単行本

すべての猫は語る

ポール・ギャリコ著『猫語のノート』

 猫が我が家にやってくる前、「猫」という生きものは、私の世界に存在しないに等しかった。もちろん認識はしていたけれど、ただ「かわいい生きもの」として分類されていたにすぎなくて、犬やハムスターとそう大きくは変わらなかった。
 猫がやってきて、そうして私の世界に「猫」がやっと生き生きと存在しはじめた。猫が猫として存在するということは、犬やハムスターと「猫」の違いがはっきりわかることを意味し、また、自分ちの猫のみならずすべての猫を愛することを意味する。すべての猫を愛してしまうと、猫が視界に入るとすぐ目で追って、その姿をたしかめるようになる。お他所の家の猫や野良猫ばかりか、バッグやカップや文房具に描かれた猫にまで。
 猫の本、というジャンルがある。猫の飼い方指南や写真集、猫の気持ちを教える本。猫絵本に猫小説、猫エッセイに猫漫画。書店にいっても、以前は私の目にそれらの本は見えなかった。けれど今は、はっきりとそのコーナーが私を呼んでいる。はじめて猫の本を買ったときは、そのことに驚いた。猫の写真がいっぱいのった本を買うなんて、人生においてはじめてのことだったのである。
 猫の存在する世界に生きているだれもが知っている、『猫語の教科書』という本も、私はまったく知らなかった。何人もに、えっ、知らないの? と訊かれてきた。
 このたび、その有名な『猫語の教科書』の姉妹篇とも呼べる『猫語のノート』が発売となった。
『猫語の教科書』は、人間をいかに操るか、猫が猫に指南する内容だが、この『猫語のノート』は、猫による、詩のごときつぶやきである。猫がやってくる以前の私だったら、手にとらないばかりか、見えていても見えない類の本である。だいたい私は、犬や猫を擬人化し、彼らがしゃべっているふうに描かれたものが好きではないのである。人間の思いを押しつけているだけじゃないかと、昔から思っていたのである。
 でも手にとって、読んじゃった。だって私の世界にはもう猫が存在しているから。その「猫」が猫語でもらした言葉が書かれた本なのだから。
 もちろん本当は猫語でなんか書かれてはいないし、ポール・ギャリコという今は亡き作家が英語で書き、日本語に訳されて、だから私が読める、ということなんて、わかっている。なのに「猫語で書かれた猫の言葉」なんて表現することを、かつての私は「人間の思いを押しつけている」と解釈していたのだ。
 でも、今は違う。猫って、びっくりするほど表情ゆたかだと知ったから。しかもものすごく感情に沿った表情をする。不満なら不満をあらわし、戸惑いなら戸惑いをあらわし、安心なら安心をあらわす。好きなのにきらいなんてふりはしないし、たのしいのにつまらない顔をすることもない。唯一ごまかすのは、私たちが猫の失敗を見てしまったとき。ベッドに飛び乗ろうとして落ちる、遊びに夢中になりすぎて顔から壁にぶつかる、なんてことをしでかしたとき、「何もしていなかったけど?」という顔をする。なので、擬人化、ということでもなく、猫の考えていることはだいたいわかる、と、思いこみでなく、言える。この本は、作家が自分の思いを猫に託して書いたのではなくて、猫の顔を見ながらその思いをすくい取ったのだと、今なら、了解するわけである。
 この本はなんたって写真がたくさんあるのがうれしい。写真のなかの猫の表情がどれほど饒舌か、猫が今なお自分の世界に存在しない人にも、よく理解できるだろう。
 猫の写真を見、彼らのつぶやく詩を読んでいるうち、気づけば、泣いていた。落涙の引き金となったのは「朝」というタイトルの短い文章。ちっともかなしくないこの文章でなぜ泣くのか、たいていの人は、わからないだろう。私だってわからない。でもそのわからない、言葉にならない気持ちの揺れこそが、ポール・ギャリコがあとがきで書く、私と猫との哀れみを含む愛の交歓なのだと、思い知らされる。

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