ちくま新書

"自分らしいキャリア”って何?

<意識高い系>の若者は何を考えて転職するのか? 転職する若者が抱えるリスクとは? ゆとり世代と同世代の社会学者が若者とキャリアについて分析した8月刊『ゆとり世代はなぜ転職をくり返すのか?』の「はじめに」を公開します。

転職する「ゆとり世代」

「入ってみて合わなかったら辞めてもいいと思ってた」
「最初の会社はステップアップの一つって考えてた」
  これは20代の転職者から聞かれた言葉だ。この言葉を聞いて、「わかる! 私もまったく同じこと考えていた」という方もいれば、「けしからん! だからイマドキの若者は」と思う方もいらっしゃるだろう。
 彼らの多くは「ゆとり世代」と呼ばれ、ストレスに弱いとか、自己中心的と言われたりする。この世代のキャリアについての語りに見られるのは、これまでの慣習にとらわれないこと、やりたいことを重視すること。まさに〝自分らしいキャリア”を模索する姿がそこにはある。
 そしていま、そんな若者の転職が増えている。大学卒業後3年以内の離職率が3割であることを表す「3年3割」という言葉は、もはや聞き慣れた言葉となった。しかも、厚生労働省が行っている「新規学卒就職者の在職期間別離職率の推移」を見てみると、実ははじめの3年間で最も離職率が高いのは1年目となっている。世の中では若者は安定志向化していると言われたりもする。就労前の大学生、あるいは就職したときの新社会人は、将来への不安に苛まれ、「入社した会社で勤め上げることを望む」と言うかもしれない。しかし実際に働き始めた後を見てみると、そうとは言いきれない。
 「内定ブルー」という言葉も流行っている。内定式に出ても、「本当にこの会社でいいのか」と悩み、不安が解消できない状態を指す言葉だ。そんな気持ちを抱えたまま会社に入り、「やっぱりここではなかった」、そんな風に思って転職する若者も少なくないのだろう。内定先の企業に対して、「本当にこの会社でいいのだろうか?」という不安はいつの時代にもありそうなものだが、あえて「内定ブルー」なんていう言葉が付けられているところに注目度(注目させようとする度)の高さを感じる。
 このように若くして転職へと向かう彼らに対する社会からの視線は、決して暖かくはない。「世間知らず」、「我慢ができない」、「その日暮らし」そんな言葉も聞こえてくる。社会が彼らにそのような思いを抱く気持ちもわからなくはない。
 2012年に『10年後に食える仕事、食えない仕事』(渡邉2012)という本が話題となったが、その本では、日本の職業の72・5%が、グローバル化のなかで世界的な最低給与水準に収斂される可能性が高いということが紹介されている。また日本の労働人口の約49%が就いている職業が、10~20年後に人工知能やロボットによって代替可能となると野村総合研究所は発表した(株式会社野村総合研究所「日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に」2015年12月20日ニュースリリース)。就労機会を獲得する難易度が高まるという意味で、「働くこと」はこれからどんどん難しくなっていくのかもしれない。それはつまり、生きることが難しくなることにつながるのかもしれない。そんな恐れがあるなかで、せっかく?み取った就職先を手放して本当によいのだろうか。そう思う方は少なくないだろう。
 一方で、先行きが見えないからこそ所属する企業にもしがみつかない、信じるものは自分で決める、だから転職だってする。そんな考え方もあるだろう。
 問題は、ここまで述べてきたような若者達の行く末である。彼らは転職をしながら〝自分らしいキャリア”を歩んでいけるのだろうか。先行きが見えないなかで、少なくともちゃんと働き続けられるのだろうか。

