ちくま学芸文庫

『震災画報』の広角取材とこだわり
宮武外骨著『震災画報』

 入獄四回、罰金刑、発行禁止、発行停止合計二九回という輝かしい筆禍事件の「戦歴」をもつ宮武外骨の生き方について、所詮組織に属するジャーナリストである私はとやかく言う立場にない。しかし関東大震災後のルポルタージュ『震災画報』を通読してみて、誰にでも咬みつく、狂犬のような外骨のイメージは少し変わった。
 自らも被災しながら、震災九日後には「取材」を開始した外骨の視点は多角的だ。まず着のみ着のまま上野公園に避難した五〇万人もの人々の哀切な姿の描写に始まり、やれ「江の島は水没した」の、「横浜では温泉が湧き出た」のと様々な「軽信誤認」が行われ、また「上野公園で千人が首をつった」だの、「山本首相が暗殺された」、「摂政宮殿下(後の昭和天皇)は飛行機で京都に避難した」のと「流言浮説」が跋扈する様を伝えている(このあたり、Twitterで様々なうわさが飛び交った3・11後の東日本を思い出させる)。
 そうかと思うと外骨は、江戸時代と同じく「鯰が騒いだ」と鯰絵がはやり、火が不浄を嫌って退散するだろうと屋根の上で腰巻をふる人々を「普通選挙制の時代になっても迷信に浸る」と批判する(「選挙」への思い入れが新鮮!)。その一方で外骨は、それまで無視されてきた「地震学」や地質学などを度々紹介する。つまり震災を科学的に読む目を大事にしており、震災前には賞賛された道路のアスファルト舗装が、火災熱で溶解して一酸化炭素を排出、中毒死した被災者が多かったことにも触れている。さらに外骨は、倒壊をまぬかれた新聞社は「尋ね人」の急増など「震災特需」で広告料が高騰し儲けたこと、大手出版社が「万代不朽」と銘打ちながら、粗製乱造の震災記を出したことを罵倒するなど、メディア批評も展開している。
 これに数多の震災後「川柳」の紹介を加え、外骨はまるで一人で総合雑誌並みに、多角的視点からの取材、編集をしている。おそらく、これだけの惨劇を生んだ震災は必ずや日本に「生活の、思想の、社会道徳の革命」をもたらすであろうから、その社会変動をできるだけ正確に記録したいと考えていたのではないだろうか。だからこそ、より広い観点から事象を集めたい。チェルノブイリ、東海村の原子力事故の取材をへて、福島で決定的なカタストロフに出会った私には、その気持ちが少し理解できる(社会の現実は、その通りには動かないのだが……)。
 だが、その広角取材のかげに見え隠れする外骨の「こだわり」もまた見逃すことはできない。『震災画報』の特徴は、なんといっても「流言浮説」についての執拗な描写にある。とりわけ、朝鮮人が「井戸に毒を投げ入れた」「来襲して暴動を起こす」というデマの数々のバリエーションと、それによって起こった虐殺の事実を、四か月、六分冊にわたる報道の中で繰り返し伝えている。とくに、官憲が「暴力」の執行者である自警団だけに責任を負わせ、警察官が「朝鮮人襲来」の虚報を出して自ら事件を誘導した非を認めないことに鋭い批判を加えている(因みに一般国民の間にこれほどまで染みついた敵対感情を、外骨は「官僚が朝鮮統治政策を誤っている余弊」と分析している)。
「権力の監視者」を地でゆく外骨の官憲批判は、震災後のメディア規制にも及ぶ。とりわけ三万人以上が焼死した本所被服廠跡で撮影された死体の山の写真を掲載した理由で複数の新聞が「頒布禁止」に追い込まれたことを指弾し、あえてその惨劇直前の写真を『震災画報』に掲載する。今よりはるかに厳しい抑圧の中で「言論の自由」にこだわる外骨のおさえのきいた気迫。それは、ときに進んで自主規制を受け入れがちな今日の日本のジャーナリストに、痛烈な平手打ちを浴びせることになる。
「そんな仕事で新しい時代の扉を開けられると思うのか?」
 外骨の怒気を含んだ声が、地の底から聞こえてくるようだ。

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