考える達人

第6回 「文化とは、価値の体系である」若林恵さん:後篇

若林恵さんとの対談、後篇です。「ものごとをあまりに単純化するのも危険だと思う」ーー石川さん、またずしりときています。

●文化とは何か

石川 『WIRED』は、ブロックチェーンのように、ビジネス方面でも関心が集まっているテクノロジーを特集で取り上げることがありますけど、ビジネス誌とはまったく切り口が違いますよね。
若林 それは、テクノロジーというものをビジネスの一要素として見るか、文化の一要素として見ているかという違いだと思います。ぼくは、テクノロジーは文化の一要素だと思っていて、そうでない限りにおいては、テクノロジーって自分的にはなんの面白みもないんです。
 だって「テレビの販売台数がテレビの価値です」なんて言われても誰も賛成しないでしょう?  VR(バーチャル・リアリティ)にしてもAR(拡張現実)にしても、文化にならない限り、世の中に定着しないですよ。ってか、世に定着するっていうのはおそらく、文化になる、ということですから。
石川 経済をライバルとする若林さんにとって、文化とは何ですか?
若林 えー、でかい質問だなあ(笑)。
石川 僕は、新しい学問をつくることは、ビジネスでいえば新しい産業をつくることに似ていると考えているんです。文化もそれと同じ位相ではないんですかね。学問、産業、文化という3つがカテゴリーとして並んでいるんじゃないかと。
若林 ああ、ぼくはそれは全然違ったふうに見てますね。だって、まず学問は文化の下に入るものでしかないですから。
石川 そもそも経済と対抗する文化としては、産業なんかと横並びにされたら困るわけですか。
若林 んー、産業が文化をつくる、ってこともありそうな気もしなくもないけど。いずれにせよ、20世紀ってすごく経済学者が大事にされた時代だったと思うんですよ。ってのはどういうことかというと「20世紀は経済学者をやたらと持ち上げて、経済にやたらとプライオリティをおいた」そういう文化をもった時代だったというふうにぼくは理解してるんです。文化というのは、ある時代のなかで、ものやことや情報の優劣だったり価値を決定するためのパラダイム、と言って語弊があれば、枠組みだと思うんです。
 アートがアートとして価値を持つのは、外側にそれを構成している「アートにこういう理由で価値をおく」という文化的なコンセンサスがあるからで、もちろんそれは、一言で定義できるようなものではなくて、それはもう複雑なレイヤーが幾層にも重なってるもので、つまり文化てのは、その時代の社会をかたちづくってる価値の体系のことかな、と。
石川 文化というのは、その時代を生きる人がとらわれている枠組みなんですね。
若林 そうそう。しかもそれは刻々と変わってもいるんです。言葉ってものを考えるとわかりやすいんですが、流行り廃りってものすごくあるじゃないですか。あるギャグが、ちょっと時間が経つだけでお寒くなってしまうみたいなことって、言うなれば言葉の流通価値が、それこそ相場のように常に変動してるってことで、しかもその相場がなにを変数にして、どう動いているのかって相当掴みづらいものですよね。
 しかも短期的に変動するものもあれば、一方で、何百年と続いているような枠組みもあったりして。長い歴史を背負っているような枠組みと、数年とか数十年単位で入れ替わる枠組みとがごっちゃになりながら動いている価値体系である、ってのが、ぼくなりの文化というもののイメージですかね。

