piece of resistance

17 誕生会

なんでそんなことにこだわるの? と言われるかも知れないが、人にはさまざま、どうしても譲れないことがあるものだ。奥様とは言わない、本に書き込みはしない、ご飯は最後の一粒まで食べる、日傘は差さない……等々。それは、世間には流されないぞ、というちょっとした抵抗。おおげさ? いやいや、そうとは限りません。嫌なのにはきっとワケがある。日常の小さな抵抗の物語をつづります。

 ミルジャの剣に魔法を解かれた伝説のドラゴンが、その前世にまつわる驚くべき真実を語りはじめた、まさにそのとき――トントン。ノックの音に続いて、扉のむこうからママの声がした。
「チャコ、今夜は外食よ。支度して」
「え、なんで」
「チャコの誕生会」
 なんで、とあたしは語気を強めてくりかえした。あたしの誕生日は二週間前で、すでにその夜、ママとふたりでケーキを食べていた。
「誕生会はもうやったじゃん」
「今夜はパパもまじえて。パパ、今日なら早く帰れるって言うから」
「あたし、本読んでるんだけど」
「そんなのいつでも読めるでしょ」
 ママはわかっていない。『星降る伝説のレジェンド』は、今、友達みんながはまってるシリーズの最新刊で、発売日の今日をずっと前から待ちに待っていたんだ。明日はその話題でもちきりになるに決まっていて、「まだ読んでない」なんて言おうものなら、いくつの「マジ?」が飛んでくるかわからない。
「パパとふたりで行ったら」
「なに言ってんの、あんたの誕生日でしょ。もう予約もしちゃったんだから、早く支度しなさい。今日の夕飯ぬきでもいいの?」
 そう言われると返す言葉もなく、あたしはしぶしぶとワンピースに着がえ、ママとタクシーに乗りこんだ。キッチンの最高権力者である母親が「今夜は料理をしない」と宣言したら、それはもう、ほかの誰かが料理したものを食べるしかないってことなんだ。

 家族の記念日によく行くイタリアンのお店に到着すると、そこにはすでにパパがいて、窓際の席でメニューを広げていた。テーブルが六つしかない小さなレストラン。壁一面にイタリアの地図や写真が飾られているせいか、となりのテーブルでキャッキャとにぎやかに食事をしている四人家族が、あたしの目にはなんとなくイタリア人の家族みたいに映る。
 まずはパパとママがシャンパンを、あたしは自家製ジンジャエールを注文した。食事はおまかせのBコースを注文したとパパから聞いて、今日は気前がいいなと軽く驚いた。いつもは主菜が一品のAコースなのに。
 このお店に来るといつも感じる居心地の悪さ(日本人でごめんなさい、みたいな)に耐えながら、伝説のドラゴンが語る真実について考えているうちに、前菜の〈水タコのカルパッチョ〉が運ばれてきた。タコはママの大好物だ。くちゃくちゃした食感があたしはいまいち苦手で、顔をしかめて奮闘してるうちに、ふと妙なことに気がついた。
 パパとママが、どこかおかしい。いつもはあたしにかまわず、ふたりでぺちゃくちゃしゃべっているのに、今日は態度がよそよそしいというか、会話がぎこちないというか。かといって、ケンカをしているふうでもなさそうで、むしろおたがいに無理して気をつかいあっているような。

 そういえば――。ふとあることを思いだしたのは、二皿目、やっぱりママの大好物である〈モッツァレラチーズとバジルのカッペリーニ〉をちまちまとフォークに巻きつけていたときだった。
 四、五日前の真夜中、パパとママは派手なケンカをしてたっけ。怒りにわななくママの声は、べつの部屋で寝ていたあたしの耳にまでキンキンと響いていた。内容までは聞きとれなかったけど、原因は、十中八九、パパのスマホだ。ママがヒステリックになるときには、かならずパパのスマホがからんでいる。そして、その後しばらくのあいだは、パパがママのご機嫌とりに精をだす。
 ってことは――。この食事会の真の目的が見えてくるなり、ナイフとフォークを握る手から力がぬけた。お酒を飲まないあたしには味が濃すぎるトマトソースが、ますますしょっぱく思えてくる。
「チャコ、どうしたの、おとなしいじゃない。せっかくのお誕生会なのに」
 無口なあたしにママはろこつな不満顔を示した。さっきからきらちらとなりのテーブルを気にする目に、自分たちよりも楽しそうな四人家族への対抗心がにじんでいる。
「べつに。じっくり味わってるだけ」
「ここのお料理、本当に味がいいわよね」
「いや、ママの手料理もかなりのもんだよ」
「やだ、パパ。おべっか言っちゃって」
 ママが甘ったるい笑い声を立てる。となりの家族に聞こえるように。
 今、ここへ伝説のドラゴンが助けに来てくれたなら――。そう一心に願いながらも、家庭の平和を守るため、あたしは調子を合わせて薄く笑う。なんとか無難にこの場を乗りきり、本の世界へ生還するために。
 けれども反面、十二歳のときにはなかった生還の危機も感じている。これまで耐えられたことが、これからは耐えられなくなるような。何かの拍子でパンとはじけてしまいそうな。そう、たとえば――食事の終わりに十三本の蝋燭をわざとらしく立てたケーキがあらわれて、お店の人たちの手拍子のなか、一息でそれを消すようにせっつかれでもしたら。

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