ちくま文庫

「生きること」のトレーニングをめぐる思考実験

岩城けい『さようなら、オレンジ』

 この小説はオーストラリアの田舎町を舞台としている。その町はアングロ・ケルティック系の住民が多く、Mcがつく苗字だらけだ。本文では、ふたつのパートが交互にあらわれる。

 奇数番目のパートは、サリマという若いシングルマザーを視点人物として、三人称で語る。彼女は二五歳のとき、政情も経済も不安定なアフリカのある国から、難民として夫とふたりの息子とともにやってきた。夫は妻子を置いて出て行った。

 サリマは未明から午前中いっぱい、スーパーマーケットで食肉や魚介類を捌く。帰宅後、子どもたちを迎えに行く前に、職業訓練学校の英語クラスに通い始めた。教室にはイタリア人主婦や、東洋人の女がいる。地の文で、前者は肌の色からオリーブと呼ばれ、後者は硬い直毛からハリネズミと呼ばれる。

 オリーブは在豪三〇年で夫は現地人。会話は自己流で支障ないが読み書きが苦手だ。逆に、ハリネズミは口数は少ないが読み書きはそこそこできるため、先生の助言にしたがって〈ダイガク〉に移籍していく。二年がたって、サリマは職場のチーフになっていた。そこにハリネズミが新入りとしてやってくる。

 偶数番目のパートは、〈ジョーンズ先生〉に宛てた手紙だ(夫婦連名で知人たちに一斉送信された英文の短い報告メールが、二回だけ挿入される)。

 手紙の書き手はジョーンズ先生に英語のクリエイティヴライティングを添削してもらっている日本人女性Sayuri Itoだ。当地の研究機関の契約メンバーとして応用言語学を研究している夫と、生まれて間もない娘と暮らしている。夫は学問上の用事でしょっちゅう他国に出かけている。経済面でも感情面でも、生活はうまくいっていない。

 職業訓練学校の英語クラスで、〈スーダンかソマリアあたりの難民〉ナキチと、〈成人した子供さんたちが三人〉いるパオラと知り合うが、その後、大学の英語コースワークへ、さらに文化研究へと所属を変えていく。そして小説の前半で、幼い娘が命を落とす。彼女はスーパーで働き始める。

 娘の死は夫にとっても同じく不幸なはずだが、それを報告するSayuriが夫に心を閉ざし、彼をほとんど排除しているから、手紙のなかで夫はストーリーの蚊帳の外に置かれている。娘の死後、彼女は自分を〈正しくもなければ価値もない〉と断じ、〈私という人間の存在そのものをかぎりなく憎悪します〉と先生に書き送る。

 なにをこじらせているんだこの女は。もともと自他と世界を呪う、僻みっぽい人なのだ。娘が死んだからこうなったのではない。人生間違っちゃったこのSayuriがどのようにして再生するか。また三人称パートのサリマがどうやって居場所を切り開いていくか。この興味に引かれて、この二声の小説の後半を読んだ。

 それでも、前半のSayuriの恨み節にうんざりして小説を放り出さなくて、ほんとうによかった。彼女の手紙がいわゆる「主語が大きい」状態でテーマ性剥き出しなのも辛いし、再生のきっかけが第二子誕生というのも正直甘い動機づけ(これでは彼女の幸不幸は外界の事情任せのままではないか)だけど、最後まで読むともう全部オッケーだと思えてしまった。

 というのも、ラスト四ページで明かされる仕掛けが、この小説全体の存立根拠を照らし出した瞬間、不覚にも息をんでしまったのだ。ネタバレは避けるけど、仕掛けとしてはシンプルだがかなり周到です。そして僕には効いた。こういう手口ホント好きなんですよ僕。

 Sayuriの夫は影が薄いけど、その専門である応用言語学(言語の習得・教育の科学)は、作品のエンブレム的な役割を果たしている。そういえば、Sayuriの階下に住むトラック運転手は英語を母語とするのに字を読むことができないし、サリマのスーパーの現場監督は別件で職業訓練学校に通っていたっけ。この小説は、異言語だけでなく「生きること」全体のトレーニング=「生」の習得をめぐる、ひとつの思考実験だったのだ。

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