考える達人

第5回 「ちょっと待てよ。人の話を簡単に信じるな」
若林恵さん:前篇

予防医学研究者の石川善樹が、これからの時代を生き抜くためには何をどう考えることが必要かを、9人の賢人と会って話し合う。 必要な能力として、直観・論理・大局観、ジャンルをアカデミック・ビジネス・カルチャーに分け、それぞれの交わるところの達人に お話をうかがっていく連載。3人目のゲストは、「直観×カルチャー」の賢者、若林恵さん。「自分の敵は、経済の倫理 。指標は一つではない」というカルチャーの番人が、石川さんをどきっとさせます。
 

若林恵(わかばやし・けい) 日本版『Wired』編集長。1971年生まれ。フリーエディタ ー/ライター。平凡社『月刊太陽』編集部を経て2000年に独立。カルチャー雑誌で記事の編集、執筆に携わるほか、書籍・展覧会カタログの企画・編集も数多く手がける。音楽ジャーナリストとして音楽誌に寄稿するほか、ライナーノーツの執筆、音楽レーベルのコンサルティングなども行う。2011年より現職。


●シリコンバレーのイノベーションって、なんかムカつく

石川  僕は、若林さんが人を固まらせる場面を何度も見ているんです。誰かが自説を披露した後に、若林さんから予想外の質問を受けて固まってしまう。それだけ若林さんの視点は斬新なんですね。いったいどうすれば、そういう新しい視点で物を見ることができるんですか。
若林  新しいのかなあ。あまり意識したことないですけどね。ほら、『WIRED』で関わるようなビジネスやイノヴェイション界隈の人たちって、ど文系でカルチャー畑のぼくからするとものすごく異質で、「なんでそうなってんの?」っていうようなことが普通にたくさんある、っていうことだけなんじゃないかって気がします。そっち方面の人には新しいかもしれないけれど、人文とかカルチャー方面では普通に言われてそうなことをなぞってるだけだったりもして。どちらが正しいということもないとは思いますけど。
石川  僕は福岡で若林さんと初めて会ったんですけど、その時「シリコンバレーのイノベーションって、なんかムカつくよな」と言っていて(笑)。
若林  えー。そんなこと言ったっけ? 本当に?
石川 「あれだけじゃねえだろ」と。
若林  まあ、でも世間的な感覚で言っても、グーグルだフェイスブックだ、みたいな話ってムカつきはしなかったとしても、うさんくさいという思いはあると思うんですよ。アップル信者ってマジ鼻白むんですけど、とか(笑)。
石川  みんなが一方向を向いているときに、若林さんはすごく早い段階で「みんな、こっちばかり見てるな」ということに気づくんですよ。
若林  どちらかに振れるのは好きじゃない、というのはあると思います。天秤座で、AB型なのでバランス取りたくなるんですかね(笑)。
石川  いろいろな物事を見て、「ちょっと待てよ」と思うことは多いですか?
若林  うーん。「これおかしくない?」って怒ることは多いですね。
石川  最近気づいたんですけど、直観型の人って「ちょっと待てよ」と思うことが多いんですよ。みんなと同じものを見ても、違うふうに見えてしまう。
「よい科学とは、みんなが見ていることを違った見方で見ることだ」という言葉があるんです。みんなが見ているものに対して「ちょっと待て」と思う。そして「そもそもそれって何なのか」と考える。前回の岩佐文夫さんもそうだったんですけど、編集者というのは、人とは違った見方をすることがすごくうまい気がするんです。
若林  それはあるかもしれないですね。ぼくが最初に入った出版社でなににまず驚いたかというと、先輩編集者の方々がみんなめちゃくちゃひねくれてるんですよ(笑)。ぼくなんかは、ほんとに素直ないい人で(笑)。編集者って物事を批判的に見ることが大事な職業なんだという教えはそこにはありましたね。でも、ひねくれてるばかりじゃダメで、ある種のミーハーさも必要で、そこのさじ加減が、おそらく編集者の個性ってことになるのかな、と。なんにせよ、最近は、もうちょっとみんな批判的に物事を見たり聞いたりしようよ、とは思いますね。人の話を簡単に信じすぎなんじゃないかって。一般論として。

