTA Inc. 、メディア・アーティストで筑波大学に研究室を持つ落合陽一氏が設立したPixie Dust Technologies.inc.、などがそれにあたるだろう。

当時の千代倉先生は3次元CADデータをコンパクトに圧縮する技術をもとに会社を設立して、優秀な人材を大学内外から集めようとしていた。まったく実力のなかった僕はかろうじて契約社員として採用してもらった。数人の小さなベンチャーだったが、社員のほとんどが博士号を持ち、すでに実績も十分なスター集団で、日本発の3次元CAD/CGベンチャーとしてかなりの注目を集めていた。成果もすぐに注目され、シリコン・グラフィックス社のカンファレンスで鳴り物入りでソフトウェアのデモをしたり、ベンチャー企業の賞をもらったりしていた。そんなすごい人々の中でもちろん僕は一番の下っ端だったので、お客さんにコーヒーを出したり、サーバの管理をしたり、飲み会で盛り上げ隊長になったりもした。その分野の超一流の先輩方に数学やプログラミングの教えを請いながら、3次元CADのカーネルと呼ばれる数値計算ソフトウェアの開発にのめり込んでいった。

こうなると、仕事と研究の境界がなくなってくる。大学院で読んだ論文の内容を会社の業務として実装したり、会社で開発した独自技術を学会で発表したりと、シナジーが生まれ始める。働けば働くほど研究が進むので、大学院の研究テーマで悩むことも、論文が書けなくて落ち込むこともなかった。会社では多くの仕事を任せてもらったので、一足前に就職した同世代と同程度の実務能力も得ることができたと思う。

博士課程に進学したのちは正社員として採用してもらい、R&Dの部署で研究開発をしたり、シリコンバレーの事業所設立や国際標準化の仕事にも携わった。この頃になると、大学院の学費のために働くというよりも、ベンチャー企業で研究職として働きながら、ついでに博士課程に通っているという感覚になっていた。研究を通して社会との関わりをしっかりと持っている実感があった。思えば、僕はこの頃に「研究者になった」のだと思う。博士号の取得はその延長というか、副産物のようなものだった。


研究者は自ずから成るもの

「研究者 なり方」でGoogle検索すると、研究者になる方法を丁寧に説明しているページがいくつも表示される。大学院で博士号を取得して、大学か企業か公的機関に就職し、その後は論文を書いて学会で発表するのが研究者の仕事だと書いてある。間違っていないのだけど、古色蒼然とした研究者像でしかないし、表層的で研究者の本質を突いているとは思えない。

研究者とは、常に研究活動を実践しており、それが生きることと直結しており、その活動と社会との関わりに確かな実感を得た時に自ずから成るものなのだ。だから、まずは博士号を取得して、それから研究所に就職するいう生き方は一つのパスでしかない。学位が研究者ならしめるのではなく、研究者になった人に学位が与えられるのだ。

と、偉そうなことを書いてしまったが、以上は私の半生の振り返りから得た小さな実感に過ぎず、デジタルメディアという分野における一つのサンプルに過ぎない。ハードコアなサイエンスの世界では、研究所に所属して高価な機械を使わなければ研究すらできないことも多いし、博士課程で高度な専門性を身につけることが必須な分野もあろうだろう。

誤解のないように補足すると、大学や大学院に行くことができればそれに越したことはない。大学の素晴らしいところは機会に溢れていることだ。私も修士課程に進学したことがきっかけで魅力的な場に身を置くことができた。

人は好きなことをするために生まれてきたのだ。「大人になったらなりたいもの」を大切に温め続け、そのためにはどこに身を置くべきかを考えつづけることが肝要だ。

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