日本人は闇をどう描いてきたか

第八回 九相詩絵巻 ――死体の文学

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第八回は、死体をめぐる絵画と文学作品から。

発心する男

 朽ちてゆく死体のイメージが、中世には数多くの仏教説話を育んだ。なかでも、平安時代中期の天台僧で、三河入道(みかわにゅうどう)と呼ばれた寂照(じゃくしょう、九六二頃~一〇三四)が、九相観を契機に出家したとの伝承は、数多くの往生伝や説話集において同工異曲に語られた。
 その一例が、鎌倉時代初頭に成立した『宇治拾遺物語』第五十九話「三河入道、遁世の間の事」である。

 参河(みかわ)入道、いまだ俗にてありけるをり、もとの妻をば去りつつ、若く、かたち良き女に思つきて、それを妻にて三川へゐて下りけるほどに、その女、ひさしくわづらひて、良かりけるかたちもおとろへて失せにけるを、かなしさのあまりに、とかくもせで、夜も昼もかたらひふして、口を吸ひたりけるに、あさましき香の、口より出きたりけるにぞ、うとむ心いできて、泣く泣く葬りてける。

 先妻をすて、容貌の美しい別の女性を新たな妻として任国へ赴いた大江定基(おおえのさだもと、寂照の俗名)であったが、三河に伴った妻が病死してしまう。愛執のあまり亡骸を葬らずに夜も昼も添い臥し、あまつさえ口づけをする。
 ところが、その口元から悪臭が漂ったことから妻を厭う気持ちが起こり泣く泣く葬った。これに続く部分では、発心(ほっしん)した定基が京にのぼって出家をしたこと、乞食を行っている時に元の妻と邂逅しひどく侮られるも、それを有難いとさえ思う道心の固さであったことが記される。
 女性の美貌に惑わされた男が、死体への接吻というきわどい行為を通じて、身体の不浄に気づくこととなり、発心に至る。元来、自他の肉体に対する不浄を観想するものであった九相観が、中世説話においては、このような男性の発心譚として語られることが主流となる。現存するほとんど全ての九相図が、女性の死体として描かれていることの第一の理由はここにある。

教導する女

 一方で、同じ頃成立した『閑居友(かんきょのとも)』下巻第九話「宮腹の女房の、不浄の姿を見する事」には、ある僧に思いを寄せられた高貴な女性が、僧に敢えて化粧も身繕いもしない姿を見せて身体の不浄を諭した話が載る。以下は、僧の想いに応じる態で里へ下った女房が、対面した僧を諭す場面である。

 この身のありさま、臭く穢らはしき事、譬(たと)へていはんかたなし。頭の中には脳髄(なづき)間なく湛(たた)へたり。膚(はだへ)の中に、肉(ししむら)・骨を纏(まつ)へり。すべて、血流れ、膿汁垂りて、一も近付くべき事なし。しかあるを、さまざまの外の匂を傭(やと)ひて、いささかその身を飾りて侍れば、何となく心にくきさまに侍にこそありけれ。そのま事のありさまを見給はば、定めてけうとく、恐しくこそおぼしなり給はめ。このよしをも、細かに口説き申さむとて、「里へ」とは申侍し也」とて、「人やある。火ともして参れ」といひければ、切灯台に火いと明くともして来たり。

 これに続く場面で、灯台の火に照らし出されたのは――髪は鬼のように逆立ち、日頃は上品に美しかった顔も、青や黄に変わり果てて、足なども元の色ではなく、見苦しく汚く、血がところどころに付いた衣は臭く、耐えがたい姿の女房であった。
 これを見て言葉を失った僧は心を改め、以後は修行に励むのである。ここで女房が示したのが、まさに自身の肉体に対する不浄観であった。女性が主体的に不浄の姿をさらけ出すことによって、僧侶を発心に導いているところがこの説話の要である。
 女性が自力で解脱する可能性は無いに等しいと規定される仏教において、自らの肉体の不浄を自覚し、知らしめる行為を通じて他者を発心に導くという話の構造は、女性にとっての信仰の道しるべとしても機能する。
 ここに登場するのは生きている女性であるが、同様の話型が、後に、檀林皇后や光明皇后といった、貴族社会の頂点にあった女性の九相観説話へと展開する。嵯峨天皇の后であった檀林皇后が、その生前には仏教を篤く信仰し、死に際しては自らの遺体を嵯峨野に曝して人々の愛着の念を断ち切るように遺言したとの伝説で、近世には広く流布した。また同様の話が、主人公を光明皇后に代えて語られる場合もあった。
 つまり、女性の肉体や死体の不浄にまつわる説話は、単なる男性の発心譚、出家譚としてだけではなく、それを誘発する信仰心に篤い女性の物語としても理解されていたのである。
 男性である修行者が、あくまで他者として女性の死体をまなざすのに対し、女性は、九相図の中に自己を見出す。