●直観にも正解はある

石川  少し前に問題になったDeNAのようなキュレーションサイト(「WELQ(ウェルク)」というヘルスケアサイトに、ネット上で集めただけの信憑性の低い情報が書き込まれ、炎上して閉鎖された事件)は、ある意味では、論理的につくられているんですよ。パターンAとパターンBをつくって、一定期間にPVを多く集めたほうを採用する。でも若林さんのような編集者は、自分の直観との整合性を常に探っているわけですよね。
若林  直観って、言葉としてはそうなんですけど、それって必ずしも主観的なものじゃなくて、感覚的には客観的な正解があるって感じなんですよね。以前、VICE Media Japanの人たちが、雑誌のデザインについて「カチッとはまる瞬間というのは、あるよね」と言ってたんですけど、その感じは僕もわかるんです。それは、原稿にタイトルを付けるみたいなことでも、デザインでもいいんだけど、やっぱり「正解」と呼べるものがあるんですよね。しかも、それは客観的に「正解」だという感じがあるんです。
石川  ロジックではないけれど、客観的な正解があると?
若林  うん、じゃあ誰にとって客観的なのかというと、具体的な市場とか読者ということでもないんです。もちろん雑誌を作るうえで、読者を想像するというプロセスは当然あるんですけど、それに適合するから正解という話では全然なくて。自分のなかにある社会と繰り返し対話しながら正解を探っていくような感じです。
石川  マーケティング的な正解ではないわけですね。
若林  主観と客観とか、個人と社会とかっていう二元論って、それ自体が間違いな気がするんですよ。それって明確に分割できるようなものではなく、むしろ複雑に絡まりあってるもののような。つくりたいものをつくりたがる「主観」ってものと、売れた売れないの数値化可能な「客観」ってものが対立しあうって、どこにでもありがちな話なんですけど、ものをつくるって、そんな単純なことじゃないんですよね。つくるという行為そのものが、主観と客観を行き来するような作業であるというようなもんじゃないかって気がしてて、西郷信綱っていう国文学者の本をこないだ読んでたら、客観と主観、もしくは個人と社会というものは、互いに「包みあっている」というようなことが書かれていて、とても腑に落ちたんです。

●自分の観客はどのくらいいるか

石川  今の話を聞いていて浮かんだキーワードは“wonder”です。“wonder”がある人は、何かに引っかかって「ちょっと待てよ」と立ち止まる。研究者は“Start with wonder”、つまり「まずは自分の中を探れ」とすごく言われるんですよ。先に論文を見てしまうと、何も感じられなくなる。“wonder”が生まれてこないんですね。外の世界を知ってしまうと、あらゆる研究がされ尽くしているように思えてしまうんです。
若林  それはそうですね。自分も本屋に行くと、「自分がここに付け足すものは何もない」って気分になって落ち込むので、行かないようにしてます。足を運ぶとしたら、古本屋がいいです。
 90年代に、『月刊太陽』って雑誌の編集をしていたときのことを振り返ってみて、改めて面白いなと思うのは、80年代には「衣」のブームはだいたい終わって、90年代に入ると「食」のブームになるんです。90年代の初頭に和食の特集があって、その後、フレンチブーム、ついでイタリアンブーム、そしてワインブームがあって、それが飽和すると、今度は90年代の終わりごろから「住」がクローズアップされるんです。『BRUTUS』がおそらく火つけ役だったと思うんですけど、インテリアと住宅の特集がわっと出てくるんです。きれいに「衣食住」の順番になってるんですけど、それを順に消費していったあと、正直言って雑誌は「次はなんだ」っていう部分で、新しい基軸を打ち出せなくなって、縮小再生産を繰り返してるという感じになっちゃったように思うんです。企画の差別化や細分化がどんどん進行して、最後はコモディティになって情報価値が胡散霧消するという流れです。で、そのあとにウェブがどっと肥大化するんですが、こうしてみると、ウェブが一般化した頃には、ある意味その手の情報消費はすでに終わってた、という気がしなくもないですね。
石川  流行のテーマがどんどん細分化していく点は、研究とよく似ていますね。
若林  全部出尽くしたと思われたときに、どうやって企画をつくるのかということは、ぼくらの課題でもあるんですよね。イノベーション、イノベーションって言われてますけど、要は既存のものをこれまでと違う感覚で再編成するとか、新しい問いを立てるといったことが必要になってくるところは、出版でもサイエンスでも、どの業界でも共通の課題なんじゃないですかね。そのなかで必要なのは、単にポジティブなそれではなくて、どっちかというと否定性をもったワンダーなんじゃないかって気もします。って、これも西郷信綱さんの「否定的創造力」って言葉の受け売りなんですが。
石川  売れる・売れないは考えないんですか?
若林  自分の場合、自分がつくるもののお客さんって、だいたい1万5000人から2万人ぐらいだろうってはなから思ってるんです。ある時期から「それでいいや」と思っているので、そこから上の数字の話にコミットしようという気もあまりない(笑)。
石川  自分の観客がどれぐらいいるのか、というのはめちゃくちゃいい問いですね。若林さんの場合、10万、100万と売れてほしくはないんですか。
若林  売れてはほしいですけど、そもそも100万部の本や雑誌の作り方、知らないので(笑)。その理由は簡単で、そういう本や雑誌に基本的に興味をもったことがないのでそれがどういうものかを知らないし、知る気もあまりない。いま雑誌をつくってて毎号校了するたびに、今号は風が吹くかなと一応期待はするんですけど、ほぼ期待外れ(笑)。
石川  次号(29号)の特集はアフリカですよね。これは風が吹きますか?
若林  どうでしょうねえ。吹かないと思っておく方が、あとでヘコまなくて済むので、まあ、期待しつつしない、という感じですかね。でも売れることをゴールにすると、多分間違うと思うので、売れた数に振り回されないようにした方がいいとは思うんです。そもそも本や雑誌には刷り部数っていうのがありますから、売る前に予測を立てて、その予測に届かないとビジネス的にはアウトなので、まずは案件ごとにそこに到達してりゃいいじゃんて思ってます。出版って全部が全部が100万部を目指さなきゃいけないというゲームではないですし、誰かがひとり勝ちするなんてことも原理的にないですから。それよりもひとりの読者の人生を変えるほうがうれしいですかね。「『WIRED』読んで会社をやめました」という読者ってたまにいるんですよ。そういうのは率直に嬉しいです。

