ちくま新書

「日本型資本主義」とは、何だったのか?

一度は確かに、世界で優位を誇った「日本型資本主義」は、完全に崩壊した。新たなモデルを探すには、日本人と資本主義の精神の歴史を丁寧にたどる必要がある。 日本経済の中心で働き続けてきた現役官僚が、核心に迫った意欲作。その「はじめに」を公開します。

 本書のねらいは、歴史的な観点から日本型資本主義の特徴をとらえ直し、今後目指すべき方向性について考えることにあります。
 二〇〇七年に発生したアメリカ発の世界経済危機は、圧倒的に優位を誇っていたはずのアメリカ資本主義の権威を、完全に失墜させました。以後各国は、それぞれに自国の実情に合った新たな資本主義モデルを模索していますが、そのためには資本主義の本質と、自国の資本主義の特徴について再認識する必要があります。
 このため、筆者はその最初の試みとして、前著『スミス、ケインズからピケティまで 世界を読み解く経済思想の授業』(日本実業出版社、二〇一五)を上梓しました。こちらは、経済思想や資本主義の多様性を軸に、日本型資本主義をアメリカ・ドイツ・フランスの資本主義、さらには中国の経済システムと対比しながら論じることを主眼としています。これに対し本書は、日本型資本主義そのものに焦点をあてて考察しており、両書はいわば補完関係にあると言えましょう。
 本書の構成は第一部(第一章―第二章)と第二部(第三章―第六章)に分かれており、第一部は本書の主張のエッセンスとなっています。第一章は、資本主義が繰り返し危機を迎える要因について考察するとともに、資本主義を支える精神(倫理と「企業家精神」)について論じています。第二章は、日本型資本主義が経験した危機(バブルと九七年金融危機)の原因と、今後日本型資本主義が目指すべき新たなモデルの方向性について論じています。まず、この第一部を読んでいただければ、筆者の主張の骨幹をつかむことができるでしょう。
 第二部は、第二章の論拠となる日本型資本主義の特徴を、歴史的観点から考察したものです。第三章から第五章までは精神史的な観点からの考察であり、日本型資本主義の精神的特徴である勤勉・倹約の倫理と「士魂」(第三章)、日本人の独特な思考様式を分析した「日本教」論(第四章)、日本人の意思決定方法の特徴である「一揆」と「空気」(第五章)について、それぞれ解説しています。第六章は経済史的な観点からの考察であり、戦後の高度成長が「戦時経済体制」の継続によってもたらされたことを解説しています。
 時間がありましたら、第六章まで読み通されたあと、第二章を再度読み返すと、筆者の提示した論点がより理解できるものと思われます。それぞれの考察に際しては、先人の優れた論考を参考としました(巻末の「参考文献」参照)。
 ここに紹介した著作の多くは、日本の産業資本主義が最高段階に達した、一九七五―八五年頃に集中的に発表されました。この時期は、日本の産業資本主義が既に欧米を上回ったことが内外ともに認識されたときであり、これまでアメリカ産業資本主義に追いつき追い越すことを目標としてきた日本人は、目標を見失いかけました。そこで改めて日本(人)論が、知識人によって議論されたのです。
 ここで紹介した著作をみると、著者たちは日本(人)を実に冷静に観察しており、決して軽薄な『日本(人)優越論』をふりかざしていたわけではありません。日本(人)の特徴をもう一度見極めながら、日本型資本主義の目指すべき新しいモデルを懸命に模索していたのです。しかし、このあと、日本はバブル経済をむかえ、日本的経営こそが最高のモデルだという、うぬぼれと楽観主義が社会全体をおおいました。日本(人)の長所・短所を客観的に考察し、資本主義そのものの大きな国際的変化の趨勢を見極め、日本型資本主義モデルを再構築するという、知的努力は失われてしまったのです。
 ところがいったんバブル経済が崩壊し、日本経済が長期の低迷に陥ると、今度は日本的な経営が全面否定され、アメリカ的経営モデルが無批判に礼賛されるようになりました。しかし、アメリカの資本主義モデルは二〇〇七年に大きく破綻しました。我々は先人の優れた日本(人)論をもう一度ひもときながら、日本型資本主義の目指すべき新たなモデルを考察する必要に迫られているのです。本書がその手掛かりの一つとなれば、筆者としては望外の喜びです。
 なお、本書で述べられている意見は、参考文献から紹介した識者の見解を除いて、すべて筆者の個人的見解であり、筆者の所属する財務省・国税庁の公式見解とは全く無関係であることを、あらかじめお断りしておきます。

 

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