単行本

紀行文学の、豊かな味わい ―旅先で僕らが考えたこと

四方田犬彦『土地の精霊』刊行記念対談

紀行文学の愉しみ

鹿島 『土地の精霊』をたいへん面白く読みました。僕は普通の人よりは旅行に行っていると思うけれど、この本で四方田さんが旅された国の数には遠く及びません。久しぶりに紀行文を読む楽しみを味わいました。この本を読んでいると、いろんなところに行った気分になります。考えてみると、最近、紀行文ってあまりないんですね。誰でも海外旅行に行ける時代になったことと関係しているかもしれないけど、紀行文学というジャンルに面白い作品がそんなに生まれていない。

 あと、四方田さんは宗教学科卒だったことを思い出しました(笑)。というのも、霊気が感じられる場所を選んで訪れている。霊地巡りというか、本当に宗教的なものを感じられるところばかりを歩いていますね。

 最近、宗教というのはどこから出てくるのか、それを考えています。ひとつは、人は死すべき存在であり、それを意識化してしまうと、どうしても不安になるから、超越性にあこがれるということ。しかし、それだけではない。やっぱり、土地が宗教を生み出すという要素も非常に強い。宗教の多様性は、土地にかなり影響されている。この本を読むと、そういうことが本当によくわかるね。土地を媒介にして人間の多様性・同一性がクロスする。それがとても面白かった。

 この本でとりあげられている街のなかで僕が行ったことがあるのは、なんと二カ所しかない(笑)。パラオとホーチミン。

四方田 以前、鹿島さんはパラオについて「古本屋がないから駄目だ」って書いてたよね。

鹿島 いや古本屋どころか本屋もない(笑)。本屋はスーパーマーケットの一角にあるだけで、土産物屋も何もない。でも、パラオは非常に気に入った。今は日本からの直行便がなくて、サイパンから乗り継がなきゃいけないからアクセスが悪いんだけど。(編集部注 現在は成田空港からの直行便が就航しています)

四方田 パラオ全国民の悲願は、羽田から直行便が出ることだと、現地の人がそう言っていました。

鹿島 印象に残っているのは、山の上のほうにあるホテル・ニッコー・パラオ。僕が行った時にはもうなくなっていたけれど、あのホテルはパラオであるにもかかわらず、山の上にある。ホテルから見える景色は絶景で、島が全部見渡せる。それと驚いたことに、ホテルの横に高射砲陣地がまだ二つほど遺っていること(笑)。

四方田 そこには日本軍がいた。

鹿島 高射砲で一番高いところから米軍機を狙っていたんだけど、パラオは飛び石作戦で飛ばされたから、全然役に立たなかった。激戦地になったのはペリリュー島。

四方田 パラオの場合、激戦地になったのは特定の島だけで、民間人はほとんど死んでいないんです。民間人は、別の島に住んでいたから。僕は沖縄での激戦のことを考える時、パラオと比較する。日本はこの両方を統治していたわけです。沖縄では民間人が巻き込まれて、大変なことになった。だから現在でも、内地に対する反応は非常に複雑ですよね。一方でパラオの場合、激戦地になった島と民間の人が住んでいた島は離れていた。だから、民間の人にはほとんど被害がなくて。そのあとアメリカが統治するんだけれど、結局一九九〇年代に独立する。パラオは世界に先駆けて、非核憲法をつくったことでも知られている。しかも非常に親日的です。沖縄はパラオとはまったく逆。沖縄は戦後、アメリカに統治されていたけれども独立できず、日本に「返還」されてからも非常にもめている。パラオには米軍基地がないんですよ。グアムもサイパンも米軍だらけですけど、パラオにはまったく米軍がいない。

 

旅先の病気は「消費税」

鹿島 これを読んで思ったのは、四方田さんは腸が丈夫なのかな、ということです。僕はいろんなところで食あたりをおこしてばかりです。まず中国の北京であたって、上海であたって、ホーチミンであたった(笑)。ホーチミンでバイク・タクシーの運転手が、チョロン(ショロン)のマーケットに連れていってくれたときに、そこで食べたものにあたってあわや入院というところまでいきました。

四方田 チョロンとは中華街のことですね。

鹿島 ええ、フランス統治下に出来た、レアールみたいな巨大マーケットがあるところです。もちろん冷房なんてないからものすごく暑い。卵が積み上げられているけど、雛が孵っちゃうんじゃないかと思うぐらい暑い。バイク・タクシーの運転手が「ここにベトナム春巻きの美味い店があるから、おごってやるよ」って言うから一緒に行ったんだけど、見た瞬間に「これを食べたら、絶対にあたるな」と思った(笑)。

四方田 それで食べたの?