●経済と文化を拮抗させるにはどうするか

石川  なるほど。自分の仕事にとって成功とは何かって、数値目標を外すとなかなか思い描きにくいですよね。どうしても、今年が1億なら来年は2億だと、成長モデルで考えたくなるじゃないですか。
若林  指標が一個しかないのって変じゃないですか。ウェブメディアってうっかりするとそういう一元的な価値指標しかないゲームになりがちですし、デジタルのビジネスって勝者独り占めの価値観が強い世界ではあるので、それに巻き込まれやすいんですが、100万PVより1000万PVのほうが偉いってことを頭から信じて疑わないってのは、やっぱりバカですよ(笑)。物事には適正規模ってのがあるわけですから、適正な成長ってものをどうして思い描けないのかって思いますけど。
 それに、マーケティングの数値は市場価値の指標でしかなくて、市場価値ってのは、あるプロダクトの価値の一側面でしかないじゃないですか。社会的価値、文化的価値などが、あらゆるものにはあると思うんですが、それって数値化されないので、横着な人は「見えないんだからないんだ」ってしちゃうんですよ。そんなばかな話あるかって思うんですけど、自分に判断基準がないから数字だけをあてにしちゃう横着者が世の中に増えて、うっかりそういうのが出世しちゃうと、責任逃れの実証主義がさらにまかり通るようになっちゃうんですよね。なので、そういう数の論理というか悪しき客観主義に対して、文化的なものをどのように拮抗させうるのかということを、ある意味『WIRED』を通して、ずっと考えてきたという思いはあるんです。
石川  若林さんにとって、経済の論理は敵だと?
若林  言うとマジかっこ悪いんですけど、まあ、そうですね(笑)。てか、それしかない、ってのがイヤなんですよ。なので、その状況にどういう理屈をもってしたら対抗できるのか、というのは、おそらく自分のなかのテーマかなとは思います。これは逆に言うと、音楽とか詩とか美術とかの価値は、これだけ経済ってものがドミナントになってしまった日本において、どう擁護できるんだろうってことですね。ティーンエイジャーだった頃からそういうカルチャーが世の中で一番面白いと思って生きてきたので、そういうものが軽く扱われるのが許せないんですよ。これはもう、半ば生理的に。
石川  文化的な指標があればいいんでしょうか。どれだけ文化を豊かにできたのかとか、どれだけの会社員をやめさせたのかとか。
若林  カルチャーの影響の測定って、まずタイムスパンの設定ができないんですよ。雑誌読んで会社辞めるヤツがいるかもしれないけど、それが明日なのか、10年後なのかわからないじゃないですか。20年後に成功した誰かが自分がここにあるのはあの雑誌のあの記事のお陰だった、と思ったりしたとしても、それは20年経ってみないとわからないし、本人がそのことを意識化しない可能性だってあるわけですよね。だから、文化の仕事って、結果をもって贖われるという期待を原理的にもてないものなんだと思うんです。
石川  成果という考え自体をしにくいわけですか。
若林  そうだと思います。格好よく言うと、それって人の心に種を植えるようなもので、それが育つかどうかはぼくらの埒外、管轄外なんですよ。つまりそれを刈りとることは自分にはできないっていうことでもあるわけです。
じゃあ何がモチベーションなのかというと、結局は仕事そのものなんです。たとえば記事タイトルを四苦八苦して考えるにしても、「このタイトルのほうが売れる」という発想ではないんですね。それよりも、自分のなかでしっくり来る正解をちゃんと探したいという気持ちのほうが強い。
石川  内的な欲求を持てるかどうかが原動力なんですね。それもまた“wonder”や直観につながってきますね。

