ちくま新書

松島の松

 松島やあゝ松島や松島や

 松島の風光があまりにもすばらしいので芭蕉は松島の句が詠めなかったとか、この嘆息のような句をもらしただけだったとか、例によって世間ではおもしろおかしく言い伝えている。しかし、芭蕉は松島の句を詠まなかったわけではなく、「あゝ松島や松島や」の句を詠んだのでもなかった。

 嶋じまや千々(ちぢ)にくだきて夏の海   芭蕉

 少なくともこの一句を得たのだが、『おくのほそ道』には松島の句を入れなかった。その不思議をめぐる芭蕉の深謀遠慮については、この六月に本になる『「奥の細道」をよむ』に私の考えを書いておいた。
 ただ、芭蕉には芭蕉の心づもりがあってのことだが、松島の句がないのをいちばん残念がったのは、後世の読者などより松島の松だろう。このくだりを読むたびに、松島の松の三百年の恨みの声が聞こえるような気がする。

 桜より松は二木(ふたき)を三月(みつき)越(ご)シ  芭蕉

『おくのほそ道』には武隈の松のこの一句が入っているし、その数年前、近江の辛崎の松には、

 辛崎(からさき)の松は花より朧(おぼろ)にて  芭蕉

という名句を捧げている。金屏風に描かれた絵空事の松でさえ、

 金屏(きんびやう)の松の古さよ冬籠(ふゆごもり)  芭蕉

と詠んでもらっているのに、なぜ松島の松だけ……と、松島の松は思っているにちがいないのだ。その恨みが災いして、とうに天寿を全うしているにもかかわらず、成仏できないまま、いまだ中有をさまよう老松の精もあるにちがいない。
 そんな草木の恨みを晴らす唯一の道は、この国では昔から能と決まっている。きっとそんなわけだろう、『「奥の細道」をよむ』を書いているうち、その一方で謡曲「松島」が朧の中からしだいに姿を現わしてきた。
 芭蕉亡き後、その脈流のある俳諧師が従者を連れて、その跡をとぶらおうと松島を訪ねる。すると、そこに一人の老人が現われて、遠い昔の夏、芭蕉が曾良とともにここを訪れたことを物語り、二人がしばし涼んだという海のほとりの老松のもとへ案内する。
 日が暮れて、二人が老松のもとで旅寝をしていると、夢とも現とも知れぬ境に老松の精が現われて、その昔、芭蕉がこの木のもとで休みながら、松島の松の句を一句も詠まなかったために、それがさわりとなって成仏できないことを恨み、俳諧師に回向の一句を所望する。
 そこで、俳諧師が松島の松の句を一句さらさらと詠んで手向けると、老松の精はたいそう喜び、松を詠んだ名歌や名句を唱えつつみごとな舞を舞いながら、夏の夜明けの薄明かりの中へと消えてゆく。
 そうだとばかり、早速、構成を練り、芭蕉の辛崎の松や金屏の松の句をはじめとして松の和歌や俳句を集めはじめたのだが、一つ困った問題にぶつかってしまった。それはどこかといえば、老松の精に頼まれて俳諧師が句を詠んで与えるところ。
ここにはぜひ、誰もが納得する松島の松の句がいるわけだが、そんな名句がそう簡単に浮かぶはずがない。
 さて、ここをどう切り抜けたものか。三百年間、中有をさまよう老松の精には、もうしばらくお待ちいただくしかない。

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