小野小町伝説と九相図

 九相図と女性を結びつけるもう一つの話型として、小野小町零落譚がある。先に見た『閑居友』同説話の後半部分では、九世紀頃に活躍した女流歌人で、絶世の美女であったと伝えられる小野小町が、晩年には容姿も衰え貧窮のうちに没落したとの伝説を引き合いに出して、女性の美貌の儚さを説いてもいる。

 はなの色はうつりにけりないたづらに、わが身世にふるながめせし間に

 とは、百人一首に採られた小野小町の有名な和歌である。花の季節の終焉に自身の容貌の衰えを重ねたこの歌が、小町の美女零落譚とともに世に喧伝された背景には九相図からの影響もあったであろう。
 そして、女性の肉体や死体をめぐって派生した説話や和歌は、九相図の造形そのものにも大きな影響を及ぼしつつ、中世後半には、文学と九相図との結びつきがいっそう進展する。

九相詩絵巻の登場

 室町時代に、北宋時代の文人蘇東坡(そとうば、一〇三六~一一〇一)に仮託される九相詩と、九相を詠んだ和歌を詞書に持つ「九相詩絵巻」が成立した。以後、中・近世を通じて数多く制作されたが、現在までに確認されている最古の作例として、巻末に文亀元年(一五〇一)の銘を伴う、九州国立博物館本がある。

 
【図】 文亀元年銘「九相詩絵巻」第五噉食相(九州国立博物館蔵)
画像出典:九相図資料集成―死体の美術と文学(2009年、岩田書院)

 ここに掲げた噉食相(たんじきそう)には、詞書として以下の漢詩が詠まれている(図版・上)。

野外(やがい)人稀にして何物か有る。
(しかばね)を争う猛獣、禁(いまし)むるに能わず。
(あした)に肪脹(ぼうちょう)爛壊(らんえ)の㒵(かたち)を看、
(ゆうべ)に虎狼(ころう)噉食(たんじき)の音を聴く。
飢犬(きけん)吠嘷(べいこう)す喪斂(そうれん)の地。
貪烏(どんう)群集す棄捐(きえん)の林。
今生(こんじょう)の栄望(えいぼう)は夢中の夢。
是に対して豈(あに)慚愧(ざんき)の心無からんや。

 さらに、画中には二首の和歌を散らし書きにしている(図版・下)。

とりべやまあらそふ犬の聲きけば、かねてうき身ぞをき所なき
是を見て身はうき物とおもひしに、なにの情かこれにあるべき

 伝蘇東坡作「九相詩」は、伝空海作「九相詩」と語句が重なる箇所が複数あり、空海本を改作して室町時代の日本で作られたものと見られるが、空海本以上に、九相図という絵画的世界に寄り添いながら、死体の変化を丹念に詠んでいる点に特徴がある。また、各段に二首ずつ、全部で十八首ある和歌が、漢詩を巧みに詠み継ぎ、そこに和漢朗詠(わかんろうえい)の体裁を整えた典雅な文学世界が出現している。
 絵は、「九相図巻」(九州国立博物館蔵)や「人道不浄相図」(聖衆来迎寺蔵)に描かれていた九相図の伝統的図像を受け継ぎながらも、生々しい迫真性は薄れ、みずみずしい緑に囲まれた美しい女性の死体が土に還っていくという、耽美的ともいうべき情景へと変換されている。漢詩と和歌とともに九相図を鑑賞する「九相詩絵巻」という形式によって、死体の美術と文学に、新たな魅力が加わることとなり、江戸時代に入ると同じ形式の版本や掛幅へも展開して広範に流布していく。

死体の図像が喚起するもの

 九相図は男女の間の複雑な視線の交差を促す図像として、また生と死、浄と不浄、永遠と無常のあわいを浮き彫りにする図像として、見る者の心をゆさぶる。肉体という、命を容れる器の有限性について知ることは、人間のあらゆる思考を加速させる根源的な力をもたらす。
 かつて日本には、女の腐る死体という壮絶なモチーフを介して育まれた、豊饒な美術と文学の世界があった。

関連書籍