ちくま学芸文庫

美術が教えてくれる、愛と死の諸相

ちくま学芸文庫『官能美術史』『残酷美術史』

 実家の本棚の片隅に、うっすらと埃をかぶった画集のコーナーがあった。絵を描くのが好きだった私は、ときおりその中から一冊引っ張り出してきては、目的もなくぼんやりと眺めていた。そこで見た絵画の幾つかは、今でも鮮明に覚えている。ある絵では、真っ暗闇のなかから男の姿が浮かび上がる。その男は大きな口をいっぱいに開いて、両手でつかんだなにものかに一心不乱にかぶりついている。それは小さな子どもの体であり、すでに首から上と片腕は噛みちぎられていて、切断面からは真っ赤な血がしたたり落ちている。

 今から思えば、それはゴヤが描いた〈わが子を喰らうサトゥルヌス〉だったのだが、いくらテレビでヒーローが戦うような番組を見慣れていたとはいえ、まだ幼い小学生をぞっとさせるには充分な怖ろしさをその作品は有していた。

 また別の画集には、惜しげもなく裸身をさらす女たちの姿があふれていた。そのなかには、一羽の白鳥とたわむれているひとりの女性がいた。一糸まとわぬその豊満な裸体の上から、大きな白鳥が覆いかぶさる。頬を赤らめた女性の口の中へ、白鳥は無遠慮にくちばしを突っ込む。子ども心にも、女性の恍惚とした表情が、ペットとの単なる戯れなどではない、ただならぬ妖しげなものであることが読み取れた。それらの絵は、いったい何を意味していたのか――。

 美術の世界は、こうした複雑な愛と死の主題であふれている。その理由は明白だ。太古の昔から、愛と死こそが人類の二大関心事にほかならなかったためだ。それゆえ画家たちも、それらの主題を多く手掛けてきた。いや、それらの二大テーマを一度も扱ったことのない芸術家など、皆無であると言ってよい。それほどに、画家たちは愛と死をどう描くかに腐心してきた。

『官能美術史』と『残酷美術史』の目的は、西洋美術における性愛と死の主題をそれぞれとりあげ、その文化の多様性と歴史の重層性を味わおうとするものだ。

『官能美術史』では、まずヴィーナスをとりあげて裸体画の歴史を俯瞰する。神話は恋愛エピソードの宝庫だ。続いて画家自身にまつわるエピソードと、彼らに好まれた恋愛のキャラクターをとりあげる。その後で、キスやポルノグラフィー、不倫と売春、同性愛と嫉妬といった、さまざまな官能作品を網羅的に見ていく。それらのひとつひとつに意味があり、読み解かれるべきメッセージが含まれている。

 一方の『残酷美術史』では、古来より残虐主題の主たる供給源となった神話と聖書のエピソードをまずとりあげる。狂気と暴力に支配されたそれらの世界も、社会を動かしていくためのルールにほかならない。続いて、キリスト教が支配していた中世の、オカルトとも思える諸相を覗く。魔女裁判を中心とした拷問と処刑の章は、人間がどれほど残酷な生きものになれるかの証とも言えるだろう。さらには殺人や戦争、病や貧困、ヴァニタスといった、死にまつわる主題を網羅的にとりあげた。

 世界史の教科書は、英雄たちの名でいっぱいだ。まるで戦争に勝った王や、何かを発見した偉人たちだけが、歴史のすべてであるかのように。しかし実際には、英雄が勝利の美酒に酔っている時に、迫りくる敵の姿に腰を抜かして逃げ出す兵士もいたはずだ。その傍らで、田舎に残してきた愛する妻とわが子の顔を思い浮かべながら息をひきとった者もいただろう。

 本書でとりあげる作品群は、西洋の歴史を表から眺めるだけではほとんど知ることのない、ごく普通のひとびとを取り巻いていた愛と死の諸相である。そして今も私たちは愛をもとめ、歓び、悩まされる。死を恐れ、悲しみ、苦しめられる。だからこそこれらの芸術作品が、今も私たちの心を揺さぶるのだ。

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