●特集内容をプレイリストで伝える

若林  直観て話でいえば、今回の特集のために、アフリカに3人の編集部員を送り込んだんです。取材にいく場所は決めて、およその概要は伝えはしたんですが、彼らとしては、この特集がどういうコンセプトで、どういうメッセージをもつものになるのかを知りたいわけです。
石川  単に「アフリカ」だけだと、イメージはわきづらいですね。
若林  キーワードが欲しいんですよね。でも、なんかあらかじめ決めたキーワードに沿って、今アフリカを取材するのってなんか違うなあって気がしたので、とりあえずプレイリストをつくったんです。「こういう感じの特集にしたいかなあ」って(笑)。
石川  プレイリストって?
若林  自分が知ってる範囲で、いまどきのアフリカ音楽の曲のプレイリストを渡して「これ聴いといて」と。それを聴きながら「なんかこういう感じ」の人とか場所を探して取材してくれたら、それでいいかなって。
石川  直観的な伝達方法ですね。
若林  そういうことって、ほんとはもっとやるべきだと思うんです。つまり、いまキーワードって言いましたけど、視覚情報も聴覚情報も、ことばにできないなにかを伝えられるから意味があるんで、それは、ビジュアルはことばの従属物ではないし図説じゃないはずです。たとえば今、ブロックチェーン(ビットコインの取引履歴)をどういう気分・色調で伝えるのかということは、情報伝達という意味においてすごく重要なはずです。それは視覚言語だけじゃなく、聴覚でも伝えられるんじゃないかって思ってて、『WIRED』では、もっとそういうことをやりたいんですよね。
  だいたいIT関連のヴィジュアル表現て、昔から全然更新されてないんですよ。黒バックにポリゴン(コンピューターグラフィックスで作図する時の多角形のこと)みたいな80年代の延長線の表象で完全に止まってて、古い未来感のまま。これ、むしろ過去じゃん、って(笑)。つまりイメージの更新がないんですよね。
 そういえば、この間、藤倉大さんというロンドンで活躍している現代音楽家が「『WIRED』の記事を読んで、マイクロバイオーム(微生物叢)をテーマとした曲をつくったんですよ。」と言ってました。そういうの面白いな、と。
石川  マイクロバイオームが音楽になったわけですか。
若林  9月に初演されるはずなので、どういうものになっているのかわからないんですが、研究者に会いに行ってリサーチしたそうなので、単なるイメージ操作以上に、もうちょっと踏み込んで、微生物の構造と音楽の構造とを出会わせるようなものになってると思うんです。そういうのって面白いじゃないですか。
石川  僕の連載(「ぼくらのグランド・チャレンジ――21世紀の問いの技法」)では、宮崎夏次系先生に漫画を書いてもらいました。あれもすごかった。
若林  宮崎さんはほんと天才なんですよ。シンギュラリティ(技術的特異点)とかAIみたいなテーマをどう図像化するかってときに、ふつうならしょうもないロボットのイラストでお茶を濁したりするところ、彼女はまったく意想外のところからアプローチしてくるんですね。
石川  本当にそうですよね。宮崎さんは書いたコラムを絵にする天才だと思います。
若林  想像もしてない飛躍があって、その飛躍をこっちが一生懸命読解していくことで新しい思考の回路が開かれるっていうような感じがするんですよね。クリエイターってすごいなっていつも思うんです。そうやって、感覚的なものをロジックで説明せず、別の感覚言語に置き換えるのって、クリエイティブと呼ばれるもののキモだと思うんです。ヴィジュアルの編集って、それをどう読み解いてどう制御するかっていう仕事で、この写真やイラストを並べる作業が、ぼくは雑誌の仕事のなかでも一番好きなんですけど、ウェブの編集しかやったことない人は、これ、まったくできないんですよね。[後篇に続く]

構成:斎藤哲也