ちくま文庫

パイオニアによる決定版

トンカツ、コロッケからアイスクリーム、テーブルマナーまで――「日本の洋食史」を博捜した小菅桂子『にっぽん洋食物語大全』の解説を掲載。食文化史研究者の阿古真理さんがこの分野の先達を論じます。

 日本の洋食を網羅した、食文化史の決定版である。元になった雑誌連載が一九八二年開始ということに驚く。今でこそ、ラーメンやカレーといった、明治以降に生まれた料理のルーツを辿る本は珍しくないが、食文化史研究を行う人がほとんどいなかった当時、この分野自体がマイナーだった。小菅桂子さんは、食文化史の道を切り開いたパイオニアの一人である。
 この本は、小菅さんが書いた食文化史の中でも初期の一冊である。きっとそのためだろう。前人未踏だからこそ、ベーシックな日本の洋食をひと通り紹介している。そして軽妙なタッチで、いかに日本人が西洋の食文化を受け入れ、自分たちのものにしていったのかを、手を替え品を替え論じている。
 江戸時代にも行われていた肉食。トンカツはどうやって生まれたか。コロッケが人気になった頃。カレーライス誕生秘話、パン食黎明期……。今では、食文化好き、歴史好きが語りたがるうんちくの一つになった話が続々と登場する。しかし、具体的なエピソードが満載なので、うんちく好きも「そこまでは知らなかった」と思うのではないか。実は、何冊か食文化史の本を出した私も、恥ずかしくなるほど「へえ」と思う回数があった。
 証言がたくさん出てくる。その洋食の誕生に関わった人もいる。洋食の歴史という一つの物語が、同時に関わった人たちの物語にもなっている。人に焦点を当てていることも、この本の魅力の一つである。
 例えばコロッケについて書かれた第5話。コロッケがいつ日本に入り、どのように進化して定着したのか、という順序どおりの紹介を小菅さんはしない。大正時代の流行歌「コロッケの唄」から話を始め、前々から、この歌に登場するコロッケは、フランス料理のクロケット、つまりクリームコロッケなのか、肉屋さんでもおなじみのジャガイモコロッケなのか、疑問に思ってきたと書く。私なら「コロッケの唄」が流行ったから、この頃にコロッケが親しまれる食材だったとわかる、と書いてしまう。いや、実際にそう書いたことがある。小菅さんの興味はそこで終わらない。
 歌われていたのは、どちらのコロッケか。この疑問の持ち方から、小菅さんが興味を持つ対象は、いつ誰が何をしたか、どんな食べものがあったか、といったプロフィール的なデータよりも、人々が食べものを選び、食べてきたという生きる営みそのものだったことがわかる。食いしん坊の興味を含んだ文章からは、同時に、いかにして昔の出来事をありありと描き出し、読者の前で蘇らせるかに腐心していることが伝わってくる。たくさんの長い引用も出て来るが、その使い方はいわゆる「コピペ(コピー&ペースト)」とは程遠いもので、それぞれのエピソードが、小菅さんが演出する舞台の上で不可欠な役者として輝いている。
 小菅さんの父上は、昭和初期から活躍した浪曲作家で演芸評論家の小菅一夫さんである。家には常に芸人たちが出入りし、一緒に楽しく飲み食いする中で育った。舞台に立つ個性豊かな人たちに囲まれて育ったことが、もしかすると小菅さんの人間の営みとしての食への興味を育て、物語を構築する面白さを発見するきっかけになったのかもしれない。
 コロッケの話をもう少し掘り下げたい。
 小菅さんが、コロッケの中身に興味を持ったのは、格差が大きかった大正時代当時、二つのタイプのコロッケは、まるで違う人々に食べられていたからである。
 ジャガイモのコロッケは、日本で生まれた庶民派の食べものである。しかし、「コロッケの唄」の作詞家、益田太郎冠者、本名益田太郎は、後に三井物産を興した益田孝の息子である。品川・御殿山のお屋敷で育った益田太郎冠者が日頃食べていたのは、本格派クロケットの方ではないか。しかし、歌が一世を風靡したからには、歌われているのは庶民派ジャガイモコロッケではなかろうか。
 謎を解くため、小菅さんは文献にあたって、太郎冠者の生い立ちを調べ、昔のコロッケのレシピを調べ、コロッケのエピソードが登場する本を探し出す。当時の時代背景を調べ、昭和初期にデリカテッセンを開いた人や、資生堂パーラーの顧問などへの取材で知り得た情報を紹介する。
 小菅さんは、自分なりの推論の裏づけを、まるでミステリーに登場する刑事か探偵のように調べ上げたうえで、物語を編み上げ、コロッケの謎に迫る。その際、エッセイやインタビューなどから十分な長さで拾い出した具体的なエピソードが効いてくる。「マッシュ・ポテトにクリームがはいっていて、玉葱の刻んだのや挽肉が少々」入った「安洋食屋」のコロッケ。「菊のご紋章の付いた銀色に輝く王冠の器に盛られた」フォアグラのコロッケは、赤坂璃宮の晩餐会で出された。小菅さんが選び、あるいは聞き出した昔のエピソードから、昔の人が何を食べ、どのように受け止めたか、あるいは新しい料理を生み出していったのかが浮かび上がる。
 人に焦点を当てた小菅さんの文章は、食べものの歴史を支えた人たちへの興味も掻き立てる。私が昔ハマった大和和紀のマンガ『N.Y. 小町』では、アメリカのケンタッキーから、北海道の農地開拓指導にやってきたダニー(ダン)という青年が、江戸っ子の主人公と波瀾万丈の恋愛物語を展開する。ダンのモデルが実在する、と知ったのは、小菅さんの『カレーライスの誕生』からだった。
 小菅さんは一九三三(昭和八)年八月四日東京・浅草生まれである。映画会社を経て食文化研究者となり、杉野女子大学や別府大学、くらしき作陽大学、國學院大學など各地の大学で教え、何冊もの本、論文を書いた後に、二〇〇五(平成一七)年八月一〇日、七二歳で亡くなられた。
 近代を中心に研究した食の分野は、洋食にとどまらない。中でも中国の食の奥深さに魅せられ、中国語を教わった王軍さんを養女にした。王さんの夫がつくる料理をのぞき込んでは、つくり方や背景も尋ねていたという。
 食には膨大な背景がある。そのどこに目を向けるかによって、描き出す物語は幾通りもありうる。小菅さんは、料理がつくられる場にも興味を向けた。ご著書の中で、『にっぽん台所文化史』は、異色のようだが、具体的な情景を浮かび上がらせることに腐心した小菅さんにとっては、料理が生まれる場について研究することは、自然な流れだったのだと思う。竪穴式住居から始めたこの本も、膨大な資料をもとに描かれた決定版である。
 小菅さんが書かなかったら、歴史の彼方に埋もれていたかもしれない分野がたくさんある。今も著書の中から呼びかける声が聞こえる。「たくさんの先人たちの努力や好奇心から生まれてきた食文化は本当に面白いものなのです」。その声に導かれ、後に続いて研究する人たちや食文化史のファンになって、何冊もの本を読みふける人が何人もいるのだろう。私もその中の一人である。

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