日本人は闇をどう描いてきたか

第九回 長谷雄草紙 ――鬼との契約

日本美術にはただ美しいだけでなく、怖さ、暗さ、不気味さを帯びた作品が数多くある。なぜ闇が描かれるのか、その先にある救い、そして笑いとは――作品に即して読みとく、闇からの日本美術入門。第九回は、鬼にまつわる男女を描いた作品から。

鬼とは何か

 古来、鬼とは超人的な能力を持った存在のことを言い、決して邪悪なだけの存在ではなかった。仏典では、しばしば天部や龍王、八部衆らとともに、仏法を護持し仏の慈悲に浴す鬼神が登場する。ただし一方で、人々に病や厄災をもたらす邪鬼もおり、仏教における鬼とは、善悪の両義性を伴う存在であったことがうかがわれる。
 また、平安時代中期に成立した辞典『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』では、「隠(おん)」が変化してオニという語になったと説明される。つまり日本人にとっての鬼とは、元来、人の霊魂など目に見えないものを指す言葉であったようである。
 姿かたちを持たず不定形でありながら、何らかの意思をもってこの世にうつろうもの、善でもあり悪でもあり得るもの、そのような曖昧模糊とした不気味な存在として、鬼は、徐々に日本人の精神世界に浸透していった。

男女を引き裂く鬼

 『伊勢物語』第六段「芥川」には、主人公の男が人目を忍んで盗み出した女が鬼に喰われるという場面がある。

 ゆく先おほく、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる倉に、女をば奥におし入れて、男、弓、胡簶(やなぐひ)を負ひて戸口にをり、はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。

 女を奪い返しにくる者たちから守るべく、男は弓矢を負って、闇の奥に鬼が潜むとも知らずに、女を隠した倉の扉を固く閉ざした。あと少しで夜が明けるという時、鬼が女を一口に喰ってしまう。女のかすかな悲鳴は、雷鳴にかき消されてしまい男の耳には届かない。
 この物語は、在原業平(八二五~八〇)と、後に清和天皇(八五〇~八〇)のもとに入内した藤原高子(八四二~九一〇)との悲恋に基づくと解釈されている。引き裂かれた男女のあわいに、鬼の姿が浮かび上がる。
 現実の高子は、摂関政治創生期の藤原氏に生まれ、一族内での権力闘争に翻弄された女性であった。清和天皇のもとには、朝廷内の覇権を競った諸家から数多くの女性が入内し、後宮を賑わわせていた。さらに、叔父にあたる藤原良房(八〇四~七二)と、高子の同母兄でありながら、良房の養子となった基経(八三六~九一)とは対立しがちであった。
 高子所生の貞明親王(陽成天皇、八六八~九四九)の即位こそ叶ったものの、その退位後は、弟宮らとともに傍流に置かれ、あまつさえ僧侶との密通疑惑にて皇太后を廃されてもいる(没後に復位)。
 そんな女性の一生をして「鬼に喰われた」とは、まことに絶妙の語り口ではないか。人知を超えて人の一生を左右する何者か、抗いようのない目に見えぬ力を、古代の日本人は鬼と呼んだ。

鬼が跋扈する時代

 高子と同世代の文人官僚に、紀長谷雄(きのはせお、八四五~九一二)や菅原道真(八四五~九〇三)がいる。彼らが生きたのは、朝廷における藤原北家の専制が確立する過程で、古代から続く名族の多くが影響力を低下させていく時代であった。「伴大納言絵巻」(出光美術館蔵)の主人公、伴善男が失脚した応天門の変は、貞観八年(八六六)、長谷雄や道真が二十代にさしかかったころの出来事である。
 時代の波に飲み込まれたのは道真であった。高い学識によって宇多天皇の信任を得、続く醍醐天皇の下で右大臣となるも、昌泰四年(九〇一)、基経の子で当時左大臣であった藤原時平(八七一~九〇九)の讒言によって、突然大宰府へ左遷となる。
 任地において無念の死を遂げた道真は、やがて京都に祟りをなす御霊(ごりょう)として怖れられ、後に天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)として祀られることとなる。先に『和名類聚抄』に見たように、平安時代の日本において、荒ぶる御霊と鬼とは非常に近しいものとして意識されていた。
 一方の長谷雄は、比較的順調に文人官僚としての生涯を全うした。式部少輔(しきぶしょうゆう)・大学頭(だいがくのかみ)・文章博士(もんじょうはかせ)など、文官の要職を歴任し、宇多・醍醐両朝の実務を大いに担った。盟友道真が大宰府で没すると、その遺文を編んだ『菅家後集(かんけこうしゅう)』の編纂にも携わっている。
 しかしそんな長谷雄にも、鬼の気配がつきまとう。鎌倉時代に制作された「長谷雄草紙(はせおぞうし)」(永青文庫蔵)には、長谷雄と鬼、そして道真との世にも奇妙な関係が物語られている。