キャリア思考の罠

 そんなゆとり世代、そしてもっと若い世代はいま、自分のキャリアについて考え続けている。キャリア教育はどんどん弱年齢化し、大学に入学してすぐインターンを始める者も珍しくない。そして、学生時代から就職した後もずっと、〝自分らしいキャリア”とは何かを模索し続けている。僕はこうした状態を「キャリア思考」と呼んでいる。
 では、この〝自分らしいキャリア”とはいったい何なのか。イギリスの社会学者であるA・ファーロングは、『若者と社会変容――リスク社会を生きる』(訳書2009)のなかで、自由で平等だと言われる今日においてもなお、個人の意思決定は、大いに社会構造に影響を受けているということを明らかにしている。
 もし〝自分らしいキャリア”を追い求める「キャリア思考」も、考え抜いた〝自分らしいキャリア”の中身も、社会構造の影響を受けているとしたら、〝自分らしいキャリア”なんてものは本当に存在すると言えるだろうか。
 就活のためのインターネットサイトはオープンアンドフェアを謳(うた)い、企業は、生まれ育った家柄はもちろんのこと、学歴によってその人材の能力を測ることもしない。就活の面接では「志望動機」や「将来何がしたいか」を聞かれ、常に主語が「自分」であることが求められる。そして面接時間の多くが「意志」の確認に割かれる。
「自分が何をしたいのか」を、唯一にして最大の判断基準にして、自分自身のキャリアを自ら描く。高度経済成長期を支えた世代からは考えられない、〝自由にキャリアを描く時代”がやってきたのだ。ゆとり世代であり、本書の言う〝若者”と同じ時代を生きてきた筆者は、そう思って大学生のときに就職活動をした。
 それから6年が経った。就職した会社を辞め、大学院に入り、今は大学院に所属しながら仕事をしている。3年後自分がどうなっているかは想像もつかない。安定とは懸け離れた日々で、「今後どうしていくか」を常に考える。将来への不安もつきない。しかしそれは「仕方ないこと」と考えられるのが一般的だろう。〝自分らしいキャリア”の歩んだ先に起こることの責任は、自分で持つ。なんたってそれは自分で決めたことなのだから。

〝自分らしいキャリア”なんてもの本当は存在しないかもしれないのに?

 ではなぜ僕たちは〝自分らしいキャリア”を追い求めて生きているのか。そしてその先にある責任を、何を根拠にして負うのか。
〝自分らしいキャリア”という言葉がまとうこの違和感はいったい何なのか。
 僕と同じように、キャリアを取り巻く環境が劇的に変化した世界で、将来のことを考え、〝自分らしいキャリア”を求めて人生を歩み始めた若者たちが、今何を思っているのかが本書にまとめられている。そして静かにも確実に蓄積される将来に対するリスクと、それが社会においてどんな意味を持つのかということについて考えた。
 僕が抱いた違和感の正体は何だったのか。一言で表すとすれば、それは「理不尽な自己責任への違和感」である。
 その違和感を、本書を通して一つ一つ紐解いていきたい。そして本書を通してわかったことを、立場や年代は違うが、どうやってこれから生きていこうかと悩んでいる方、自分自身の責任のもとキャリアを形成していかなければならないというプレッシャーに押しつぶされそうな誰かに届けられたらと思う。