鹿島 食べた。

四方田 わかってて食べるんだ(笑)。

鹿島 そうしたら、やっぱりあたりましたね。ほとんどロシアン・ルーレット状態。

四方田 でも暑くて疲れてたら、あたらないほうが不思議ですよね。僕は、旅先で病気になるのは、そこで「消費税」を払うようなものだと思っています(笑)。一カ月旅行して二日ぐらいお腹壊すんだったら、八パーセントの消費税を払っているような感覚に近いです。

鹿島 食あたりは織り込み済みにしなきゃいけない(笑)。

 ベトナムに日本人がやっている雑貨屋があって、そこのオーナーの話を聞いてたら、とても面白くてね。「ベトナムに暮らしていて、病気にかかったことはないの?」って聞いたら、「ええ、ありますよ。コレラとデング熱」って(笑)。よく助かったなと思って(笑)。

四方田 信じられない(笑)。

鹿島 「ベトナムの人って下痢しないの?」って聞いたら、「いやぁ、みんな年中下痢してるみたいですよ」と言う。現地の人には耐性があるのかと思ったら、そうでもないんだね。

四方田 タイの大学の先生が学会で日本に来た時、「日本の水は合わないから、すぐ下痢しちゃうんですよ。タイの水は平気なんですけど」と言っていた。だからどっちの水がいいとか悪いとか、そういう問題じゃないのかもしれませんね。

鹿島 水は慣れるもんですね。僕も最初にフランスに行った頃は下痢しました。最近は水道水を飲んでも、ほとんど下痢しないようになったけど。

四方田 旅行では、日頃歩いてない人間がけっこう歩くじゃないですか。だから、街歩きっていうのはスポーツだと思ったほうがいいですね。身体の調子が悪いと、旅行に行く気にならない。ネルヴァルが、次のようなことを言っています。「ちょっと精神的に治ったと思うと旅行に行く。旅行に行って帰ってくれば、完全に治ったと証明される」。まさにそんな感じがありますね。

 僕は数年前に病気をしたあと、脳外科医に「一生の間、飛行機に乗っちゃいけない」と言われました。その時にはガクッと来たんだけど、体調がだんだん良くなってきたら、主治医から「寒い国ならいいですよ」という条件つきでお許しがでた。そこで僕が「オスロ大学に呼ばれているんです」と言ったら、「それはいいですね。あそこは寒いから、熱が出ても冷えるし」と(笑)。それでオスロ大学に行ったんです。しかも二月から三月。雪の中で二カ月暮らしても大丈夫だった。オスロから帰ってきた時に「ああ、自分はもう大きな病気を乗り越えたんだな」という自信がつきました。

鹿島 僕もパリに行くと、すっかり元気になって帰ってくる(笑)。結果的に歩くからね。

 

たくましすぎる日本人女性

四方田 日本人の場合、海外へ行っても男は必ず帰ってくる。一方で女は、まず半分帰ってこない。「あっちで火で焼いた食べ物を食べたら、もうもとの世界には戻れません」と言ったイザナミじゃないけど、とにかく女性は海外でたくましく生きているんだよね。僕はだいたい、そういう奴のところにちゃっかり居候することが多い(笑)。この本でも紹介しているとおり、彼女たちは結婚しているんだけど、旦那はわりとおとなしくて彼女のことを崇拝している。あるいは生活力がなくて、彼女に頼っている。とにかく、日本人のカミさんのほうが仕切っているパターンが多いね。

鹿島 そういう人だとコネクションをたくさんもっているから、いろんな人を紹介してくれる。だから面白い。四方田さんの本を読んでいても、そう思いました。

四方田 まあ、だいたいそうやってたどっていってタダで泊まることが多いね。

鹿島 女性はみんな、本当にたくましいよね。日本人の男で留学したきり帰らなかった人は、どことなくしょぼくれてるんだけど(笑)。

四方田 森外の時代から、日本の男は海外へ箔を付けに行く。三年間ぐらい大学や下宿で孤独に耐えて帰ってくると、博士や大臣になれる。それで行くわけです。一方で女の場合、「日本にいたってどこにいたって同じよ!」っていう感じです。だから、「女は大地に根ざす」っていう言葉は嘘だと思うね。

鹿島 四方田さんは日本と韓国の状況とアイルランドとイングランドの関係を比較的に見ています。これが面白い。僕もアイルランドには行きたいと思っているんだけど、なかなか機会がなくて……。

四方田 アイルランドはいいですよ。人がすごくいい。リヴァプールから船で一晩かけて行くと、そういうことがよくわかります。この本にも書いたんですけど、リヴァプールまで汽車に乗り、タクシーで埠頭まで行くわけです。そうしたらタクシーの運転手が「あなたは何をしにドゥブリン(ダブリン)に行くんだ? あいつらに英語でも教えに行ってやるのか」って言うんですよ。

 夜の九時頃、港から船が出る。僕は席についてボーッとしていると、乗船客のおよそ半分がバーッと甲板に向かって駆けだすんです。それを残りの半分ぐらいが「バーカ」っていう感じで眺めている。「あれは何だ?」と尋ねたら、「パブが開くと、ギネスビールが飲めるんですよ」。アイルランドの連中はリヴァプールからダブリンに行く船に乗ったとたんに、「ここはもう自分の国だ」と思っている。九時にパブが開くっていうので、すごい行列ができるんです。ギネスなんて、翌日からいくらでも飲めるのに(笑)。イギリス人はそれを冷やかに見ている。