双六勝負のゆくえ

 「長谷雄草紙」の詞書では、「学九流にわたり、芸百家に通じて、世に重くせられし人なり」と、長谷雄の学識と朝廷での活躍を讃えている。そんな長谷雄が、ある夕暮れ時、朝廷へ出仕するために歩いていると、見知らぬ男から双六の勝負を挑まれる。男は、長谷雄を朱雀門の上に連れてゆく。そして賭物として、「君の御心に、見目も姿も、心ばへも、足らぬところなく思さむ様ならむ女」を申し出、これに対して長谷雄は自らの持っている限りの宝を全て賭けて応じる。
 さいころを振るほどに、長谷雄が勝ちに勝ち続ける。相手の男は次第に心乱れてその本性が現れ、ついに「おそろしげなる鬼のかたち」になってしまった。これを見た長谷雄は、恐怖に肝を冷やしながらも勝負に勝つ。鬼は約束の賭物を引き渡す日を定めて、長谷雄を朱雀門から降ろすのであった。

鬼が造った女

 約束の日の夜更け、鬼は「光るがごとくなる女」を伴ってやってきた。これは長谷雄のものであると言い、ただし、今夜から百日の間は決してこの女と交わることのないようにと言い残して去っていった。
 夜が明けて、女の姿を見ると、この世の者とは思われぬほどの美しさであった。共に過ごすうち、その心ばえにも惹かれるようになり、長谷雄はかた時もそばを離れがたいほどであった。ところが、八十日が過ぎて、取り返しのつかないことをしてしまう。絵巻の詞書は、これをほんの短く説明する。

 かくて八十日ばかりになりにければ、今は日数も多く積もりぬ。必ず百日としもさすべき事かはと、堪えがたく覚えて、親しくなりたりければ、即ち、女水になりて、流れ失せにけり。

 女への恋しさが募った長谷雄は、鬼との契約を反故にして、百日に満たず交わってしまったのだ。その途端に、女は水となって流れた。
 この場面の絵では、御簾の奥で華やかな夜具にくるまれて共寝する長谷雄と女が描かれている。ところが女の体は溶け、水となって寝所から縁側へ、さらに庭へと流れ落ちる。女の艶やかな黒髪は未だ長谷雄の腕の間にあるが、なす術もない彼の表情は呆然としている。

「長谷雄草紙」第四段部分(重文、永青文庫蔵)
画像出典:長谷雄草紙 絵師草紙(日本の絵巻11、中央公論社、1988年)

 このことから三か月ほどたった夜更けに、内裏から退出する長谷雄の乗った牛車を待ち構えた例の男が、長谷雄を信頼できないやつだと詰問する。長谷雄が「北野天神、助け給へ」と念じると、空中に天神の声がとどろき男は退散する。この男の正体は、朱雀門に住む鬼であった。
 女は、鬼が、もろもろの死人の良いところを集めて造った見せかけのものだったのだ。百日を過ぎれば、魂が宿って本当の女になるはずであったところを、長谷雄が鬼との約束を破ったために水と溶けて失せ果ててしまった。鬼にしてみれば、せっかく丹精込めて造ったものが、長谷雄の違約で文字通り水の泡となってしまった。詞書の末尾は、「いかばかりか、惜(くや)しかりけん」と鬼の無念を代弁する。
 この物語で、鬼と長谷雄は対等な関係を保っている。双六の賭物として、お互いにまたとない宝を申し出、その契約は途中まで滞りなく遂行されてゆく。ただ一つ、美女の魅力に抗しきれなかった、あまりにも人間的な長谷雄の情欲だけが、彼らの誤算であったのだ。また、既に天神となった道真は彼らより一段高い次元にいて、その一喝によって鬼は素直に退散する。
 人と鬼と神との調和的なありようが、この絵巻に不思議な静謐をもたらしている。

卓越した知性と結びつく鬼

 長谷雄や道真のひとまわり上の世代に、詩人として名高い都良香(みやこのよしか、八三四~七九)がいる。
 大江匡房(一〇四一~一一一一)編『江談抄』には、羅生門の近くを通り過ぎた良香が詠じた漢詩に感じ入った鬼が、下の句を付けて応じたとの逸話が載る。抜きん出た学識を持つ良香と鬼とが互いに風雅を詠み交わす。この物語では、並の知識や感性を超えたところに、人と鬼との回路が設定されている。
 思えば、奈良時代に遣唐使として唐に渡った阿倍仲麻呂(六九八~七七〇)が、彼の地で死して鬼となり、後からやってきた吉備真備(きびのまきび、六九五~七七五)を窮地から救うという物語を、十二世紀末ごろに制作された「吉備大臣入唐絵巻」(米国・ボストン美術館蔵)に見ることができる。仲麻呂と真備は同じ養老元年(七一七)の遣唐使であったので、事実とは異なる伝承であるが、ここでもまた稀代の文人と鬼は自在に交信している。
 古代日本の政治や文芸を牽引した学者たちが、後世、鬼とも伍する超人として伝説化していく。知識や学識を極めた人々への畏れや敬いが、この世のものならざる鬼を、闇の中からたぐり寄せる。善でもあり悪でもある、曖昧模糊として不気味な、人知を超えて抗いがたい鬼とはまた、稀有なる英知と等価な存在でもあった。

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