大人たちへ

 大人は、特に人事担当者や経営者、大学職員、あるいは若者世代の親といった、若者のキャリア形成を取り巻く方々は、彼らのキャリア形成をどのように見ているだろうか。
 昔では考えられなかったキャリアの描き方を羨むだろうか。なんと危ういキャリアを歩むことかと心配するだろうか。
「理不尽な自己責任」なんて言うと、「若者はそうやってすぐ責任放棄する!」と怒られるかもしれない。しかし、今ゆとり世代の若者が葛藤を抱えているとしたらそれには理由があり、意味があるはずなのだ。
 ミレニアル世代という言葉をご存知だろうか。2000年以降に成人あるいは社会人になった世代が、それ以前の世代とは異なる特性を持っていると言われ、アメリカで注目されているのだ。物心がついた頃からインターネットやパソコンが普及していたデジタルネイティブ世代の最初の世代であり、SNSなどで常に情報を発信する彼らは、自己顕示欲が強く、ポジティブで自由主義、そして変化を厭わない。日本においては、博報堂生活総合研究所が、ビフォーバブル世代(~1973年生まれ)とアフターバブル世代(1974年生まれ~)では大きく価値観が異なるという調査結果を発表している。アフターバブル世代は、未来は現状の延長線上ではなく現状打破した先にあると思い、同じライフスタイルを続けるより常に柔軟に更新したいと思っているのだ。
 そして、現在はまだビフォーバブル世代が人口の過半数を占めるが、2023年には拮抗し、それ以降はアフターバブル世代が人口の過半数を占めていく。
 思えば我々の世代は、ゆとり世代に始まり、デジタルネイティブ世代、ミレニアル世代、アフターバブル世代と、様々な呼ばれ方をしてきた。改めて名前をつけたくなるほど、それまでの人々とは何かが違うということなのだろう。そんな大きな時代の変化の狭間を生きてきたのが我々ゆとり世代だ。◯◯世代として語られるとき、それ以外の世代はその世代を客観視する。もっと踏み込んで言えば、自分たちとは違う得体の知れない存在と思っていることが、◯◯世代という言葉には表れているのかもしれない。
 そんな世代が、これからの社会を担っていく。それはそう遠くない未来のことだ。
 経済成長は停滞し、格差は拡大し、固定化している。閉塞感の漂う今日において、そしてすべての人が共感できる将来像のなくなったこの時代において、若者の世代が何を生み出し、何を変えていけるのかは、社会全体の大きな問題であろう。そんなプレッシャーを望んだわけではないが、こんな時代を生きる僕たちは、社会を生きる当事者として、未来を創る当事者として、力強く生きていかなければならない。だからこそ多くの大人には、そんな若者が今どんな状況にいて、何を悩んでいて、その悩みが何によって生まれているのかということに、少しでいいから目を向けて欲しい。「わがままで無責任」、「貧弱で移り気」だと思う若者が、どんな思いを抱えて生きているのか、彼らの声に少しでいいから耳を傾けて欲しい。「ゆとり世代」とくくられた若者世代が、いかに多様か。そしていかに人間臭い葛藤を抱えながら生きているのかを、感じていただけたらと思う。

本書の構成

 本書は、すでに転職を経験した20代へのインタビューと、キャリア面談へのフィールドワークという2つのデータの分析によって構成されている。
 第1章では、若者の転職が増えているという事実とその社会的背景を確認したうえで、インタビューを行った転職者の類型化を行う。ここは本書の土台となる部分である。
 そして第2章、第3章で、転職者のインタビューを分析し、彼らがどのようにキャリアを歩んできたのかを見ていく。この部分は読む方の年齢や立場によって共感的に読み進めていただける場合もあれば、ものすごく強い反感を持たれる場合もあるかもしれない。もしそうなったとしても、この後の第5章まではお付き合いいただけたらと思う。
 第4章、第5章は、キャリア形成、転職という個人のライフイベントを社会構造から捉えた。この2つの章は、学校の先生、キャリアカウンセラー、人事担当者、親といった、誰かのキャリア形成に関わる全ての人、そしてキャリアを形成する当事者の全てに、ぜひお読みいただきたい。
 それ以降の章では、転職する若者のキャリアをより豊かにするためにはどうすれば良いのかを検討している。第6章は、彼らのキャリア形成の契機としてキャリア面談を取り上げ、その可能性と、課題について考察した。最終章となる第7章は僕が行った分析を通して、若者の転職者が抱える問題、社会が抱える問題をまとめた。そして社会に対する問題提起を行ったうえで、筆者なりの解決策を提示する。
 本文にいく前に最後に一つだけ。本書では注や参考文献を積極的に載せている。僕が研究を始めて気づいたことの一つが、過去の研究や概念が、人生でぶちあたる課題を乗り越える大きな手がかりになるということだ。この本を通して出会った概念や、書籍が、目の前の壁を乗り越えようとする誰かの手助けとなればとも、ささやかながら思っている。