 日本でも、それとまったく同じことがありました。僕のカミさんは高松の人間なんですよ。昔は瀬戸大橋がなかったから、岡山から『けんかえれじい』(鈴木清順監督、一九六六年)の舞台になっている宇野までチビ電車に乗り、そこからフェリーに乗って高松港まで行く。そのフェリーがまたすごいんですよ。カミさんと一緒に行くと、彼女はさすがに非高松人である僕といるから冷静さを保っているんだけど、船が出ると、みんながバーッと駆けだしていって船の中のうどん屋に入る。「この船に乗ったらもう高松だ」っていうことらしい。そのうどんはたいしたことがないんだけど、みんなが食べる。だから『海辺のカフカ』じゃないけど、アイルランドと高松ってほとんど同じなんじゃないかと(笑)。

 

海外で同胞に遭ったとき

四方田 お店でご飯を食べている時に、周りのテーブルの会話が聞こえてきますが、日本語だと会話が理解できちゃう。それが僕は嫌なんです。だからなるべく言葉が通じない国に行って、適度な無関心の中に置かれるのが一番好きなんです。ニューヨークだと英語だから、何となくわかっちゃう。フランスだと言葉がよくわからないからいいし、モロッコだともっといい。なんか、置き去りにされている感じが好きなんですよね。自由というか。日本だと、聞きたくない話とかいっぱいあるでしょ。

鹿島 それはあるね。僕はTGV(フランスの高速鉄道)ができたばかりの時、ちょうどモンペリエに二カ月半いて時々パリに出ていた。TGVの中での会話はほとんどフランス語だから、よほど神経を集中しないかぎり理解には達しないんだけど、そこにたまたま日本人の女の子が二人乗りあわせていたことがある。彼女たち、五時間ずーっと話し続けているわけ。あれは拷問だったな(笑)。

四方田 誰も聞いていないと思うから、あけすけな話をするんだよね。それ、嫌だね。旅行先でせっかくいい気分でいる時、自国民と出会ってしまうと、なぜ嫌な気分になるのか。それについてはニーチェが書いているね。ニーチェは明るいイタリアが大好きなんだけど、そこで野蛮かつ糞の匂いのするドイツ語が聞こえてくるから、すっかりぶち壊しになってしまう。ドイツ人はイタリアが好きで、観光客は大声で何やら話している。なんでドイツ語を聞くと、嫌な気持ちになるのか。俺はドイツ語圏のスイス人だけど、旅先にドイツ人がいるだけで不愉快だと。日本人が外国に行って日本語を聞くといらだつって言うけど、それは日本人だけじゃないのね。

 でも僕がフィリピンでそういうことを話したら、次のように言われた。「えっ、そんなこと考えられない。フィリピン人は世界中どこに行っても、タガログ語が聞こえてきたら「友達!」と思う」。とにかく外国でフィリピン人を見ると、ほっとするんだって。そこで「今どこに住んでるの? いくらの家賃のところにいるの?」と情報交換するらしいのです。

鹿島 フィリピン人の社会って、どこに行っても互助システムで動く。日本にある大使館・領事館の下働きの人はほとんどフィリピン人らしい。どこの大使館でも、運転手や下働きの人はほとんどフィリピン人。以前、ドイツ大使館に招かれて食事したんだけど、サーバーはみんなフィリピン人だった。イタリア大使館に行っても同じだった(笑)。

 香港の九龍城砦があったところが公園になっているでしょう。あそこに行くと「ここはフィリピン租界じゃないか」と思うぐらい、女中さんたちが情報交換のために集まっている。

四方田 日本人はそういうふうにはならない。日本人はどこの国に行っても勝手にあちこち行っちゃうから、日本人村みたいなものをつくらない。一方で韓国人は、自分たちだけで固まる。ニューヨークに行ってもそうだし、日本でも新大久保などで「同胞のところで飯を食う」と言っている。フィリピン人はもっとすごいね。

鹿島 エマニュエル・トッドによれば日本人も韓国人も直系家族に分類されるんだけど、日本人には南方系の血が四分の一くらい入っているから、直系家族の詰まりがちょっとゆるやかなんだね。でも韓国人は済州島の人たちを除いて全員直系家族だから、しばりが厳しい。直系家族は必ず、自分たちとそれ以外に分ける。ドイツ人がそうでしょ。だから韓国人にはもともと、そういう傾向が強いんだよね。

四方田 ぼくは現在、一年の先ず三分の一は外国にいるのだけれど、これは無意識的に亡命の場所を探しているのかもしれませんね。実をいうと観光ということにはあまり興味がないんです。ただ「外側」にいるという状態が好きなだけかもしれません。

(二〇一五年十二月十一日 筑摩書房にて)

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