●世界はコンテクストでできている

石川 たぶんそういうごちゃごちゃを、きっぱりと明確にしたがるところで、僕はいつも若林さんに叱られるんですね(笑)。
若林 研究者、特に工学系の人たちって、そうなりがちなんですよ。MITのメディアラボが「創造性のクエン酸回路」モデルというのを出したことがあるんです。創造性には「アーティスト」「デザイナー」「エンジニア」「サイエンティスト」の4種類があって、それぞれの思考をぐるぐる循環させるといい、みたいなことを言ってるんですが、ある公開討議のような場で、考案者のネリー・オックスマンにちょっとツッコミ入れたんです。
「あたしゃ『WIRED』という雑誌を編集していて、職業で言うとジャーナリストとか、エディターなんですがね、それって、この図表のどこに入るんですかね?」って。そしたらネリが「それはいい質問ね。真ん中かしら」とか適当なことを言うんで、「なんだよ、考えてないじゃん」と思ったんです(笑)。
 世の中には、ジャーナリストとかエディターとかそういう中間的なポジションで情報を生成してる人たちがいて、しかもマスメディアの時代を経たあとでは、その影響力は良くも悪しくも情報の価値の決定において、いまだに大きいはずなんです。なんだけど、社会ってものが価値決定を行っていく上で、ソーシャルメディアを含めた情報産業が果たしている役割っていうものを過少評価してる人はとても多くて、そこでは社会や文化ってもの複雑さとかあいまいで語り得ないものへの理解が雑なんです。
  とくにIT周辺は、目立ってそういう素養、ありていにいうと人文リテラシーが低くて、あきれることも多いんですよね。だからこそ、自分みたいのが威張ってられる、という意味ではその状況はありがたいんですけど(笑)。
石川 文化というのは、人々の脳内に埋め込まれた世界みたいなものですよね。人はそれを通して現実を見ているだけだと。
若林 たとえば音楽を聴くにしても、純粋に音と出会うなんて不可能なんですよ。音楽を聴く場所、聴き方って、あらゆるやり方で産業化されていて、そこにはすでに誰かが設計したコンテクストがあるわけですよ。駅前で誰かが歌ってるのを出会い頭に聞いて「いいな」と思ったみたいなことだって、 駅前で歌ってるミュージシャンっていう存在がすでにして制度化されたありようで、すでにコンテクストが内包されてるわけです。
 エンジニアとか科学者は、とりわけそういうコンテクストに対する感度が弱い気がします。すぐに「真理」とか「普遍」とか言うじゃないですか。でも、そこには「真理ってコンセプトが成り立つためのコンテキスト」があるからそれが成り立ってる、という話もあって、これって科学哲学が長いこと問題にしてきたことですよね。
石川 そうなんです!  だから僕も、科学は全体として「真理に向かって前進している」と信じたいんですが、一方で全く信用できないところもあります。
若林 うん。だから真理ってことばに対する風向きが悪くなってきたので、代わりにロマンとか言うんですよ(笑)。それって自分がやってることの純粋さを正当化したいだけだろうとしかぼくは思ってないんですが(笑)、って言うのも、具体的な話で言っても、その真理の探求って、よほどの例外を除けば、国なり大企業なり大学なりにぶら下がった状態でしか実践できないわけで、その環境のなかで語られる「真理」とか「ロマン」ってどれだけ信憑性あるんですかね、って思いません? ガチガチに国家とか市場の論理に組み込まれてて、真理もくそもあるの? って思っちゃうんですけどね。
「僕が今学生だったら絶対に人工知能をやってるな。僕たちが若い頃はとにかく原子力だったんだけどね」なんてことをある科学者が言ってたんですが、それって単に技術をめぐる経済トレンドの話じゃないですか。文学部の矜持でいえば、こっちは、何度生まれ変わっても文学部だよ」って思うわけです(笑)。

●「真理の探求」は枠組みにすぎない

石川 若林さんの「ちょっと待てよ」がズシリと来た感じがします。たぶん、科学者のほとんどはそういう疑問を抱きませんよね。
 でも、おっしゃっていることはわかります。科学的な真理を追いかけると決めたんだったら当然、あきらめるべきものもあるだろうと。
若林 いや、別にあきらめなくてもいいんだけど、科学に対する純粋な姿勢と、自分の生活ということがリンクしていないし、それを意識すらしていないところに、ズルさが見えるんですよ。
石川 科学者は、自分では「これは真実に向かう旅だ」と思っているけれど、それはもしかしすると、戦線を拡大しているだけかもしれない。科学者にとっては恐ろしいことですけど。
若林 科学ってもの自体はたしかにトータルで見れば「真理の探求」の道筋には違いないのかもしれないですけど、個々の科学者という存在はそうじゃないですよね。時代の社会の枠組みに規定された存在じゃないですか。
石川 そうですよね。科学者たちに「あなたたちは真理を探求していると言うけど、それと自分自身のちっぽけな人生をどうすり合わせているんですか?」と聞いたらたぶん「ん?」と固まって、「たしかに、それは考えたことがなかった」と反省すると思います。そういう問いを投げかけられると、かなり根っこのところをぐっと突かれますよね。
 でも問われないかぎり、「とりあえずは真理の追求だな」ということでトットットッと進んでいく。
若林 ただ、世間的な状況として、そういう姿勢が通用しなくなりつつあるとは思うんです。科学者がいくら「これは真理の追求だから」と言っても、国の予算が下りてこないし、予算が下りないっていうのは、社会的な信任がないってことなので、最近大学とかもやたらイノベーションとか課題解決とかいうわけです。さらにポスドクの人たちが鬱になりがちなんて話も、真理の探求なんてさも高尚なことやってるようなフリしてるけど、実態はブラック企業でしかないことのあらわれでしょ、とか(笑)。
   結果、自分の幸福や世俗的な成功と、真理ってものを天秤にかけたら、ほとんどの科学者は前者をとるわけで、だから、論文の偽装なんかもしょっちゅう平気で起こるわけで、とか。
 今の時代における科学者の人生ってなんなんだってところをちゃんと問うことなしに、真理の探求なんてこと言ってたら、そりゃ鬱になる(笑)。
石川  でも、若林さんのような指摘を面と向かってしてくれる人っていないんですよ。
 今日あらためて思ったんですけど、若林さんは複雑なものを複雑なまま受け止めている。そういう人じゃないと、文化の番人は務まりませんね。
若林 そんな大層なものじゃないと思うけどなあ。ただ、いまみたいにやたらと複雑さが増してる世の中にあって、ものごとをあまりに単純化したりするのってかえって危険だと思うんですよね。それに、自分って別に、たいして頭がよくないんですよ。物事を分析したり、序列化したりすることが得意じゃないので、石川くんみたいに「ここに論点が3つある」てな感じにうまく整理できたらいいんだけど、悲しいことに、そういうふうに頭ができてない(笑)。

 構成:斎藤哲也